下斗米伸夫『ソビエト連邦史 1917-1991』講談社,2017.(講談社学術文庫)
(表紙画像はopenBDから。)
下斗米伸夫『ソビエト連邦史 1917-1991』講談社,2017.(講談社学術文庫)を読了。
かなり前に購入して、電子積ん読状態だったのだけど、そういう時節かな、と思い読んでみた。ロシア革命以降、ソビエト連邦の歴史をその崩壊に至るまで、レーニン時代から頭角を現しスターリンの右腕となって活躍した、ビャチェスラフ・モロトフ(1890~1986)の活躍や発言を参照軸にしつつ論じる、という一冊。
読んではみたが、これはきつかった。とにかく理不尽に人が死んでいく。権力闘争に破れれば待つのは死だし、方針に従順でも調子に乗ってやり過ぎると逮捕されて銃殺になる。外貨獲得のために農村から穀物を収奪したことで農民が各地で餓死し、反乱を起こせば弾圧されてやはり死んでいく。生き残っても強制収容所で強制労働に投入され、それによって維持された生産力で国の経済が維持されていく。
自分の指示で万の単位で人が死んでいっても、ためらうことなく突き進むのは、レーニンもスターリンも変わらない。「1938年11月12日だけで、スターリンとモロトフのたった二人で3167名への銃殺指示を出した。」という一節だけでもすさまじいが、この程度、氷山の一角に過ぎない。時に国際社会の動向に応じて方針を転換する柔軟性もスターリンの持ち味だが、その方針転換についていけない原理主義者をまた粛正して自らの正当性を揺るぎないものにしていくのもスターリンである。
興味深かったのは、ロシア革命は、広範な支持基盤がない状態で、実際には少数派だった勢力が、様々な勢力の協力を得て権力を獲得した、という構図だったことで、本書で初めて認識した。リーダーとして担ぎ上げられた少数派勢力が、政権についた途端、対抗者になりうるかつての協力者たちを次々と屠って絶対的な権力を確立していく、という構造なので、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から笑いと涙を抜いた感じの展開が延々と続く、といえば、『鎌倉殿』を見ている人には何となくどんな感じか想像がつくかもしれない。
大木毅『独ソ戦』(岩波新書)や、芝健介『ヒトラー:虚像の独裁者』(岩波新書)を読んでいたので、分かってはいたものの、第二次大戦の死者の数もやはりすさまじい。「なかでもドイツの九〇〇日にわたるレニングラード包囲では、革命の都を守るということで、スターリンは降伏を許さなかった。…(中略)…レニングラードの戦前人口は264万であったが、1943年には60万となっていた。」という一節には一瞬固まってしまった。
その後、ブレジネフ時代にようやくある意味での安定を獲得するものの、それは停滞と裏表一体、というのが本書の評価で、ゴルバチョフのペレストロイカについても、割と辛口の評価だったりする。情報公開を進めたことで、スターリン時代に行われた各地域併合の正当性の根拠が次々と崩壊し、各地の独立運動に直結していく中で、保守派と改革派の狭間で無力化していくゴルバチョフ、という感じで描き出されている。
なお、本書は、ソ連崩壊後に公開された様々な資料や、そうした資料に基づく歴史研究の成果に基づいているようで、ロシアにおいてもソ連時代に対する反省と検証が進んでいたことが反映されていると思われる。今のロシアでは、そうした文書の扱いや、歴史研究はどうなっているのだろう、というのが、気になるところでもある。
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