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2021/11/27

筒井清忠編『大正史講義【文化篇】』筑摩書房,2021.(ちくま新書)

『大正史講義【文化篇】』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

筒井清忠編『大正史講義【文化篇】』筑摩書房,2021.(ちくま新書)を読了。だらだら読んでたら、最初の方を忘れてきているけれど、個人的に気になったところをメモ。

牧野邦昭「第2講 経済メディアと経済論壇の発達」では、東洋経済、ダイヤモンド、日経といった、現在の経済論壇の出発点をコンパクトに解説。蔵書家としても知られる小汀利得も登場して、おおっ、となったり(日経の前身『中外商業新報』で活躍)。

今野元「第3講 上杉愼吉と国家主義」は、美濃部達吉、吉野作造とのライバル関係を軸に、上杉愼吉の学説・言論を中心に扱ったもの。単純に軍国主義を支えた学説だ、と否定すればそれで済むというものではない、というのは分かるが、留学先で挫折すると国粋主義に傾倒しがち、という戦後も続くパターンがここにも……という印象もなくはなし。

本書の裏テーマの一つ、「教養」については、筒井清忠「第4講 大正教養主義──その成立と展開」、藤田正勝「第5講 西田幾多郎と京都学派」、大山英樹「第6講 「漱石神話」の形成」が多面的に論じている。小谷野敦「第7講 「男性性」のゆらぎ──近松秋江、久米正雄」での「情けない男」の主題化という論点も含めて、現在まで続く構造が生まれた地点としての大正時代論を堪能できる。

「文化編」としての読みどころは、筒井清忠「第11講 童謡運動──西條八十・野口雨情・北原白秋」、筒井清忠「第12講 新民謡運動──ローカリズムの再生」、石川桂子「第13講 竹久夢二と宵待草」の並びでは。特に第12講での新民謡以前の民謡はむしろ地域による差異が小さく、同じような歌詞、節回しばかりだった、という指摘には驚いた。

田中智子「第14講 高等女学校の発展と「職業婦人」の進出」は、大和和紀『はいからさんが通る』を題材にしているのだけど、『はいからさんが通る』が、現在でも、こうした議論の参照対象になりうる(もちろん、史実とのずれは存在するのだが)、ということが驚き。やはり、大和和紀はすごい。

竹田志保「第16講 「少女」文化の成立」は、1980年代、90年代から盛んになった「少女論」を参照。「これらの「少女」論は、オルタナティブな可能性をもつものとしての「少女」の意義を発見したが、「少女」に抵抗や反秩序の幻想を強め、ロマンチックに周縁化してしまうことへの批判もなされた。」という視点は、むしろ現在忘れられがちかも。

そのほか、宮本大人「第19講 岡本一平と大正期の漫画」では「絵と言葉を組み合わせて多くのことを語ることのできる表現形式」としての漫画の発展、佐藤卓己「第20講 ラジオ時代の国民化メディア──『キング』と円本」では国民的メディアとしてのラジオと出版の成立、斎藤光「第27講 カフェーの展開と女給の成立」では、カフェーの普及と特に女性店員の商品化による形態の分化が語られるなど、多様な主題が次から次へと繰り出される。

各講には、シリーズに共通する「さらに詳しく知るための参考文献」が付されている。先行研究や、資料集や主要な同時代の人物の全集・日記に関する紹介の仕方で、その分野の研究の厚みが何となくうかがえる、という感じもあり。

通読して、思っていた以上に、大正時代から発展・普及して現在まで続いていることが様々にあることに驚いた。そういえば、今年は大正110年か。

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