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2021/09/30

戸田山和久『100分de名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』』NHK出版, 2021

番組は見てたんだけど、テキストは積ん読になってた、戸田山和久『100分de名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』』NHK出版, 2021.を読了。

わりと、番組の中でポイントは紹介されていて、細部の表現的な部分の解説をテキストでは補う、という感じ。『華氏451度』を一種のビルドゥングスロマンとして読み解きつつ、「啓蒙」の困難さからの逃避ではないか、という形で、ブラッドベリの描き出した問題を批判的に問い直そうとしている。

特に、第4回「「記憶」と「記録」が人間を支える」の最後の方で語られている、次のことばがとても印象に残った。

「本より大切なのは、記憶し伝えること(本はその手段)と、それに基づく反省的思考です。この二つが失われると社会は愚者のパラダイスになります。そして、愚者のパラダイス化を避けるために終末論的リセットに期待してはなりません。《知識人》は社会の中で粘り強く《啓蒙》を続けていかなければいけないのです。しかし、大衆化した現代社会において、《知識人》による《啓蒙》ほど困難なものはありません。それをどのように再構築するのか。」

この一節に代表されるように、「社会の中で粘り強く《啓蒙》を続けて」いくことの困難さを示しつつ、にもかかわらずそれが失ってはいけない営為であることを、このテキストは、『華氏451度』という題材から、繰り返し語ってくれている。現代の社会状況を踏まえて読むと、切実すぎる話でもある。

また、大量の情報を入手してそこに埋もれることが重要なのではなく、取り入れた言葉や知識を梃子に、自らを省みて考え、行動し、変化していくことが重要という指摘は、図書館やデジタルアーカイブが、単なる情報提供サービスではなく、知識や文化の再生産や、課題解決など次の行動へつなげていくための場であり、インフラでなければならない、という議論に接続することも可能かもしれない。一方で、容易に思考を放棄させようと人々を包囲するメディアとしても、図書館もデジタルアーカイブも機能しうる、という危険性も、忘れてはならないのだろうと思ったりした。

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2021/09/26

樋口恭介『未来は予測するものではなく創造するものである─考える自由を取り戻すための〈SF思考〉』筑摩書房, 2021

樋口恭介『未来は予測するものではなく創造するものである─考える自由を取り戻すための〈SF思考〉』筑摩書房, 2021.を読了。

未来のあり方を想像し、創造するための手法として、SF小説(厳密には小説に限らないが)を活用する、SFプロトタイピングについての解説と事例集。著者はSF作家であるとともにコンサルタントとして活躍しており、通常の課題・問題解決を旨とするコンサルとは、本質的に異なるものとして、SFプロトタイピングを位置づけつつ、SF的な発想や考え方そのものを、未来を自分たちで作り出していくために必要なものとして位置づけ、その重要性を語っている。

実践的な手法についても解説されているのだけど、そうはいっても、自分たちでいきなり実践するより、まずは著者に依頼するのが一番手っ取り早そう、という気持ちにさせる、という意味では通常のコンサル本的な性格も。

予測と予想に縛られた思考から解き放たれるために、SF的な想像/創造力が有効である、という話は、刺激的。明るい未来だけではなく、ディストピアを想像した上でその未来にどう対抗するのか、という発想をするというのもあり、という感じなので、現状ではむしろディストピア的想像力の方が案外ぶっ飛んだ発想ができるかもしれない、などと思ったり。

何にしても、こういうワークショップ、図書館や博物館関連のイベントで、情報や、知識、文化の未来を想像する、という感じでやってみたら楽しそうだなあ(と思ってしまう時点で、著者の術中にはまっているような気も……)。

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2021/09/25

吉村生・髙山英男『水路上観察入門』KADOKAWA, 2021

吉村生・髙山英男『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』KADOKAWA,2021.を読了。

板橋区立高島平図書館で開催されている「高島平×水路上観察入門展」(2021/9/12(日)~10/3(日))が面白かったので購入して一気読み。暗渠化された河川の上の空間を歩き、観察する楽しみを、著者お二人の異なる視点、アプローチで紹介している。

暗渠の上がどう変貌したかを楽しむか、暗渠化されてもなお残る河川の痕跡を楽しむか、楽しみ方はそれぞれ微妙に異なるが、都市・住宅地の開発の中で隠され、忘れられ、捨てさられたものが、さまざまな形で吹き出してくる、その様相がなんとも味わい深い。

それにしても、今はウォーターフロントなどと持てはやされたりもするが、高度成長期における都市部の河川は、工場・生活排水が流れ込み、汚濁にまみれ、悪臭を吹き出す悪所であり、住人から暗渠化が望まれるものだった、ということを自分は完全に忘れ去っていた。いかに人は忘れるのか、ということを改めて突きつけられた感じもする。

