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2021/12/04

『世界』(岩波書店)2021年11月号(第950号)・12月号(第951号)

そういえば、2号分、感想を書くのをため込んでしまっていたので、『世界』(岩波書店)2021年11月号(第950号)、12月号(第951号)についてまとめて。記事の数が多すぎるので、当事者による当事者視点の論考は基本、あえて外している。そこが『世界」の読みどころでもあるとは思いつつ、それだけではないよ、ということで。

『世界』2021年11月号の特集は「反平等—新自由主義日本の病理」と、「入管よ、変われ」の2本立て……なのだが、個人的には特集外の論考の方が印象に残った。

国谷裕子「人が人らしく生きていける社会を—内橋克人さんが伝えてきた言葉」(p.23-30)は9月1日に亡くなられた内橋克人氏の追悼文。「クローズアップ現代」登場時の発言を中心に、環境問題や持続可能な地域経済論の先駆者としての内橋氏について論じている。

山岡淳一郎「コロナ戦記 第14回 敗北と「公」復権」(p.31-40)は連載最終回。単行本化が予告されている。各地で起こっていた在宅死を踏まえて、公立・公的病院の脆弱さや、情報公開における課題などを提示して議論を終えている。この間の対応について「最前線でたたかった人たちの「現場・現物・現実」のリアリティで洗い直さなければならない」という提起が重い。

また、この2021年11月号では、特集とは表紙に書かれていないが、米軍撤退後の状況を受けた、アフガニスタンに関する論考が複数掲載されいる。

栗田禎子「対テロ戦争の時代を超えて—中東における民主主義の展望」(p.54-63)は、「アフガニスタンに限らず、冷戦期、社会主義と対抗するために宗教(イスラーム)を政治利用するという手法は、実は米国によって中東全体でとられたものだった」という点を踏まえつつ、中東各国における自律的な運動の可能性を論じている。

谷山博史「対テロ戦争とは何だったのかー現場のリアリティから見えてくるもの」(p.64-71)では、タリバーンとの何度かあった和平や対話のチャンスに対して、米国側がことごとく反対し、潰してきた経緯を振り返りつつ、対話のパイプを閉ざさないことの重要性を語る。

中村佑(聞き手・島本慈子)「インタビュー 9.11から二〇年ーあの日の意味を問い続ける」(p.72-77)は、次男を9.11で亡くした人物へのインタビュー。その遺骨も見つからないまま、「9.11の場合、こんなテロが生まれた原因がどこにあるのかを考えていけば、そこには歴史的に複雑な経緯があるわけで、僕が相手にしているのは「歴史」なのかなと思わざるを得ない。」と語るその言葉に、どれほど思いが込められているのか。

特集とも小特集でもない独立した記事としては、ウスビ・サコ(聞き手・小林哲夫)「インタビュー 京都観光はどう変わらなければならないか」(p.234-239)も面白かった。京都の景観が大きく変化しつつある現状に対する提言。町屋と伝統産業の衰退が進む一方で「観光が伝統産業よりも大きな収入源」となったことで、規制に消極的になっていたのではないかと問題点を指摘しつつ、「観光都市として生きるとはどういうことなのか、市民レベルで議論」していく必要性を論じている。一方では、伝統産業の「アーカイブ」として機能し、新しい文化・産業のプロデュースに関わる人材を育てるという大学の責任についても言及。

そして何より、三宅芳夫「越境する世界史家(上) リチャード・J・エヴァンズ著『エリック・ホブズボーム—歴史の中の人生』」(p.252-260)がすごかった。タイトルだけ見ると書評のようだが、実際には書評の対象となっている本については「エヴァンズによるホブズボームの「文化的保守主義」という括りは端的にいって的外れであるだけでなく、歴史家として『極端な時代』第三部全体をまったく「読めていない」」とばっさりと切り捨て。評者(と、もはや言って良いのかどうか)の視点で、改めてホブズボームの生涯と業績を一から語り直す、という荒技をかましている。すごい。自社刊行の本の書評としてこれを載せる岩波書店も太っ腹。えらい。反ナチズム/ファシズム思想としての共産主義と、ドイツから逃れた先の英国で迎え入れられた知的エスタブリッシュメントのネットワークという二つの軸から、ホブズボームの業績を再評価しつつ、20世紀の知的・思想的動向の変遷を論じていて読みごたえあり。次号の後編と併せて必読かと。

『世界』2021年12月号の特集は「学知と政治」と、「コロナ660日」の2本立て。

まず特集「学知と政治」は、日本学術会議会員任命拒否問題について、当事者となった6名の研究者の論考を掲載。

それぞれ、読みごたえがあるのだけれど、まずは、加藤陽子「現代日本と軍事研究—日本学術会議で何が議論されたのか」(p.86-97)を。冒頭で、会員任命拒否について言及しつつも、主な内容は、日本学術会議による2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」の成立至る議論を丁寧にたどるもの。多様な意見がぶつかりう議論の概要と合意形成の過程について論じることで、日本学術会議がどのような場として機能しているのかを明らかにしている。2017年声明を単純に軍事研究を邪魔するものとして捉えている向きにこそ、読んで欲しい。また、議事録を含めた情報が公開されているからこそ、このような検証が可能となる、という実例としても重要かと。

