第17回文化資源学フォーラム「周年の祝祭—皇紀2600年・明治100年・明治150年—」
第17回文化資源学フォーラム「周年の祝祭—皇紀2600年・明治100年・明治150年—」
日時:2018年2月11日(日曜日)13:30~17:00
会場:東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/forum/forum17.html
に先日参加してきた。
これまでの例からすると、詳細な報告書が今後作成されて、上記ページで公開されると思うので、詳しくはそちらを見ていただくとして、いくつか気になった点だけ、メモ的に書いておこうと思う。
まず、このイベントの性格について、確認しておこう。
配布資料の表紙に
企画運営:「文化資源学フォーラムの企画と実践」履修生
とあることから分かるように、このフォーラムは、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻という大学院の演習の一環となっている。
フォーラム冒頭の中村雄祐氏(同大学院教授)の説明によれば、M1、D1の学生が1年かけて企画を練り上げ、開催するという、人文系の大学院では珍しいタイプのグループ演習なのだそうだ。
あ、ちなみにこのメモでは、敬称は「氏」で統一するのでご容赦を。学生と先生とで区別しているとややこしいので。
修士1年の鈴木健吾氏による開催主旨説明では、テーマ設定に至るまでの過程も紹介された。候補としては、50年前の学生運動や、オリンピック・パラリンピックなどが候補になったそうで、運動と祝祭の対立という議論を経て、近代の周年行事を考察することになったとのこと。なるほど本当にグループ演習だ、という感じである。
また、開催主旨説明に合わせて、配布された学生による論集のダイジェスト的な報告もされていた。この学生の論集がなかなか面白いのだが、ネットで公開されるかどうか分からないので、目次を掲げておこう。
学生報告(1):「皇紀2600年」1940年
「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」の絵画にみる〈日本的なもの〉の〈保存〉(大橋利光)
「紀元二千六百年祈念万国博覧会」における保守と進歩(石橋幹己)
紀元二千六百年記念行事を彩った音楽――国家による音楽利用(高橋舞)
学生報告(2):「明治100年」1968年
明治百年を巡る「歴史戦」(鈴木健吾)
明治百年記念事業と国立歴史民俗博物館(市太佐知)
学生報告(3):「明治150年」2018年
「明治150年」関連施策の概況(田中淳士)
「明治150年」関連施策と日本におけるデジタルアーカイブをめぐる課題と現状(林茉里奈)
祝祭と保存、そしてデジタルアーカイブ化の意義(川島六)
松田陽准教授に聞く――「明治期の文化遺産を取り巻く状況と明治150年事業について」(聞き手:門脇愛)
さて、フォーラムの本体は、古川隆久氏(日本大学文理学部史学科教授)の講演「紀元2600年奉祝の諸相」と、佐藤卓己氏(京都大学大学院教育学研究科教授)の講演「記憶の歴史化イベントとしての明治百年祭」と、講演のお二人にモデレーターとして木下直之氏(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻教授)を加えたパネルディスカッション「明治150年について」の3部構成。
詳細は報告書で見てもらえば済むことではあるのだが、一応、ポイントだけ紹介しておくと、古川氏の講演では、経済効果を狙った万博、オリンピックが、紀元二千六百年記念事業に合流していく過程や、国家イデオロギー浸透策的性格が強調されがちな紀元二千六百年記念事業の中にも、当初から観光振興的な要素が含まれていたことなどが紹介されていた。記念式典の日は昼から酒が飲めると飲食店が満員、とか、神武天皇の聖跡を訪ねることを名目に奈良への観光に出かけるなど、戦時下の息抜きとして記念事業や式典を捉えていた様子も興味深い。
佐藤氏の講演では、トルコからの留学生トパチョール・ハサン氏の博士論文「戦後日本における近代化「記憶」と「場」の揺らぎ―メディア・イベント「明治百年祭」(1968)を例に―」の概要が紹介されていた。現在を象徴する1964年の東京オリンピックと、未来を象徴する1970年の大阪万博に挟まれ、同時代的には様々な議論を呼び起こし大規模な式典も開催されながら、現在はほぼ忘れられた存在となっており、過去を指向する「明治百年祭」について、背景や反対論、京都とハワイの事例にみる受容の多様性などが紹介されていた。なお、トパチョール・ハサン氏の博士論文の一部を構成すると思われる次の論文が公開されているので、そちらも参照いただくと良いかと。
「トルコ共和国百年祭(2023年)のメディア・イベント-明治百年祭(1968年)との比較分析から-」京都大学大学院教育学研究科紀要. 61. pp.285-297.