まあ、そんな堅苦しいことを考えなくても、暗渠とその周辺には、それぞれの地域の普段は忘れられた歴史と、普段は意識化されない生活のありようやその変化が詰まっている。それを写真や解説を通じて、ゆるやかに楽しむ視点を提示してくれる一冊。なお、写真が大量に詰め込まれていてそれがまた楽しいのだけれど、紙では一つ一つの写真が小さいので、老眼には、拡大できる電子版の方がよいのかも。

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2021/09/21

『図書館雑誌』2021年9月号 特集「地域資料のいまとこれから」

『図書館雑誌』2021年9月号(vol.115 no.9)が届いた。特集は「地域資料のいまとこれから」。

とにかく、福島幸宏「地域資料の可能性」(p.568-571)は必見。著者のこれまでの図書館再定義論に関する文献と、関連する他の論者による主要文献に言及した、自身によるレビュー論文とでもいうべき論考で、ここを起点に、注記にある各文献にアクセスすることができる。今後、議論を深めるための起点を提供する一本。地域における社会運動や、ボーンデジタル情報への目配りも。それにしても、この論考が図書館雑誌の特集冒頭を飾る時が来た、ということ自体が事件かもしれない。

特集では、取り組み事例として、青森県立図書館デジタルアーカイブとっとりデジタルコレクションといったデジタルアーカイブや、丹波篠山市の地域資料整理サポーターの活動、埼玉県立小川高等学校を中心とした「おがわ学」における町立図書館の貢献、福岡アジア都市研究所のコレクションの紹介が、当事者である各論者により執筆されている。デジタルアーカイブ以外の事例においても、デジタル化やオンラインへの対応に関する記載がある点も注目だろう。敢えていえば、後は大学と地域との関係についての論考があれば…、というところだろうか。

特集最後の是住久美子「図書館はオープンガバメントに貢献できるか」(p.583-585)は、2018年3月に慶応義塾大学において開催された公開ワークショップ「図書館はオープンガバメントに貢献できるか?」での議論を起点に、地域資料や行政資料のオープンデータ化に図書館が果たすべき役割と、その効果について論じている。特に公共図書館に「市民の参画や行政と市民との協働」という視点を導入しようする点が重要、という気がする。

特集をざっと通読して、地域や地域資料が、なぜ重要なのか、という点についての検討が物足りない感じがして、そこが少し気になった。図書館が大手カフェチェーンと組み合わさることで、その地域とはある種独立した、都会的な空間の提供場所として評価されることが少なくない状況において、なぜ地域が重要なのか、ということについては、改めて問い直しておく必要があるような気がする。また、地域は、さまざまな社会・経済関係の基盤であると同時に、さまざまな社会的・人間関係的制約により個人を縛るものでもある。地域の公共図書館が、結果的に地域に住む人たちを地域のさまざまな制約の中に縛りつけるための仕組みとして機能する可能性について、もう少し敏感になった方がよいのかもしれない。先に触れた是住氏の論考では、地域を開いていくための地域資料の可能性も論じられているのだけれど、それに加えて、地域を変えていくための地域資料の可能性も、考えていく必要があるのかも。難しいとも思いつつ。

何にしても、福島氏の論考によると、蛭田廣一『地域資料サービスの実践』日本図書館協会, 2019.(JLA図書館実践シリーズ41)が出発点になるので読んどけ、ということのようなので、読まねば。

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2021/09/20

ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)36号(2021年夏号)特集 戦争の記憶と記録

ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)の36号を、電子版で一通り読了したので感想をメモ。

特集「戦争の記憶と記録」については、「大事なことはわかりやすい節目を待つ必要はありません」という、岡本真氏の巻頭言の一言は確かにそのとおりかと。全体として、1945年以前の戦争の経験者が現実にいなくなっていく、という状況下で、かつ戦争を知らない若い世代を拒絶しない形の戦争体験の継承がどのように可能か、という論点と、図書館等による戦争資料の収集と、組織化を通じた戦争資料を見える化していく取組みをどのように行なっていくことができるのか、という論点が絡み合う形で議論されている、という印象。

それと、水島久光「付記 デジタルアーカイブ化に向けた「レベル」別支援」(p.82-83)における、

「ある物品や文書資料を、「戦争」に関連づけて拾い上げる行為がなされて初めて、それらは「戦争関連資料」として認識されるのであり、その点において「目録」づくりは、行為遂行的(performative)なアクションであるということができる。」

