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2014/08/11

富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』

 さて、予告通りに、富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』新書館, 2014. https://www.shinshokan.co.jp/book/978-4-403-21106-5/について書いてみる。
 困ったことに、自分がどういう経緯で富士川英郎(ふじかわ・ひでお, 1909-2003)という名前を知ったのか、どうしても思い出せずにいる。
 富士川英郎の父、富士川游(ふじかわ・ゆう, 1865-1940)の名は、日本医学史の大家として学生時代から知っていたが、富士川英郎の名を認識したのは、もっとずっと後のはずだ。まだ10年と経ってはいないように思う。誰かのエッセイか何かで紹介されていたのを読んで、興味を持ったのだと思うが、どうにもよくわからない。
 と思ったら、同じようなことを、2010年にも同じようなことを書き出しで書いていた(https://tsysoba.txt-nifty.com/booklog/2010/05/post-900a.html)。我ながら本当に進歩がない。

 ともかくも、私にとって、富士川英郎は、江戸後期の漢詩人への道案内人であり、また、優れた、かつ、入手困難な(コレクター心をそそる)随筆集の書き手であった。残念ながら、ここ数年は富士川英郎本を入手できていないが、それはまあ、時の運なので、気長に楽しむことにしている。
 そういえば、富士川英郎のご子息である富士川義之氏(ああ、敬称の使い方がなんだかぐちゃぐちゃに…)も学者であることも、どこで読んだのか…猫猫先生のブログだったような気もするが、これまたよく覚えていない。2012年の日本医史学雑誌(58(4) http://ci.nii.ac.jp/naid/40019550492)に、日本医史学会平成24年4月例会 シンポジウム「富士川游先生と富士川英郎先生」の抄録が掲載されており、この中に、富士川義之氏の報告が掲載されていたのは覚えているので、この時には既に認識していたのだろう。
 後書きによると、この『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』の最初の部分は、今はなき新書館の『大航海』68号(2008年10月)から71号(2009年7月)に掲載されたものを元に加筆した、というから、もしかすると、それを掲載時に読んで、富士川英郎という名前を覚えたのかもしれない。いや、富士川英郎の名は既に認識していて、こんな連載やってたのか、と驚愕したような気もしなくもなし……うーむ、ダメだ、こりゃ。

 さて、というわけで、本書は、著者の父親の評伝、ということになる。しかも、富士川英郎は、富士川游著作集の編者であり、富士川游の業績の再評価に尽くしたことから、結果的に、祖父についても、本書で多くを語っている。
 そして、本書では、富士川英郎という人物について直接語られるだけではなく、富士川英郎の代表的著作のエッセンスが紹介されている。富士川英郎著作集がもし編まれるとしたら、本書はその格好のガイドブックになるだろう。
 例えば、富士川游と森鷗外(富士川游は、森鷗外の史伝執筆のための調査や資料探索に協力していた)が親しげに話す姿を目撃した幼き日の英郎の印象や、萩原朔太郎の詩と出会って詩に開眼していく青年期の様子などが、英郎自身の筆による回想を見事にまじえながら、丁寧に辿るように詳細に語られていく。特に後半は、代表的著作の内容を紹介しながら、その魅力と、富士川英郎の著作の魅力を詳細に解き明かしていて、まだ見ぬ多くの著作への夢が膨らむ。
 結果として、本書はリルケを始めとするドイツ詩の綿密な注釈・解釈を行い、森鷗外の史伝に傾倒しそしてその方法論を自らのものとしながら、江戸後期の漢文学の最善の部分を現代に継承しようとした富士川英郎の遺したものについての最善の入門書であり、解説書になっている……と思う。そもそも、富士川英郎の著作で自分が読んだことがあるのは、ほんの一部でしかないので、そもそもが判断などできようがないのだけど。
 一方で、評伝にしては、著者の富士川英郎に対する視線はなんとも複雑だ。ところどころに現れる、父と自分との関係を問い直す記述は、自分自身の奥底を見つめ直すかのような、重苦しさを時にまとっている。しかし、そこがまた、本書のおいしいところでもある。本書で語られている、森鷗外の史伝をモデルとしたという、ひたすら事実を積み重ねていく富士川英郎の菅茶山伝のスタイルとは異なり、著者の主観が顔を出し、その主観の向こう側に、ストイックで静かな印象の富士川英郎の随筆とは異なる、語り、生活する富士川英郎の姿が、本の少し、読者であるこちらにも見えてくる……ような気がするのだ。

 それにしても、本書を読んで驚愕したのは、富士川英郎が教養学部の教授として活躍していた、ということだったり(いや、もっと早く認識しようよ、と自分に突っ込んだ)、自分が駒場キャンパスに通っていた間に、退職してずいぶん経った後ではあるが、講演をしていたという事実であった。もったいないことをした、とも思うが、学生時代の自分は、興味は持たなかっただろうな、とも思う。年を食ったから面白いと思うようになるものだってあるんだからしょうがない。
 自分には、富士川英郎のように、「淡々と自分の好むことについてだけ書」(p.387)き、「自然の流れのままに生きる」(p.424)ような、生き方はできそうもない。けれども、富士川英郎が既に失われて久しい江戸期の文人たちの交流をいとおしんだように、本書を通じて、最後の文人の生き方に勝手にあこがれることくらいは許されるだろう。
 そんなこんなで、古書店や古本まつりをのぞきながら、富士川英郎の随筆集を探す楽しみはこれからも続くのである。

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