http://hdl.handle.net/2433/196900
「戦後日本の記憶研究と歴史学者の記憶意識-明治百年祭(1968)を例に-」京都大学大学院教育学研究科紀要. 63. pp.367-378.
http://hdl.handle.net/2433/219234
パネルディスカッションでは、木下氏から、神戸須磨浦公園の現在は「みどりの塔」と呼ばれる記念碑についての話が紹介された。みどりの塔の説明板には、戦後まもなく、26年にみどりの羽運動で造られたとの説明が書かれているが、実はその裏に、神武天皇の陶製のレリーフが残っていて、実はこの塔は紀元2600年の慶祝記念物として、神戸新聞社が力を入れて建設されたものである……という話で、終わるかと思いきや、木下氏の話はさらに続く。このみどりの塔に置かれていた地球儀の像が、阪神淡路大震災の際に落ちたことで、震災のモニュメントになっているという。一つのモニュメントが時代に応じて、意味を変えていく、という興味深い話だった。
その後は、紀元2600年、明治百年、明治150年のそれぞれに関連して、講演のお二人による議論が展開されたのだけど、詳細は報告書にお任せすることにして、特に明治150年とデジタルアーカイブに関する議論を紹介しておこう。
まず、何故デジタルアーカイブが話題になったのかを確認しておこう。学生の論集でも紹介されているが、明治150年関連事業においては、建築物でも、式典でもなく、デジタルアーカイブ事業が取り上げられていることが一つの特徴となっている。
ソースとしては、首相官邸ウェブサイトの
「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議/内閣官房「明治150年」関連施策推進室
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/
で公表されている、第8回「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議でとりまとめられた関連施策と、
明治150年ポータルサイト
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/portal/
の「デジタルアーカイブ」からリンクされている各データベース等を参照いただきたい。
なお、学生の論集では、個別のデジタルアーカイブの整備から連携の重要性について議論が展開されていたり(「明治150年」関連施策と日本におけるデジタルアーカイブをめぐる課題と現状(林茉里奈))、デジタル化を次世代の継承のためと位置づけていたり(祝祭と保存、そしてデジタルアーカイブ化の意義(川島六))という形で、デジタルアーカイブが取り上げられている。
シンポジウムでは、明治百年との比較として、民間での出版事業との対比がなされていた。明治百年では、岩波書店『近代日本総合年表』や、筑摩書房『明治文学全集』、原書房『明治百年叢書』などの、基本的な文献・資料集が民間から刊行されたが、明治150年ではこうした基礎資料的なものがデジタルアーカイブとして提供されようとしている、という話である。木下氏は、アーカイブ化の重要性とともに、何がアーカイブされるのかが問われる、という問題も提起していた。
また、明治150年において「記憶の道具化」を避けえるか、という問いについての、佐藤氏による回避しえない、という回答をきっかけとして、検証可能性が確保される形で、デジタルアーカイブ化が進み、基礎資料が誰が利用できる状況を作り出していけるのかという課題が、木下氏から示されていた。同じ時代、事象であっても、光の当て方で、まったく異なる歴史が浮かび上がる、という状況をどのように作り出していけるのか、という問いでもある。
その一方で、佐藤氏からは、デジタルアーカイブについて文化政策とメディア政策という観点から触れる場面があった。文化政策として取り組む場合には、良いものを選別する、という方向になりがちなので、アクセスを幅広く、多く増やしていくというメディア政策として取り組むべき、との提言である。日本がいかに情報のハブとして機能し得るのか、海外にどう発信していけるのか、というメディア政策的視点が不足しているし、問われているという話だった。
これを受けて、木下氏からは、何を公開するのか裏には何を公開しないのか、ということが隠れているとの指摘があり、その事例として、日清戦争・日露戦争の際に皇居敷地内に作られた戦利品を入れる蔵(「御府」)についての話が紹介された。台湾からは、Googleマップで今も存在が確認できるものの、戦利品そのものは宮内庁は存在していないとしているのだが、実は、宮内庁書陵部のデジタルアーカイブで、かつてのその蔵の写真が公開されていたという話である。
(なお、戦利品の一例としては、台湾から返還要求のあった「台湾民主国の国旗」が紹介されていた。同国旗は台湾総督府博物館時代に作られた複製が国立台湾博物館に遺されている。 http://www3.ntm.gov.tw/jp/Collect_4_1_2_50.htm )
また、デジタルアーカイブに限定された話ではないのだが、日本の「強み」としてかつては重視されていた軍事という側面が、明治150年関連事業では様々な点で欠落している、という話も示唆的だった。
以上、雑駁なメモなのだけれど、時間もたってしまったし、いつまでも抱え込んでおいてもしかたないので、とりあえず公開しておく。
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