吉見俊哉『大学は何処へ 未来への設計』岩波書店, 2021.(岩波新書)
(表紙画像はopenBDから。)
吉見俊哉『大学は何処へ 未来への設計』岩波書店,2021.(岩波新書)を読了。大学論でもある一方で、平成日本の失敗の総括的な議論でもあり。
さらに言えば、戦後日本の出発点における高等教育の制度設計の失敗の分析にもなっている。特に、実用的・専門的な分野別の研究・教育とは異なる性質を持ち、高等教育において本来不可欠であるリベラルアーツ教育が定着しなかったことが繰り返し様々な事例で議論されていくのがポイント。リベラルアーツ教育的要素を強く持っていた旧制高校の解体(新制大学への吸収)が、一つの転機であった、という議論が興味深い。また、その後の大学における教養課程の解体は、その帰結であり、その背景には、大学の教授会内における旧制高校出身教員へ差別意識があった、というのは、納得感はあるが、何というか救いがない。
その他、戦中における、理工系重視政策(一部の私立大学においては実際に文学部が廃止されているとのこと)など、現在、大学が直面している様々な問題は、実は今始まったことではなく、近代日本の高等教育史において長く未解決の問題として引き継がれてきたものであり、平成期においてその解決の機会を逃し続けて現在がある、という基本的な視点は一貫している。
一方で、戦後の日本の高等教育における注目すべき事例として、旧制高校的な仕組みを取り込んだ高等専門学科(高専)や、旧制高校的な要素を新制大学の中で活かそうとした東京大学教養学部、そしてMITを参照しつつリベラルアーツ教育を重視した東京工業大学の事例が紹介されている(そう言われて考えてみると、東大教養学部と東工大の両方に、科学史の研究室があるのはおそらく偶然ではないのではないかと)。こうした、過去の蓄積や、海外の先進事例を踏まえた取り組みもあったことに、一縷の希望が残されていることも感じさせてくれる。
なお、問題点を指摘するばかりで終わるわけではなく、新型コロナウイルス感染症の影響により、オンライン化が急速に進んだこの機会を捉え、大学を国や地域を超えた教員と学生のギルド的な組織として位置づけ直しつつ、同じ場所に集まるということの意味を、社会的課題との接点として再構築することが提案されている。解決策を考えていく際に重要視されているのが、教員と学生の、研究と学習のための時間のマネジメントであり、この観点を等閑視した現在の単位の考え方を激しく批判しているのもポイントかと。時間のマネジメントの話は、大学院が社会人を受け入れる際に、職場の側にとっても重要な問題になるんじゃないかなあ、と思いつつ読んだりしていた。
平成日本の失敗の総括的な議論としては、次のような指摘が印象に残る。
「平成時代の日本の失敗の多くは、既存の前提はそのままにして小手先の改革に終始してきたことに起因する。多くの日本人が、できない理由を次々に見つけ出し、自らの手足を縛った。人は、こんな難しさがある、あんな問題があると言い募られれば、大手術は「時期尚早」と先延ばしにするほうを選ぶ。たまにビジョンを掲げ、大きな転換を志向する流れも生じるが、結局は足の引っ張りあいで論点が単純化され、表面だけが塗り替えられる結果に終わる。」(第4章「九月入学は危機打開の切り札か——グローバル化の先へ」)
小見出しで「困難列挙主義」とも呼ばれているこうした問題は、大学に限らず様々な面で見られる問題だろう。大学改革ではしばしば強力なリーダーシップの必要性が叫ばれるが、「既存の前提はそのまま」で「強力なリーダーシップ」とやらを導入しても、当然ながら何も解決しないに違いない。実際、本書では、学長リーダーシップの必要性は確認しつつも、「決定的に欠落しているのは、「大学とは何か」という根本理解である」(第六章「大学という主体は存在するのかーー自由な時間という希少資源」)と、まず前提を問い直すことの重要性が語られている。
そもそもの「既存の前提」がどのようなもので、それが何処から由来していて、本質的な問題点がどこにあり、同時代における対抗軸はなかったのか、あったとすれはその可能性を改めて見直すことはできないか、その時、提示されていながら正面から議論されなかった論点は何かなどなど、歴史的な観点を導入することでいかに見通しが良くなるかを、本書の試みは提示してくれているように思う。もちろん、歴史に基づくからこそ、反論・批判も多々ありうるかと。注は付されていないが、巻末に参考資料リストがあり、主要な論拠とされた研究については文中で明記されているので、批判的な読みにも耐えうるのではなかろうか。
大学論として読むのも良し、現在の日本社会が抱える問題点に関する議論の一例として読むのも良し。そして何より、歴史や、意思決定過程の記録がいかに役立つか、という実例としても読むことができる一冊かと。
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