という指摘は、戦争関連の資料に限らず、いわゆる主題書誌、専門書誌、参考書誌とは何なのか、ということを考える際に、重要なのではないだろうか。

また、正面からはあまり論じられていないが、歴史修正主義者の活躍が、出版においても猖獗を極める状況下において、いかに戦争資料を収集し、提示していくのか、という問題も背景にはあるように思う。歴史修正主義者(正確には修正ではなく、改変・捏造と言うべきだろうが…)に対して、地道に抵抗していくためにも、戦争資料の蓄積と組織化、そしてそれに基づく提供と共有は不可欠だろうが、だからこそ、攻撃対象となるリスクも伴う。また、特にサブカルチャーやSNSで歴史修正主義的な見方を先に身に付けてしまった人たちに対して、どのように蓄積された資料を提示していくのかは難しい課題だろう。間口を広くしつつ、資料への向合い方について、どのようにして考え直す契機を作り出すのか、という問いも絡んできそう。

こうした難しさに対峙していくためには、組織・機関を越えた横のつながりが必要で、その意味でも、現状をレポートし、課題を整理したこの特集の意味は大きいと思う。「展示」や「目録」という既存の手法をどのようにデジタル環境に組み込んでいくのかという面でも意欲的な議論が展開されているところもありがたい(例えば、椋本輔・上松大輝「戦争関連資料をつなぐメタデータ共有システムの構想」(p.84-93))。

あえていえば、日本社会が直接、間接に関わった1945年以降の戦争についても、ここで議論されているような方法で対応できるのかどうかが気になるところではあり。ただ、そのあたりは、責任編集者でもある水島久光氏の『戦争をいかに語り継ぐか 「映像」と「証言」から考える戦後史』NHK出版,2020.(NHKブックス No.1263)をまずは読んでから考えるべきなのだろう。

連載では、奈良県立図書情報館の乾聡一郎氏のインタビュー(「司書名鑑nol.31」)におけるイベントに対する考え方(「続けることが目的になるようなことがあったら、そのイベントの使命は終わったという考え」)が印象に残った。

また、猪谷千香氏による現代マンガ図書館の蔵書も集約された米沢嘉博記念図書館についてのレポート(「猪谷千香の図書館エスのグラフィーvol.17」)では、複写サービスを行なっているところに注目していて、言われてみると、確かにそれは、なぜ「図書館」なのか、という点で、重要であることに気付かされた。

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2021/09/19

『世界』(岩波書店)2021年10月号(第949号)

電子版出ないのかなあ、と思いつつ、岩波書店の『世界』2021年10月号を紙で斜め読み。以下、気になった記事についてメモ。

河田昌東「世に放たれたゲノム編集野菜」p.10-14.

CRISPR-Cas9等のゲノム編集技術を用いた品種の栽培の拡大についての話。遺伝子組換え野菜と異なり、外来遺伝子が導入されていなければ表示義務がない、というのは、知らなかったのでちょっと驚いた。

消費者庁のサイト(ゲノム編集技術応用食品の表示に関する情報)をみると、確かに、遺伝子組換え相当かどうか、という基準が導入されている。基準の妥当性云々以前に、こうした議論がなされていたことが、自分のアンテナにまったく引っかかってこなかったことに、軽く衝撃を受けた。あまり話題になってない、というのもあるのではとは思うものの、自分の感度の低さが少々腹立たしい。

東大作「アフガン政権交代 失敗の教訓と平和作りへの課題」p.25-35.

米国の戦略がことごとく狙いを外していく一方で、タリバンが地元密着の課題や対立の解決に地道に取組み、各地域の人々の支持を着実に獲得してきたのかについて言及されている。過去に何度かあった和平のチャンスが、米国の姿勢や、様々な状況の影響で失われていたことも紹介。

それにしても、9・11で亡くなった死者約3千人。そして、その後の20年間でアフガニスタンでの戦闘で亡くなった死者は、一般市民が毎年数千人、戦闘員は数万人と推定されているという。9・11の衝撃を、私は忘れることができないが、その一方で、9・11への対応を契機として行われた戦闘によってアフガニスタンで死んでいった人々のことを、私は、忘れるどころかそもそも正確な死者数すら知ることがない。この圧倒的な非対称性に呆然とした。死者に対するこれほどの記憶の非対称性を何とかしない限り、憎しみや不信が消えることはないのではないか、という気がした。

山岡淳一郎「コロナ戦記 第13回 デルタ株との総力戦」p.54-63.

河井香織「分水嶺Ⅱ コロナ緊急事態と専門家 第4回 コロナ災害の中の命」p.64-75.

