徳川美術館・蓬左文庫「江戸の生きもの図鑑-みつめる科学の眼-」展(2017年6月2日〜7月9日)
徳川美術館・蓬左文庫「江戸の生きもの図鑑-みつめる科学の眼-」展(2017年6月2日〜7月9日)
http://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2017/0602/
のポイントを、メモと記憶を頼りに。ちまちま直してたら、一週間かかってしまった。
同展示の関連企画として、学芸部学芸員による土曜講座「尾張の本草学と博物図譜」が、2017年6月18日(日)午後1時30分〜3時に開催されていて(通常は土曜開催なのだが、都合で日曜だった模様)、たまたまこれも聞くことができたので、そこで聞いた話も組み込みつつ、自分なりに見どころを整理しておきたい。
なお、あくまでメモと記憶を元にしているので、正確ではない点も多々あるかと思う。その点,ご容赦いただきたい。当然ながら、私的メモであって公式情報ではないのでご注意を。
タイトル等は会場で配布されていた展示リストを参照した。また、上記の土曜講座で配布されたレジュメと講演時にとったメモも適宜参照している。
生没年などは、磯野直秀『日本博物誌総合年表』(平凡社, 2012。文中では「磯野年表」と略記。)を参照したが、一部ネット情報を参照したものもある(その場合には参照先のURLを注記)。
なお【 】内は、個人的に確認したり、気になった内容を書き込んでいるので、展示そのものとは切り離して読んでいただいた方がよいかと。
さて、中身に入る前に「江戸の生きもの図鑑」展について、個人的に感じたすごい点をまとめておこう。
すごい①
蓬左文庫、岩瀬文庫など、愛知県及び尾張徳川家関連の代表的なコレクションの所蔵品を一度に見られる。
すごい②
現在は西洋植物学の移入に活躍した点で評価されることの多い、伊藤圭介、飯沼慾斎らの近代植物学的な面に限定されない多様な活躍を確認できる。
すごい③
尾張の本草学者グループ、「嘗百社」の草創期から近代に至るまでの代表的学者の活動を概観できる。
これで図録があれば完璧!、という感じなのだけど、そこはやむなし。
展示の全体の構成は次のとおり。
一、美しき図譜
二、日本の本草学略史
Ⅰ 江戸時代前期
Ⅱ 江戸時代中〜後期
三、園芸の流行と植物図
四、尾張の本草学
Ⅰ 本草学の展開
Ⅱ 嘗百社と伊藤圭介
五、尾張の殿様と本草学
展示リストによれば、総点数は70点。
すごい①で述べたように、蓬左文庫所蔵資料はもちろん、名古屋市東山植物園、西尾市岩瀬文庫、雑花園文庫、名古屋市博物館など、愛知県内の各コレクションに加え、尾張徳川家第19代当主徳川義親ゆかりの資料を所蔵する徳川林政史研究所の資料が一同に並ぶ。
「一、美しき図譜」では、岩瀬文庫所蔵の高木春山(?〜1852)自筆『本草図説』(1。以下同様に展示リストの番号を付す。)がいきなり登場。続いて、岩崎灌園(1786〜1842)『本草図譜』(岩瀬文庫蔵の2、蓬左文庫蔵の3)と定番もきっちり押さえる。
注目は、すごい②で述べたように、名古屋市東山植物園蔵の飯沼慾斎(1783〜1865)『魚譜』(5)、『魚介譜』(6)、『禽虫魚譜』(7)で、植物画が取り上げられることが多い、慾斎の動物画に焦点を当てているところ。未製本の状態のものや、『慾斎翁遺物』という文字が(裏から透けて)見える仮綴状態の資料(魚譜(5))もあった。
伊藤圭介(1803〜1901)関連では、名古屋大学附属図書館蔵『錦窠植物図説』(8)は、写本や印葉図、印刷物からの切り抜きなどを貼り込む形で編纂されたもの。
【蛇足。これを見ていたら、東京国立博物館の『博物館禽譜』等の『博物館○譜』を思い出した。編纂方法の類似性を感じさせる。こうした、様々な素材を組合せて、新しい編纂物を作り出していく方法論は、田中芳男が伊藤圭介から受け継いだものなのかもしれない、などと思ったり。】
なお、伊藤圭介についても、植物ではなく動物を中心に紹介しており、いずれも名古屋大学附属図書館蔵の『錦窠虫譜』(9)、『錦窠魚譜』(10)、『錦窠獣譜』(11)が並んでいた……はずなのだが、既にどんな図だったのか記憶があやふやである。
圭介所要の顕微鏡(12)は、徳川美術館のTwitterアカウントでも紹介されているとおり、今回の一押し展示品の一つ。
