『日本古書通信』2022年2月号(87(2))、2022年3月号(87(3))
つらいニュースばかり流れてくるし、頼まれていた原稿は進まないしで、なかなかブログを書く気になれなかったのだけど、とりあえず原稿の方は何とかなりそうな目処が立ったので、ブログ更新を再開してみる。
2022年1月号からカラーページが登場した『日本古書通信』だが、2月号以降も引き続きカラーページあり。またため込んでしまったので、2号分の感想をまとめて。
まずは2月号から。川島幸希「無削除版」(p.2-3)は、著者の所蔵資料、実見経験を元に、削除することで発禁を免れたり、それでもさらに発禁になったりした文学作品の無削除版と削除版の差異を簡潔に解説したもの。伝存は極めてまれだが無削除版が存在するという小林多喜二『蟹工船』について、日本近代文学館復刻本がその存在を知らずに削除版を原本としいたことについての指摘もあり。
福田博「和書蒐集夢現幻譚 119 『深川新地の月』珍品掘出し物語」(p.8-9)は、蒐集の過程でとある錦絵に三度出会い、その全貌を把握するまでが綴られている(とはいえ詳細はまだ分からないとも)。これぞ古書蒐集の醍醐味、とも言えるエピソードかと。この図版は、カラーページが生きる。
石川透「奈良絵本・絵巻の研究と収集 29 伊勢物語」(p.20-21)は、「江戸時代前期に制作された奈良絵本・絵巻として最も多く制作されたのは『伊勢物語』かもしれない」と指摘し、また、嵯峨本が作らた以後はほとんどの奈良絵本・絵巻の影響を受けていると分析した上で、「挿絵の数が合計四十九枚の時には、間違いなく嵯峨本を元に」しているとの知見も披露されている。これは覚えておきたいところ。
牧村健一郎「社会的弱者へのまなざし―渋沢栄一、山尾庸三、伊藤博文の生き方」(p.22-24)では、大正10年の塙保己一百年祭・忠宝(ただとみ)六十年祭の際、渋沢栄一が、挨拶で、塙保己一の嗣子・忠宝を暗殺したのは山尾庸三と伊藤博文であったことに言及したエピソードから、罪のない忠宝を殺してしまったことを忘れず、後に訓盲院の設立に尽力するなど障害者教育に力を入れた山尾と、東京養育院を支えた渋沢の活動を紹介。その一方で、障害者教育とも福祉とも無縁であった伊藤を対比的に描いている。「伊藤は今もって、殺人の経歴を持つ唯一の総理大臣である」という一文が著者の伊藤評価を示している感じ。
鈴木紗江子「北米における日本の古書研究3 ビデオプロジェクトの話(3)」(p.25)は、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の講義動画「物語文学と写本」の制作プロジェクトにおける、特にデジタル画像の活用について紹介。画像自体の探索、許可手続など、その苦労がうかがえる。なお、前回は2021年11月号に掲載。
蓜島亙「『露西亜評論』の時代(54) 一九一七年革命前夜のロシヤ観」(p.30-31)は、本題よりも、2015年に事業停止した東洋書店と、その出版事業を継承したサイゾー、そして東洋書店新社との関係についての話が面白い。実際、東洋書店新社のサイトを見てみると、東洋書店新社は「屋号」であって、その住所には「株式会社サイゾー 東洋書店事業部」とある。これは「出版者」名とは何か、という意味で、図書館泣かせの事例でもあるかと。
小田光雄「古本屋散策(239) みずず書房と『資料 下山事件』」(p.37)では、1949年の下山事件に関する著作を紹介しつつ、下山事件研究会に参加した研究者、文学者に言及。同研究会が後世に検証を託す形で編んだ『資料 下山事件』の意義について語られている。
続いて2022年3月号へ。
森登「銅・石版画万華鏡 174 『銅版細絵図』」(p.7)は、著者が新たに入手した江戸期の小型の銅版絵図を紹介しつつ、同版から刷られた別の絵図との比較を行なっている。こうした関連する異版の比較が様々な知見をもたらしてくれる、という良い実例かと。
川島幸希「復刻版の展示について」(p.8-10)は、某文学館での装丁をテーマにした展示で、肝心な資料について復刻版が使われていたことを批判する内容。記事では文学館名、展示会名も名指しなので、気になる方はご確認を。原資料の魅力を知り尽くした著者だからこその重みがある。
北原尚彦「リレー連載ミステリ懐旧三面鏡その六 《十六歳の掘り出し物》」(p.14-15)は、コナン・ドイル自伝を巡る話。現在は電子書籍版も出てるものの、初版との違いについても言及されている。割とこういう基本的な資料が入手困難になりがち、ということも含めて、興味深し。
出久根達郎「本卦還りの本と卦 179 菊池寛」(p.15)は、菊池寛作品を元にした新作落語の話から、菊池寛の図書館通いの話を絡めつつ、最後に、昭和12、13年ごろに、自宅の通用門外で蔵書を並べてその場で安価に売りつつ、買いに来た大学教授や学生たちとの会話を楽しんでいた、というエピソードが紹介されている。よい話だなあ。
蓜島亙「『露西亜評論』の時代(55) 一九一七年革命前夜のロシヤ観」(p.28-29)は、近年のロシア研究やロシアとの交流についての、著者からの批判と直言、といった趣。近年のロシア研究の質の低下や、ロシアにおける日本宣伝のあり方についての批判もあり。
編集後記である*「談話室」*(p.47)では、かつての夢の技術が実現した現在を喜びつつ、ウクライナ侵攻を受けて「戦争」が現実に身近に現れた現状への「震撼」が語られている。もちろん、実際には紛争やそれによる死は常に世界各地で存在していて、それが目に入っていなかっただけなのだろうとも思うけれど、実感としてはよく分かる。
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