『世界』(岩波書店)2021年10月号(第949号)
電子版出ないのかなあ、と思いつつ、岩波書店の『世界』2021年10月号を紙で斜め読み。以下、気になった記事についてメモ。
河田昌東「世に放たれたゲノム編集野菜」p.10-14.
CRISPR-Cas9等のゲノム編集技術を用いた品種の栽培の拡大についての話。遺伝子組換え野菜と異なり、外来遺伝子が導入されていなければ表示義務がない、というのは、知らなかったのでちょっと驚いた。
消費者庁のサイト(ゲノム編集技術応用食品の表示に関する情報)をみると、確かに、遺伝子組換え相当かどうか、という基準が導入されている。基準の妥当性云々以前に、こうした議論がなされていたことが、自分のアンテナにまったく引っかかってこなかったことに、軽く衝撃を受けた。あまり話題になってない、というのもあるのではとは思うものの、自分の感度の低さが少々腹立たしい。
東大作「アフガン政権交代 失敗の教訓と平和作りへの課題」p.25-35.
米国の戦略がことごとく狙いを外していく一方で、タリバンが地元密着の課題や対立の解決に地道に取組み、各地域の人々の支持を着実に獲得してきたのかについて言及されている。過去に何度かあった和平のチャンスが、米国の姿勢や、様々な状況の影響で失われていたことも紹介。
それにしても、9・11で亡くなった死者約3千人。そして、その後の20年間でアフガニスタンでの戦闘で亡くなった死者は、一般市民が毎年数千人、戦闘員は数万人と推定されているという。9・11の衝撃を、私は忘れることができないが、その一方で、9・11への対応を契機として行われた戦闘によってアフガニスタンで死んでいった人々のことを、私は、忘れるどころかそもそも正確な死者数すら知ることがない。この圧倒的な非対称性に呆然とした。死者に対するこれほどの記憶の非対称性を何とかしない限り、憎しみや不信が消えることはないのではないか、という気がした。
山岡淳一郎「コロナ戦記 第13回 デルタ株との総力戦」p.54-63.
河井香織「分水嶺Ⅱ コロナ緊急事態と専門家 第4回 コロナ災害の中の命」p.64-75.
今の『世界』の看板連載2本。継続して、新型コロナウイルスへの対応状況を追いかけるには、どちらも必読だろう。現場の病院や自治体の対応を中心にした「コロナ戦記」と、政府と政府と直接やり取りする立場にある専門家たちの動きを主に追う「分水嶺Ⅱ」という感じ。
今回は、どちらもデルタ株による医療危機の状況への対応について記録している。特に「コロナ戦記」の備えがあった自治体の対応の記述が印象に残る。おそらく、のど元過ぎればなんとやら、に(自分も含めて)なると思うので、一部の例外はあるにしても、全体としてはいかに備えが薄かったか、ということを確認する意味も含めて、こういう記事は重要かと。
西山太吉「「NHK」に問う 「独占告白 渡辺恒雄」を視聴して」p.84-89.
昭和編を見て、なんでこんな自慢話を、貴重な証言とかなんとか持ち上げるのだろう、という感想だったので、平成編は見てないんだけど、これを読んだら、まあ、見なくてよいか、という感じに。
新聞が政治運動と関わる形で立ち上がってくること自体は、別に日本に限ったことではないだろうとは思うものの、政治から独立したジャーナリズムという、独自の領域を明確に確立する方向に向かわなかったことの、少なくとも責任の一端は、渡辺氏にあるのでは、という気も読んでいてしてきた。
池田明史「多極化する中東世界 イスラエルとアラブの「接近」が意味するもの」p.152-161.
