安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』亜紀書房, 2021.
(表紙画像はopenBDから。)
安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』亜紀書房, 2021.を読了。
もともと、世界各国のお風呂をめぐる企画だったそうだが、新型コロナウイルスの影響(と予算の都合)もあり、海外は比較的近隣のタイ、韓国、国内は沖縄、寒川(神奈川県)、大久野島(広島県)が舞台。極楽気分のお風呂訪問話が、様々な人との出会いを介しつつ、戦争の記憶とつながっていく展開に引き込まれる。
国を超えて人と人が殺し合う「戦争」の記憶が、ものすごく逆説的な言い方になってしまうのだけど、立場はまったく異なっていたとしても、共通する体験や歴史として、国を超えた人と人の対話の契機ともなりうる、ということが、お風呂という素材を組み合わせることで描き出されているという感じ。もちろん、実際の取材はそんなきれいな話ばかりだったわけではないのだろうけれど(本書にもその片鱗は書き込まれている)。
そんなことを思ったのは、欧州横断的なデジタルアーカイブプロジェクトEuropeanaが、第一次世界大戦をテーマに様々な資料をデジタル化し公開、関連のイベントやプロジェクトなどを行っていたことを思い出したからだったりする。化学兵器等の大量殺傷兵器が導入され、悲惨を極めた戦争が、欧州共通の体験として召喚されたことに驚いたのだけれど、国を超えた経験として改めてその歴史を共有することが、対話の契機ともなり、同じことを繰り返さないための手段ともなりうる、という可能性がそこで追求されていたのかもしれない、と本書を読んで、改めて思ったのだった。
(ちなみに、そのプロジェクト、Europeana 1914-1918については、次の記事を参照のこと。篠田麻美「Europeana 1914-1918:第一次世界大戦の記憶を共有する試み」カレントアウェアネス-E. No.254. 2014-02-20.)
もう一つ、本書後半では、戦時中の日本の毒ガス兵器生産工場で働いた人々が登場する。ETV特集「隠された毒ガス兵器」(初回放送:2020年9月12日)で、多少は知っていたが、想像以上の劣悪な労働環境にぼう然とした。しかも、当時の国の政策の被害者でありながら、特に陸軍の毒ガス生産工場で働いていた方は、同時に毒ガスの被害者となった人々に対する責任を自らに引受けていた。これもまた逆説的な言い方になってしまうのだけれど、国の行なったことで自らの人生がねじ曲げられながらも、なお、国が行なったことの責任を自らのものとして引受けるその姿は、ネイションを構成する国民としてのナショナリストのあるべき姿なのかも、と思わせるものだった。しかし、その道のなんと過酷なことか……
と、重たく書いてしまったけれど、重い内容もあるものの、笑いあり、涙あり、人情あり、そして何よりお風呂がある。読み終わった時、取材の神様のはからいに感謝したくなる一冊。
« ウィリアム・モリス,エメリー・ウォーカー著・はやみずあゆみ訳『書物印刷概論』万象堂, 2021. | トップページ | 『科学史研究』no.300(2022年1月号)、『生物学史研究』no.101(2021年12月) »
« ウィリアム・モリス,エメリー・ウォーカー著・はやみずあゆみ訳『書物印刷概論』万象堂, 2021. | トップページ | 『科学史研究』no.300(2022年1月号)、『生物学史研究』no.101(2021年12月) »
コメント