一方、論文調の加藤氏とは対照的な語り口なのは、宇野重規「「反政府的」であるとは、どういうことか—政治と学問、そして民主主義をめぐる対話」(p.114-121)かと。A、Bの二人の人物の対話形式で、著者のこれまでの発言や主張を、平易な言葉で分かりやすく語り直している。学者の社会的責任として学問に支えられた内容を語るべき、しっかりした政府が必要だからこそ批判する、ということがどういうことなのか、改めて確認できる。

特集「コロナ660日」は巻頭写真と連動したコラムがそれぞれ読みごたえあり。特に、小原一真「見えない死と共有されない悲しみ・葛藤について」(p.172-173)で紹介される、納体袋に遺体を入れたあと、その上から布団をかけた看護師の「袋に入っていても、そこにいるのは患者さんなんで」という言葉が印象的。極限の状況で人の尊厳を保とうする医療現場の葛藤が映し出されている。

永井幸寿「検証 コロナと法ー何ができ、何をしなかったのか」(p.204-211)は、新型インフルエンザ等対策特別措置法が本来備えていた(しかもそれが改正で強化された)強力な各種規定と、それがいかに使われなかったかが論じられている。また、2010年にまとめられた「新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議報告書」での反省がいかに活かされていないかについても言及されており、法運用と併せて、過去の新型インフルエンザの経験から学べなかったという課題を付けつける内容。

特集外の扱いだが、関連して。河合香織「分水嶺Ⅱーコロナ緊急事態と専門家 第6回 「病床2割増」計画」(p.160-171)は、これまでになく、医療現場や専門家と、政府・行政府省との意見の対立を描いている印象。「次の感染拡大に向けた安心確保のための取組の全体像」に対する医療現場からの批判は、他ではあまり読めない気がする。また、押谷仁氏の「データがないことは、日本の最大の問題でありつづけているんです」という指摘も重要では。

特集ではないが、ドイツ関連の論考が二つ。どちらも、断片的にニュースを見たり聞いたりしているだけでは分からない俯瞰的なまとめでありがたかった。

一つ目、板橋拓己「メルケルとは何者だったのか」(p.145-153)は、メルケル前首相の経歴と業績を回顧し、「負の遺産」も多いとしつつ、「それでも彼女は「偉大」な首相のひとりだと筆者は思う」としている。特に、「自由や民主主義や法の支配といった価値が揺らぐ時代に、メルケルはそれらの価値をしっかりと掲げて譲ることがなかった」という点は重要かと。その背景に、社会主義体制下の東ドイツで育った、という経歴があったという指摘も見逃せない。

もう一篇の、梶村太一郎「メルケル後 ドイツの選択ー連邦議会選挙と新政権 上」(p.154-159)は、過半数を確保できる政党がなくなった状況下での選挙戦の過程と、連立交渉の行方について見通しを語っている。後編は2022年2月号に掲載予定とのこと。

その他、三宅芳夫「越境する世界史家(下) リチャード・J・エヴァンズ著『エリック・ホブズボーム—歴史の中の人生』」(p.240-249)については、11月号のところで書いたとおり。必読。

吉田千亜「県境の街 第10回 今を生きる」(p.272-281)は連載最終回。栃木県における東京電力福島第一原子力発電所事故の影響と、情報がない中で様々な対応に取り組み、結果的に被害があったとは認められないままとなった人たちに関するルポ。放射性物質は、放出時の天候条件によってまだらに拡散し、福島県以外の各地の影響についても事故当時は話題になっていたと思う。その後、忘れられてしまった事象を、関係者への取材を通して掘り起こした労作かと。

あと一つ、橋本智弘「アフリカの多層から聞こえる歴史の声ーアブドゥルラザク・グルナ、ノーベル文学賞に寄せて」(p.250-255)は、2021年ノーベル文学賞を受賞したグルナ氏が指導教官だったという著者による、グルナ氏とその仕事についての解説。日本での紹介ではあまり触れられていないようだが(例えばNHKの特設ノーベル賞サイトでの紹介「2021年のノーベル文学賞にタンザニア出身アブドゥルラザク・グルナさん」)、グルナ氏は、アフリカやインド、カリブなどのポストコロニアル文学の研究を行う、英国ケント大学英文科の教授でもあり、その傍ら創作も行っているとのこと。まだ邦訳がない状況ではあるものの、グルナ氏の、オリエンタリズムに対する批判視点と、アフリカ内部の複雑な歴史を直視する姿勢は、日本の現状に対する批判的視座を提示してくれそう。

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