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2021/09/04

吉井文美「遺跡を尋ねて 第V期第4回 〈中国天津〉旧開灤鉱務総局の建物」学士会会報 no.950(2021-V)p.101-106.

1920年竣工の、中国天津における旧イギリス租界の中心に位置する建物についての紹介。とはいえ、むしろ、そこで活動した、開灤鉱務総局(Kailan Mining Administration)についての概説となっている。

開灤鉱務総局は、河北省唐山市にある開灤炭坑を経営していた組織で、形式的には英中両国による経営だったが、実質英国が経営する石炭会社だったとのこと。石炭の大口購入者が日本企業(日本製鉄、日本鋼管など)であったことが特徴で、1935年以降、冀東防共自治政府(のちに中華民国臨時政府)の実質支配下にあっても、イギリス人たちによる経営が継続し、英国外務省との微妙な関係下においても、日本への石炭販売を続け、1941年の日本の対英開戦後も、辞職しようとしたイギリス人たちが、しばらくの間(1942年6月ごろ)日本側の希望で残留して経営を続けたことなど、まったく知らない話が並んでいた。

なお、著者は1930年代に開灤鉱務総局の支配人であったネースン(E.J. Nathan)が残し、現在オックスフォード大学ボドリアン図書館の所蔵となっているNathan Papersを中心に研究をされてきたとのこと。中国現地にも史料は残されている模様だが、新型コロナウイルスの影響で調査が困難となってしまった事情にも言及されている。

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