今の『世界』の看板連載2本。継続して、新型コロナウイルスへの対応状況を追いかけるには、どちらも必読だろう。現場の病院や自治体の対応を中心にした「コロナ戦記」と、政府と政府と直接やり取りする立場にある専門家たちの動きを主に追う「分水嶺Ⅱ」という感じ。

今回は、どちらもデルタ株による医療危機の状況への対応について記録している。特に「コロナ戦記」の備えがあった自治体の対応の記述が印象に残る。おそらく、のど元過ぎればなんとやら、に(自分も含めて)なると思うので、一部の例外はあるにしても、全体としてはいかに備えが薄かったか、ということを確認する意味も含めて、こういう記事は重要かと。

西山太吉「「NHK」に問う 「独占告白 渡辺恒雄」を視聴して」p.84-89.

昭和編を見て、なんでこんな自慢話を、貴重な証言とかなんとか持ち上げるのだろう、という感想だったので、平成編は見てないんだけど、これを読んだら、まあ、見なくてよいか、という感じに。

新聞が政治運動と関わる形で立ち上がってくること自体は、別に日本に限ったことではないだろうとは思うものの、政治から独立したジャーナリズムという、独自の領域を明確に確立する方向に向かわなかったことの、少なくとも責任の一端は、渡辺氏にあるのでは、という気も読んでいてしてきた。

池田明史「多極化する中東世界 イスラエルとアラブの「接近」が意味するもの」p.152-161.

「アラブの春」により、各国の諸勢力間のパワーバランスを巧みに操ることで維持されてきた独裁政権が倒されたことで、各国内で諸勢力間の直接の対立関係が顕在化した、という見立てがなるほど。その結果として、外交面での安定志向から、イスラエルとは融和の方向に多くの国が向かっており、パレスチナ問題は既にイスラエルの国内問題となりつつある、というのが、読んでのざっくり理解(雑なまとめなのであまりあてにしないように)。

撤退を進める米国と、影響力を強める中国・ロシアの思惑もからまり、新型コロナによって一端先送りされてきた各国内および国際的な対立関係や、各国の民衆レベルでの不満の高まりなど、様々な要因が絡まりあっている状況が解説されていて、納得感あり。ただ、こんなのどうすりゃいいんだ、という感じでもある。

稲葉雅紀「ポスト・コロナを切り拓くアフリカの肖像」p.192-199.

勝俣誠「新しい南北問題の中のアフリカ パンデミック、武力紛争、気候変動」p.200-209.

アフリカ関係2本。今、総合誌でこういうのが読めるのは『世界』だけかもしれない。

「ポスト・コロナを…」の方は、国際的に活躍するアフリカ出身の人々を紹介。登場するのは、国際的なワクチンギャップに対して果敢に交渉を繰り広げてアフリカでのワクチン供給の道を切り開こうとするストライブ・マシイワ氏(アフリカ連合コロナ特使)、先進国による圧力を受けつつも新型コロナ対策のための多国籍間の枠組みの構築と維持に奔走するテドロス・アダノム・ゲブレイェスス氏(WHO事務局長)、WTOを舞台にワクチンに関する知的財産権の一部免除を提案し交渉を繰り広げるシリル・ラマボーザ氏(南アフリカ共和国大統領)、その提案を受けて調整のかじ取りを担うオコンジョ=イウェアラ氏(WTO事務局長)。過酷な時代、状況を乗り越えてきた人々による、脱植民地化を含む新たな動きを紹介している。

一方で「新しい南北問題…」の方は、特に赤道以北のアフリカ諸国が、ヨーロッパ諸国とイスラム諸国の思惑に振り回されてきた構造を、「文明の境界としての地中海」を軸に解説しつつ、各国の貧弱な公共セクターや、分断された農業従事者などの問題、継続的な産業政策のための援助の欠落など、様々な問題があること紹介している。また、アフリカに介入し続けてきたフランスへの抵抗やそれを受けたフランス側の変化など、植民地の問題が今も続いていることがよく分かる。

小笠原みどり「寄宿学校の遺体と植民地国家の罪:タニヤ・タラガ著『命を落とした七つの羽根—カナダ先住民とレイシズム、死、そして「真実」』」p.260-263.

村上佳代訳、青土社2021年刊の書評を通じて、カナダの先住民政策政策の問題点についても紹介。

カナダでは、今年、19世紀末から設置された先住民向けの学校である「インディアン寄宿学校」において、劣悪な環境で多くの先住民がそこで死に追いやられ、遺体が敷地内に大量に埋められていたことが明らかになったとのこと。多文化共生というカナダの人々のセルフイメージに対して深刻な疑問が突きつけられているという(その一方で、追悼のために州議事堂が人々が持ち寄った子ども靴やぬいぐるみで埋め尽くされたという話も紹介されている)。

評されている書物自体は、2000年から2011年に行方不明となり、亡くなった7人の若者の足跡を追い、その中で、先住民に対する制度的な人種差別の状況を描き出しているという。こうした書物の刊行が、近年のインディアン寄宿学校の調査につながっているとのこと。