伊藤圭介旧蔵の「カフ」型顕微鏡(東山植物園蔵)です。江戸時代にいくつか輸入され、圭介をはじめ当時最先端の西洋植物学を採り入れようと努めた学者数人が手にしていました。本品には標本が収められた象牙製のスライダーも附属。貴重な機会をお見逃しなく、江戸の生きもの図鑑展へ!#担当のおすすめ pic.twitter.com/obC25b8NWv
— 徳川美術館かろやかツイート (@tokubi_nagoya) 2017年6月18日
土曜講座の方では、顕微鏡について、さらに詳しい説明があった。飯沼慾斎も同形の顕微鏡を所持しており、そちらも現存しているが、比較すると、圭介所用のものは交換レンズの記号などがアラビア数字で表示されているのに大して、慾斎所用のものはローマ数字で表示されているとのこと。同じカフ型顕微鏡といっても、同一ではない、ということが指摘されていた。
その後は、正確な図を描くために絵師に入門して学んだという、京都の本草家の名門、山本読書室の山本章夫(1827〜1903)の図譜が並ぶ。『萬花帖』(14)、『果品』(15)(ブドウの美麗な図)、『禽品』(16)、『獣類写生』(17)と、いずれも西尾市岩瀬文庫蔵。
「二、日本の本草学略史」は、『本草綱目』(18)、『大和本草』(19)など定番資料を蓬左文庫所蔵本で紹介した上で、西洋からの影響を、岩瀬文庫資料の西洋植物図譜からの写本や、宇田川榕菴『植学啓原』(23)、飯沼慾斎『草木図説』(24)で、紹介する、という流れ。
「三、園芸の流行と植物図」では、名古屋園芸創業者による園芸関係資料の一大コレクションである雑花園文庫の資料を中心に、江戸期の園芸書を紹介。講座では、尾張本草学の第一世代の一人で御下屋敷内御薬園を管理していた、三村森軒(1691〜1762)による『朝顔名鑑抄』(29)において、文化年間の江戸でのブームにはるかに先駆けて、享保8年(1723)に変化朝顔についての記載がなされている点が、注目ポイントとして紹介されていた。
「四、尾張の本草学」では、尾張本草学の中心人物たちの著作を中心に紹介。ここでは、すごい③の嘗百社関連資料が炸裂。すごい。
例えば、尾張本草学において活発な議論が行われていたことを象徴する事例として、寛保3年(1743)から書物奉行を務めた松平君山(1697〜1783)による『本草正譌』(39)と、それに対する反論や補足をまとめた山岡恭安『本草正々譌』(40)を並べて展示。どちらも蓬左文庫蔵。講座では、さらに『本草正々譌』に反論した『本草正正譌刊誤』というのも出ていたことが紹介されていた。
尾張本草学者グループの嘗百社を代表する水谷豊文(1779〜1833)の著作『物品識名』(41)は漢名と和名の対応をまとめたハンディサイズの資料で、「本草学者の必携書となった」と講座で紹介されていた。展示の蓬左文庫本は薄様紙に刷られており、展示では見えなかったが巻末に「尾州薬園」の印記のあるという特装本とのこと。
伊藤圭介『泰西本草名疏』(46)も蓬左文庫蔵で、リンネ分類を示した二十四綱図が手彩色となっている献上本。
『扇日光採薬目録・採集用心記』(49)は、伊藤圭介が三男の譲に贈った扇。かつて圭介が日光に採薬した際の採集品目を片面に書き出し(展示されていたのはこの面)、もう片面には採集時の注意事項を記したものとのこと。こちらは、名古屋市東山植物園蔵。
雑花園文庫蔵『嘗百社交流申入状』(51)は、嘗百社が、様々な珍しい動植鉱物等の情報と現物についての交換を呼びかけたチラシ的なもの。水谷豊文の名前があり、嘗百社という名前が成立したと思われる文政年間から、豊文存命時のものと推定されていた。禽獣の場合には、剥製にして送ってほしい、としていて、その作り方なども簡略ながら説明されているのがまた興味深い。
『乙未本草会物品目録』(52)は、嘗百社による天保6年(1835)の本草会の記録。展示されていたのは、蓬左文庫蔵で、浅井董太郎による献上本。全編手彩色という特製本(流布本に彩色はない)で、パネル展示もされていた。
【蛇足。浅井董太郎は、尾張藩奥医師を務めた名古屋浅井家の浅井紫山(1797〜1860)のことか。
日本掃苔録 浅井紫山 http://soutairoku.com/01_soutai/01-1_a/03-1_sa/asai_tonan_owari/asai_sizan.html の項を参照。】