「アラブの春」により、各国の諸勢力間のパワーバランスを巧みに操ることで維持されてきた独裁政権が倒されたことで、各国内で諸勢力間の直接の対立関係が顕在化した、という見立てがなるほど。その結果として、外交面での安定志向から、イスラエルとは融和の方向に多くの国が向かっており、パレスチナ問題は既にイスラエルの国内問題となりつつある、というのが、読んでのざっくり理解(雑なまとめなのであまりあてにしないように)。
撤退を進める米国と、影響力を強める中国・ロシアの思惑もからまり、新型コロナによって一端先送りされてきた各国内および国際的な対立関係や、各国の民衆レベルでの不満の高まりなど、様々な要因が絡まりあっている状況が解説されていて、納得感あり。ただ、こんなのどうすりゃいいんだ、という感じでもある。
稲葉雅紀「ポスト・コロナを切り拓くアフリカの肖像」p.192-199.
勝俣誠「新しい南北問題の中のアフリカ パンデミック、武力紛争、気候変動」p.200-209.
アフリカ関係2本。今、総合誌でこういうのが読めるのは『世界』だけかもしれない。
「ポスト・コロナを…」の方は、国際的に活躍するアフリカ出身の人々を紹介。登場するのは、国際的なワクチンギャップに対して果敢に交渉を繰り広げてアフリカでのワクチン供給の道を切り開こうとするストライブ・マシイワ氏(アフリカ連合コロナ特使)、先進国による圧力を受けつつも新型コロナ対策のための多国籍間の枠組みの構築と維持に奔走するテドロス・アダノム・ゲブレイェスス氏(WHO事務局長)、WTOを舞台にワクチンに関する知的財産権の一部免除を提案し交渉を繰り広げるシリル・ラマボーザ氏(南アフリカ共和国大統領)、その提案を受けて調整のかじ取りを担うオコンジョ=イウェアラ氏(WTO事務局長)。過酷な時代、状況を乗り越えてきた人々による、脱植民地化を含む新たな動きを紹介している。
一方で「新しい南北問題…」の方は、特に赤道以北のアフリカ諸国が、ヨーロッパ諸国とイスラム諸国の思惑に振り回されてきた構造を、「文明の境界としての地中海」を軸に解説しつつ、各国の貧弱な公共セクターや、分断された農業従事者などの問題、継続的な産業政策のための援助の欠落など、様々な問題があること紹介している。また、アフリカに介入し続けてきたフランスへの抵抗やそれを受けたフランス側の変化など、植民地の問題が今も続いていることがよく分かる。
小笠原みどり「寄宿学校の遺体と植民地国家の罪:タニヤ・タラガ著『命を落とした七つの羽根—カナダ先住民とレイシズム、死、そして「真実」』」p.260-263.
村上佳代訳、青土社2021年刊の書評を通じて、カナダの先住民政策政策の問題点についても紹介。
カナダでは、今年、19世紀末から設置された先住民向けの学校である「インディアン寄宿学校」において、劣悪な環境で多くの先住民がそこで死に追いやられ、遺体が敷地内に大量に埋められていたことが明らかになったとのこと。多文化共生というカナダの人々のセルフイメージに対して深刻な疑問が突きつけられているという(その一方で、追悼のために州議事堂が人々が持ち寄った子ども靴やぬいぐるみで埋め尽くされたという話も紹介されている)。
評されている書物自体は、2000年から2011年に行方不明となり、亡くなった7人の若者の足跡を追い、その中で、先住民に対する制度的な人種差別の状況を描き出しているという。こうした書物の刊行が、近年のインディアン寄宿学校の調査につながっているとのこと。
差別などない(自分は見たことがない)という言葉を軽々しく語ってはいけない、ということでもあるだろう。一度不可視化された構造的差別の実態を明らかにするためには、そのために相当の努力が必要であることも分かる。
その他、東京オリンピック特集は「敗戦」と戦争の比喩を使っている時点で今一つピンと来ない感じ。
「脱成長」特集は、評価が難しい。市場の暴走を抑えつつ、格差を拡大させず、かつ循環がうまくまわる経済システムをどう構想するのか、というのは、簡単な話ではなさそう。
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