差別などない(自分は見たことがない)という言葉を軽々しく語ってはいけない、ということでもあるだろう。一度不可視化された構造的差別の実態を明らかにするためには、そのために相当の努力が必要であることも分かる。


その他、東京オリンピック特集は「敗戦」と戦争の比喩を使っている時点で今一つピンと来ない感じ。

「脱成長」特集は、評価が難しい。市場の暴走を抑えつつ、格差を拡大させず、かつ循環がうまくまわる経済システムをどう構想するのか、というのは、簡単な話ではなさそう。

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2021/09/18

筒井清忠 編『大正史講義』筑摩書房, 2021.(ちくま新書)

筒井清忠 編『大正史講義』筑摩書房, 2021.(ちくま新書)

出版社の紹介ページはこちらに。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074164/

少し前に読了。それにしても、大正時代は「○○事件」多過ぎ……。まったく覚えきれない。しかも第○次とかつくと、もうお手上げ。とはいえ、宮中某重大事件は、やっとどういう話か覚えられた気がする。第18講の黒沢文貴「宮中某重大事件と皇太子訪欧」のおかげです。現代なら、川端裕人『「色のふしぎ」と不思議な社会─2020年代の「色覚」原論』筑摩書房, 2020.をまず読んで落ち着け、という話なのだけど、当時はそういう感じだったのか、ということも含めて、なるほどだった。

正直、「○○事件」もそうだけれど、このシリーズは、固有名詞ががんがん説明なしに出てくるので、最初に読む一冊としてはきつい印象。一方で、教科書的記述からもう一歩踏み込んで、多様な切り口から歴史を見直す、という意味では相変わらず見事な編集と構成ではないかと。

単に自分が不勉強なだけ、という話もあるが、あちこちに、読んでいて、なるほど、そうだったのか、と思う記述がちらちら出て来て勉強になった。例えば、第5講の牧野邦昭「大戦ブームと『貧乏物語』」での、現在の日本国内の代表的美術品コレクションが第一次世界大戦による好景気によって巨額の財を築いた経営者により蓄積された、という指摘は実は重いのでは。欧州で大量の血が流れたことで得られた財で蓄積された美術品、文化財を今の自分たちが楽しんでいる、という構造をどう捉えればよいのか、複雑な気持ちになった。

以下、いくつか印象に残ったポイントをメモ。

第6講の渡辺滋「寺内内閣と米騒動」では、世評低めの寺内内閣の時期に、理化学研究所の設立などの研究機関の整備や、後の科研費に繋がっていく科学研究奨励費の制度整備が進んだ、という指摘に、なるほどそれも寺内内閣だったのか、と認識を新たに。

第12講の高原秀介「日露戦争後の日米関係と石井・ランシング協定」には、さらりと、ハワイについて、日本人移民の増大とハワイ政府と日本政府との親密な関係等を警戒した米国政府が1898年にハワイ併合に踏み切った、という記述があったりして、え、そうだったの、となったり。

第16講の進藤久美子「女性解放運動──『青踏』から婦選獲得同盟へ」での、治安維持法の成立が、婦人参政権獲得運動に大きな影響を与えたというくだりも、まったくそういう認識がなかったので驚いた。「男女平等の政治的権利の要求は「国体の変革」と直結する危険性を内包していた」という視点は、現在のバックラッシュの状況との関連も含めて、実は重要なのでは。

第19講の筒井清忠「関東大震災後の政治と後藤新平」での、後藤新平礼賛・神格化に対する徹底的な批判も印象的。様々な史料を参照しつつ、当時の政治状況を踏まえてぶった切るところが痛快ですらあり。また、講末尾では、大規模災害に対応するための政治のあり方について、一般化して論じる、という踏み込んだ構成になっている点も要注目。

以上、個人的に印象に残ったポイントを拾って紹介したが、他の各講も示唆に富む記述がそこかしこにあって、面白かった。さらに詳しく知りければ、各講末尾の「さらに詳しく知るための参考文献」を手がかりにすれば良い、という安心感もシリーズ共通。視点が次々変わり、同じ人物に対する評価も当然それぞれの視点によって変化するので、通史的に概要を頭に入れたい、という目的には向かないとは思うが、視点を変えることで世界と歴史の見え方が次々と更新されていく楽しみは味わえるかと。

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2021/09/13

『文献』(明治堂書店)第四号(昭和三年十一月)

久しぶりに昼間に少し時間が取れたので、神保町で古書店の平台を覗いたりしてふらふらと。

店の中までじっくり見て回ったわけでもないので、特段収穫というほどのものはなかったのだけど、明治堂書店の古書目録+古書関係エッセイ雑誌の『文献』第4号(昭和3年11月)を入手。結構面白かった。

