戸田山和久『100分de名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』』NHK出版, 2021
番組は見てたんだけど、テキストは積ん読になってた、戸田山和久『100分de名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』』NHK出版, 2021.を読了。
わりと、番組の中でポイントは紹介されていて、細部の表現的な部分の解説をテキストでは補う、という感じ。『華氏451度』を一種のビルドゥングスロマンとして読み解きつつ、「啓蒙」の困難さからの逃避ではないか、という形で、ブラッドベリの描き出した問題を批判的に問い直そうとしている。
特に、第4回「「記憶」と「記録」が人間を支える」の最後の方で語られている、次のことばがとても印象に残った。
「本より大切なのは、記憶し伝えること(本はその手段)と、それに基づく反省的思考です。この二つが失われると社会は愚者のパラダイスになります。そして、愚者のパラダイス化を避けるために終末論的リセットに期待してはなりません。《知識人》は社会の中で粘り強く《啓蒙》を続けていかなければいけないのです。しかし、大衆化した現代社会において、《知識人》による《啓蒙》ほど困難なものはありません。それをどのように再構築するのか。」
この一節に代表されるように、「社会の中で粘り強く《啓蒙》を続けて」いくことの困難さを示しつつ、にもかかわらずそれが失ってはいけない営為であることを、このテキストは、『華氏451度』という題材から、繰り返し語ってくれている。現代の社会状況を踏まえて読むと、切実すぎる話でもある。
また、大量の情報を入手してそこに埋もれることが重要なのではなく、取り入れた言葉や知識を梃子に、自らを省みて考え、行動し、変化していくことが重要という指摘は、図書館やデジタルアーカイブが、単なる情報提供サービスではなく、知識や文化の再生産や、課題解決など次の行動へつなげていくための場であり、インフラでなければならない、という議論に接続することも可能かもしれない。一方で、容易に思考を放棄させようと人々を包囲するメディアとしても、図書館もデジタルアーカイブも機能しうる、という危険性も、忘れてはならないのだろうと思ったりした。
« 樋口恭介『未来は予測するものではなく創造するものである─考える自由を取り戻すための〈SF思考〉』筑摩書房, 2021 | トップページ | 伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留 編『世界哲学史4 中世Ⅱ 個人の覚醒』筑摩書房,2020.(ちくま新書) »
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