『吉田翁虫譜』(55)は、名古屋市博物館蔵。国立国会図書館所蔵本と比較すると、細密度で劣るとのことで、写本からの再転写ではないかと推測されていた。
【蛇足。吉田高憲(雀巣庵・1805〜1859)の著作で、展示されていたのは弟子の小塩五郎による写本。雀巣庵虫譜とも。国会図書館本は http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537382 と http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2607881 の少なくとも二種あり。磯野年表によると東京大学総合図書館本がもっとも伝存巻数が多いらしいが、OPACでは特定できなかった。田中芳男文庫か。】
伊藤圭介が江戸・東京に転じた後も嘗百社で活躍した小塩五郎(1830〜1894)筆の『扶桑動物随観図説 魚之部』(56)も名古屋市博物館蔵で、愛知医学校の奈良坂源一郎旧蔵。東京帝大の田中茂穂によるという学名同定結果を記した付箋あり。
【蛇足。奈良坂源一郎(1854〜1934)は愛知医学校・医学専門学校(名古屋大学医学部の前身)で活躍した解剖学者。愛知県教育博物館に設立に関わるなど、博物館史の面でも要注目の人物の模様。
島岡眞「奈良坂源一郎関係史料目録(一) - 履歴関係資料のリスト及び解題 -」名古屋大学博物館報告. v.22, 2006, p.249-266 http://dx.doi.org/10.18999/bulnum.022.10
西川輝昭「愛知教育博物館関係史料の紹介と解説(その1)」名古屋大学博物館報告. v.21, 2005, p.173-182 http://dx.doi.org/10.18999/bulnum.021.12 】
徳川美術館蔵『百鳥図』(59)は、幕府所蔵の『百花鳥図』を借用して作成した写本とのこと。
【『百花鳥図』は元文2年(1737)に中国からもたらされたといわれるものか。尾張徳川家で作られた写本となれば、舶来した写本の姿をよく残している可能性もありそう。】
「五、尾張の殿様と本草学」では、尾張徳川家に関わる資料やエピソードを紹介。
ここでは、天保4年(1833)の海獣(ゴマフアザラシかアゴヒゲアザラシだったと推定されるとのこと)騒動について、『天保四巳日記 海獺談話図会』(60・岩瀬文庫蔵)、銅鐫海獣図説』(61・名古屋市博物館。鐫はつくりの上にに山かんむりあり)、『萩山焼膃肭臍置物』(62・徳川美術館蔵)の3点の関連資料が並ぶのが目を引いた。当時の海獣ブームの盛上りぶりを示していて興味深い。なお、62はアザラシっぽい動物を象った陶器。
徳川慶勝(1824〜1883)『小禽帳』(67)は、安政4年(1857)に慶勝が目撃した鳥の名前を日付とともに記録したもの。押花標本を冊子にまとめた『群芳帖』(65)なども。徳川林政史研究所蔵。
【蛇足。磯野年表では「今後の研究が待たれる博物大名である」と評されており(p.664)、今回、関連資料が展示されたことで再検討が進むと良いなあ、と思ったり。】
『築地名苑真景・草木虫魚写生図巻』(70)は徳川美術館蔵で、植物、昆虫、魚類などが描かれているが、筆者等は不明。巻頭・巻末に、尾張藩の江戸蔵屋敷周辺の風景が描かれていることから、その周辺で観察されたものが描かれているとも。講座では、名古屋市の水族館(名古屋港水族館か)や植物園(名古屋市植物園か)のスタッフと共同で、描かれている魚類、植物等の同定を試みているものの、種の特定に必要な情報が描き込まれていないことも多く、難しいとの話が紹介されていた。
『木挽町御屋敷絵図』(69)はその関連資料で、蓬左文庫蔵。蔵屋敷周辺の工事予定図面で、対照することで、70で描かれている風景が、確かに蔵屋敷であることが確認できる。
というわけで、つくづく図録がないのがもったいない展示でした。紹介しなかった展示資料についても、違う方が見れば、また違った面白さがあるかと。
あ、尾張本草学や嘗百社に関心を持った方は、講座でも紹介されていた、名古屋市博物館『没後100年記念 伊藤圭介と尾張本草学 名古屋で生まれた近代植物学の父』展(2001)の図録も参照していただくと良いかと。
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