後で確認したら、国立国会図書館所蔵本は布川文庫だった。ゆまに書房から1993年に復刻版(書物関係雑誌叢書 第16巻 (書誌書目シリーズ 34))も出ている。

表紙裏には、明治22年刊の『須多因氏講義』の広告。同書を創刊号に掲載したところ注文殺到、「今回当時の売買書肆の倉庫に残りしもの不思議にも震災の厄を免れて」入手できたので廉価でお薦めできると売り込んでいる。

タイトルページには、服部応賀『活論学門雀』初号上冊序文を引用。(同書は、早稲田大学所蔵本がデジタル化され、公開されている。)

以下、目次を若干の覚えとともに紹介しておく。

「元禄二年江戸の本屋(江戸図鑑綱目乾諸商人無類之分並本屋家書より)」ページ付けなし(2ページ)

※(メモ)近代に入っての書店、古書店の増加状況について、各種名簿類との比較での附記あり。

「スタチスチツク社沿革概要」ページ付けなし(1ページ)

※(メモ)「明治九年二月有志の士十余名「スタチスチツク」研究の為一社を興し杉享二君を推して社長となし称して表記学社と云ふ」とのこと。スタチスチツク社については、総務省統計局の「スタチスチツク雑誌」の紹介を参照のこと。

海岳堂主人(経済学博士)「先づ文献目録の蒐集から」p.1-3

※(メモ)研究に先立つ資料収集のノウハウについてのエッセイ。まずは文献目録を揃えるところから、という話。カードへの書抜きによる集めた情報の整理についても論じている。著者は誰なのだろう。

中川善之助「クランマーのことども」p.4-11

※(メモ)ヘンリー八世の離婚に免許を与えた僧侶Thomas Cranmerの事績と、関連書の収集についてのエッセイ。民法の専門家らしく、離婚法における重要人物として、クランマーについて言及している。英国オックスフォードに滞在していたようで、クランマーについて知るや否や、ゆかりの地を探し、著作を古書店に注文するなど大変活動的。「穂積先生の論文でその略伝を読んだ」の穂積先生は、穂積重遠か。

齊藤文蔵「近感四片」p.12-19

※(メモ)「維新史料蒐集の思出で」「南蛮史料展覧会」「初版購求の悲哀」「江戸城建築史料展覧会」のエッセイ4本。「維新史料…」は維新史料編纂事務局在籍時に資料収集をどのように行なったのかの回顧。体系的に収集した武鑑などの資料は、関東大震災で焼けてしまったらしい。

藤田徳松「参児制限論に関する書物二三」p.19-22

※(メモ)明治期の参児制限論に関する資料の紹介。

「編輯者のページ」p.23-24

※(メモ)「故宮崎博士の遺書」「岡本卯之助氏とその遺書」の2本。末尾に「T・M・記」とあり。「宮崎博士」は「前帝国大学法学部教授宮崎道三郎博士」のこと。「鎌倉時代の古文書を初め」とした和漢洋の珍籍を収集していたそうで、「過半母校研究室に納め」られたとのこと。おそらく、東京大学法学部法制史資料室所蔵コレクションの一部をなしているのでは。岡本卯之助は三井物産に勤務し、商学関連の資料を中心に美本を集めていたとのこと。

「新集古書販売目録 昭和三年九月、十月中蒐集」

※(メモ)エッセイ部分とページ建てが別で和書53ページ、洋書11ページあり。赤丸の書き入れがあり、旧蔵者が注文したか、注文する候補にした本がどんなものなのかがうかがえて、ちょっと面白い。なお、前項によれば、岡本卯之助旧蔵資料が、「商業史」の項に掲載されているとのこと。

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2021/09/12

Code4Lib JAPAN Conference 2021

2021年9月12日の、Code4Lib JAPAN Conference 2021の特別セッション、鼎談「『ビジョン2021-2025 国立国会図書館のデジタルシフト』からライブラリーの未来を考える」に登壇したので若干メモ。(プレゼン資料)。

大向一輝先生の「すべてがNDLになる」というキーワードから、Slackで皆さんが自分のNDL化を宣言するというダイナミックな展開で、びっくりしたけど、期待の大きさを改めて痛感。

地方議会の議事録等、自治体の公開情報や、教科書、Webコミックなど、一般的な出版物とは異なるルートで流通している「出版物」(Webでの公開含む)をどう保存し、アクセス保障をするのか、という問題がSlack上で展開されていたのも重要かと。

期待や影響が大きくなっている分、最後に、福島幸宏先生が拾ってくれたけど、NDLの創設時から続く理念とか、理想とかの重要性を改めて感じた。自分たちが邪悪にならないために、出発点を繰返し確認しないといけないのでは、という問題意識から、今回のプレゼンでは意図して歴史的な話を組み込んだんだけど、(どこまで伝わったのかは別にして)自分的にはやっぱり、そういう視点も必要だな、と何となく納得。

他のセッションも、可能な限り参加してみたのだけれど、色々な議論があって面白かった。デジタルアーカイブの定義を巡る議論(アンカンファレンスの一つ)は、いきなり定義から入るのではなくて、議論する対象の構成要素を分析した方が良いのかも、と後から思ったり。

ライトニングトークでは、二日目のGIGAスクールによる学校の変化が印象的だった。小学生たちはデジタル環境にあっという間に適応するんだなあ。

ただ、大向先生いうところの、二つのO(おせっかいとおっちょこちょい)を余計に発揮してしまい、若手の出番を奪ってしまったかも、というのが反省点。偉い人がひょいひょい出て来ちゃったら、口出しにくいよね……。申し訳ない。他のセッションではもっと大人しくしてれば良かった。

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2021/09/07

『現代の図書館』vol.59 no.2 (2021年6月) 特集「文字・フォント・タイポグラフィ」

2021年9月6日に手元に到着。目次は次のとおり。

雪嶋宏一「西洋における活字の形成」

(メモ)グーテンベルグの活字から、ニコラ・ジャンソンによるローマン体の成立までを中心に。

安形麻理「インキュナブラ研究における活字の分類」

(メモ)インキュナブラの活字分類と、主要ツールの紹介など。国立国会図書館の電子展示会「インキュナブラ 西洋印刷術の黎明」についてもちょっと言及あり。

山本政幸「エドワード・ジョンストンのロンドン地下鉄書体とその源流」

(メモ)エドワード・ジョンストン(Edward Johnston, 1872-1944)が設計したイギリスロンドンの地下鉄で使用されている書体や、ジョンストンが影響を受けた古写本などの書物について。モダンな書体の成立の背景に、アーツ&クラフツ運動がある、というのは面白い。

小宮山博史「欧米人による明朝体活字の開発と日本への伝来」

(メモ)明朝体活字のベースとなった、美華書館の漢字活字の日本への導入史を概説。

北本朝展「日本古典籍くずし字データセットとAIくずし字認識」

(メモ)AIくずし字認識は、KuroNet。どのようにしてくずし字認識が可能となってきたのかを概説。

正木香子「図書館で出会った書体と読書体験ー文字について考えることは言葉について考えること」

(メモ)実際の版面の抜粋図版を示しつつ、書体の読書体験への影響について語る。

木田泰夫・小林龍生・村田真「電子書籍における日本語表示環境と国際標準」

(メモ)漢字表記と文字コード、ディスレクシアへの対応などアクセシビリティ、日本語約物類の扱いという3つのテーマについて分担執筆。慶應義塾大学のAdvanced Publishing Laboratory及びその周辺における議論をまとめたものとのこと。

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2021/09/05

Casa BRUTUS特別編集 動物園と水族館。

マガジンハウス、2021年刊。

出版社による紹介は、次のURLに。

https://magazineworld.jp/books/paper/5479/

国内各地の動物園・水族館を紹介するムック。環境エンリッチメントや、研究活動、環境保護への取組みなどの動物園・水族館の取組みにも目配りされている。それにしても写真がうまく、娯楽の場としての動物園・水族館の魅力もうまく伝えている。

巻末だが、海外のトップクラスの動物園・水族館の紹介もあり、スケールの大きさがうかがえる。研究や環境保護活動との関係など、先進的活動についての言及もあり。

なお、たつき監督の『けものフレンズ』絡みコメントも掲載されてたりするので(p.74)、ファンの方はお見逃しなく。

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『図書館文化史研究』no.38(2021)

日本図書館文化史研究会の会誌の最新号が届いた。発行は日外アソシエーツ。以下目次。

  • 〈論文〉

    • 山本宗由「日本図書館分類の黎明期における音楽資料の分類法 —戦前の日本十進法分類(NDC)760を中心に—」

    (メモ)戦前期の音楽資料分類について、NDC以前、NDCに影響を与えた分類、NDCに分けて紹介、分析。

    • 小黒浩司「占領期図書館統制の研究 —映画篇—」

    (メモ)山口県防府市防府図書館に残された三哲文庫や業務資料に基づいて、占領期における図書館統制、特に映画フィルムの没収の実態を論じる。

    • 河井弘志「世紀転換 大学図書館司書職成立の時代 ーオットー・ハルトヴィッヒ小伝ー」

    (メモ)ドイツにおける大学図書館司書職制度確立に重要な役割を果たしたOtto Hartwig, 1830-1903の小伝。

  • 〈資料紹介〉

    • 鈴木宏宗「『図書総目録 昭和二年七月現在』北平田村図書館」

    (メモ)山形県の北平田村図書館の蔵書目録の翻刻。戦前期の村立の小規模図書館の蔵書構成の事例として紹介。講談が「伝記」だったり、海外文学が「雑書」だったりするのが興味深い。

    • 方承 編「『図書館史研究』第1〜12号 『図書館文化史研究』第13〜37号(1984〜2020年)総分類目次」

    (メモ)日本関係は時代別、海外関係は地域別に分け、『図書館文化史研究』及び前身の『図書館史研究』掲載文献を分類。こうして見ると案外海外ネタも多い。

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2021/09/04

吉井文美「遺跡を尋ねて 第V期第4回 〈中国天津〉旧開灤鉱務総局の建物」学士会会報 no.950(2021-V)p.101-106.

1920年竣工の、中国天津における旧イギリス租界の中心に位置する建物についての紹介。とはいえ、むしろ、そこで活動した、開灤鉱務総局(Kailan Mining Administration)についての概説となっている。

開灤鉱務総局は、河北省唐山市にある開灤炭坑を経営していた組織で、形式的には英中両国による経営だったが、実質英国が経営する石炭会社だったとのこと。石炭の大口購入者が日本企業(日本製鉄、日本鋼管など)であったことが特徴で、1935年以降、冀東防共自治政府(のちに中華民国臨時政府)の実質支配下にあっても、イギリス人たちによる経営が継続し、英国外務省との微妙な関係下においても、日本への石炭販売を続け、1941年の日本の対英開戦後も、辞職しようとしたイギリス人たちが、しばらくの間(1942年6月ごろ)日本側の希望で残留して経営を続けたことなど、まったく知らない話が並んでいた。

なお、著者は1930年代に開灤鉱務総局の支配人であったネースン(E.J. Nathan)が残し、現在オックスフォード大学ボドリアン図書館の所蔵となっているNathan Papersを中心に研究をされてきたとのこと。中国現地にも史料は残されている模様だが、新型コロナウイルスの影響で調査が困難となってしまった事情にも言及されている。

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馬部隆弘「墓地から辿る椿井文書の足跡」学士会会報 no.950(2021-V) p.41-45

偽文書で知られる椿井政隆の墓を探す話から、その息子、椿井万次郎の墓碑につながり、その墓碑を建てた今井良政(明治期に質流れとなった椿井文書を販売)に話がつながって、今井家に残された記録や墓碑もまた一部椿井文書を典拠にしているという話が展開。短文ではあるが、情報量がやたら多い。

今井家の所在は、現在の木津川市とのことで、今井家の墓所も木津川市木津白口にある燈籠寺墓地にあるとのこと。墓石の材質や墓碑の書体まで比較しつつ考察が重ねられており、現在の歴史学が多様な情報を総合的に考察する学問となっていることがよく分かる。

余談だが、燈籠寺墓地の燈籠寺というのは、全国遺跡報告総覧で出てくる、燈籠寺遺跡・燈籠寺廃寺跡発掘調査概要と関係あるのだろうか。

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石井洋二郎 編『21世紀のリベラルアーツ』水声社, 2020.

2021年年9月4日読了。ざっくり感想を一応記録。

出版社サイトの紹介は次のリンク先を参照。

http://www.suiseisha.net/blog/?p=13609

2019年12月14日に中部大学で開催されたシンポジウム「21世紀のリベラルアーツ」を元に、書き下ろしの論考や対談を追加したもの。

編者の石井洋二郎氏に加え、藤垣裕子氏、國分功一郎氏、隠岐さや香氏の論考と、全員に玉田敦子氏を加えたパネルディスカッションの記録、石井氏と藤垣氏の対談、という構成。

当該書は読んでいないのだが、どうやら、東大における実践を再構成した

石井洋二郎 著・藤垣裕子 著『大人になるためのリベラルアーツ』東京大学出版会, 2016.

石井洋二郎 著・藤垣裕子 著『続・大人になるためのリベラルアーツ』東京大学出版会, 2019.

を背景としている模様。産業界からの要請も踏まえつつも、大学におけるリベラルアーツ教育がどうあるべきか、という観点から議論が展開されている。

答えのない問いと答えのある問い、問いを立てる能力、分からない/分かりあえないものとの対話、成熟した市民、対話を重視することにより見失われるもの、といった様々な論点が提示されていて、考えるためのとっかかりが多数提示されている感じ。

解決策を直線的に見出すことよりも、答えの出しがたさと向合うことが、たこつぼ化して、それぞれの領域に分断された状況においてなお、それぞれがたこつぼの外側とやりとりをする土台となる「経験」として重要であり、そうした機会を提供するリベラルアーツが、高等教育という面でも、市民社会の維持構築という意味でも、必要なのではないか、という提起として読んだ。

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