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2022/08/15

『日本古書通信』2022年5月号・6月号

『日本古書通信』の積ん読がたまってきたので、とりあえず、2022年5月号(1114号)と6月号(1115号)の気になった記事についてメモ。

まずは『日本古書通信』2022年5月号から。

岩切信一郎「石版画家・茂木習古と三宅克己」(p.2-4)は、明治・大正期に活躍した石版画の画工「習古」の謎を辿りつつ、石版カラー表紙を実現した出版における明治20年代の技術革新などにも言及。洋画家・三宅克己の調査の過程で「習古」に三宅が師事したという回想を手がかりに現在までに判明した事実を紹介している。しかしまだまだ謎は深まるばかり、という様子。なお、三宅克己については、次を参照するのが良いかと。「三宅克己 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8905.html

川本隆史「書痴六遷の教訓-仙台からのたより」(p.10-11)は、『風の便り』第7号(1997年6月)からの再録とのこと。著者の引っ越し遍歴を、段階的に増殖していく蔵書の様子と併せて回顧しつつ、書物がつなぐ縁(新明正道氏からの手紙が紹介されている)について語るエッセイ。文系の学者の増え続ける蔵書のありさまが、引っ越しの玄人ともに身に迫ってくる。その後の引っ越しについての補記もあり。

川口敦子「キリシタン資料を訪ねて② ポルトガル国立図書館2」(p.16-17)は、2007年のポルトガル国立図書館での調査の様子を紹介。一部の目録ではポルトガル国立図書館にあるとされていた『ぎやどぺかどる』がやはりなかった、という話が、目録情報の確実性という意味で考えさせられる。イラストで紹介されている、図書館内のレストランのランチがおいしそう。また、当時ポルトガルの書店で購入したルイス・フロイス『日本史』のCD-ROM版がWindows10では起動できなくなっている、という話もあって切ない。

青木正美「古本屋控え帳431 『世界はどうなる』」(p.35)は、『世界はどうなる』精文館,1932の紹介(なお、インターネット公開されている国立国会図書館所蔵本は一部欠落がある模様。)。第二次世界大戦の展開を予想しつつ「日米戦争に対しては、我が国は攻勢に出づるに最も有利な立場」と対米戦を煽っていて、なるほど、こういう書物によって、対米戦争に対する気分が積み重ねられていったんだろうな、という感じ。

八木正自「Bibliotheca Japonica CCXCIII 達摩屋五一遺稿集『瓦の響 しのふくさ』」(p.39)では、書物の価値が嵩で計られていた時代に、書物の価値を評価した古書肆の鼻祖、岩本五一(1817-1868)の生涯と、その遺稿集を紹介。五一の堂号、珍書屋待賈堂が、反町茂雄の古書販売目録、「待賈古書目」(JapanKnowledgeで提供されている電子版の解説参照。)の由来となったとのこと。

なお「受贈書目」(p.40-41)で、浅岡邦夫「禁書リストを筆写した図書館員」(『中京大学図書館紀要』42号抜き刷り)について紹介されている。同論文は中京大学の機関リポジトリで公開されており、東京帝国大学附属図書館に勤めていた佐藤邦一が書き写した禁書リストを軸にその生涯を辿るもの。

続いて、『日本古書通信』2022年6月号についてのメモ。

真田真治「小村雪岱の装幀原画① 内田誠『水中亭雑記』」(p.2-4)は、著者が入手した、小村雪岱の「装幀原画他装幀資料」と、その入手の経緯を語る連載の一回目。レア資料を巡る古書店主とコレクターの複雑な関係も読みどころかと。

樽見博「百年後の大樹」(p.6)は、長塚節(コトバンクの解説)が茨城県下妻市の古刹、光明寺で撮影したという写真の背景に写った大樹について、現地での状況を踏まえて考察した囲みコラム。確かに、現代の写真と比較すると、通説が正しいのかどうか、ちょっと疑問になってくる。

竹原千春「古本的往復書簡2 細川洋希さまへ 志賀直哉の初版本」(p.8-9)では、著者の入手した志賀直哉献呈本を題材に、細川護立(永青文庫の創設者)と志賀直哉の交流について紹介されている。小学校から大学までずっと一緒だったとはびっくり。

森登「銅・石版画万華鏡177 松本龍山『袖玉京都細絵図』」(p.15)は、著者の入手した、慶応4年の銅版京都図を紹介。袋付きで入手したとのことで、その図版も掲載されている。貴重かと。

「札幌・一古書店主の歩み 弘南堂店主高木庄治氏聞き書き(11)独立開店(札幌医大前)」(p.32-34)は、毎回貴重な証言の連続だが、今回は、末尾の詐欺事件の顛末が苦い。一方、『蝦夷地及唐太真景図巻』落札と、昭和37年ごろに、名取武光氏の研究費で北海道大学に入れることになった顛末の話が興味深い(その後一旦行方不明になったとのこと。なお現在は北海道大学北方資料データベースで所在を確認できる。)。こういう購入の仕方が許される時代だったんだなあ。

川口敦子「キリシタン資料を訪ねて③ アジュダ図書館(リスボン)」(p.36-37)は、ボルトガルの首都、リスボンの宮殿内にある図書館、アジュダ図書館の紹介とそこでの調査について。宮殿という古い建物だからこそのトイレのドアの罠?のエピソードがなんとも言えない。また、最初の訪問時(2007年)にはウェブサイトもなかった、というのがちょっと驚き。

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2022/08/07

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』光文社,2022.(光文社新書)

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』光文社,2022.(光文社新書)を読了……して、少し時間がたってしまったので、既に忘れかけだけど、印象だけでも書き残しておく。

セリフやキャプションによる過剰な分かりやすさの追求や、映画評論の衰退、時間面での効率性(タイパ)重視、監督へのこだわりの無さなど、次々と年寄りには受入れづらいネタが繰り出され、それをフックに、現代の映像作品受容の諸相に関するレポートとして読ませる一冊、という感じだったかと。

映像作品を倍速で視聴したり、間をすっとばしてラストを見たり、というのは、紙の本で斜め読みしたり、最後の方を先に見たり的なものが、映像作品でも手軽にできるようになったことの帰結かと思うので、そのこと自体は、なるほどなあ、という感じなのだけれど、むしろ、そうした視聴の仕方をする理由が、友人・知人との間のコミュニケーションのネタとして必要な情報を獲得するため(あるいは時にマウンティングに対抗するため)、という話に、少し驚いた。若い世代のコミュニケーション環境の過酷さに、自分なら生き延びられただろうか、と考え込んでしまう。

膨大な作品がフローとして供給されていく状況に、金銭的にも時間的にも余裕がない環境下で対応しようとすればこうなる、という話でもあるのだけれど、膨大な過去作品のストックに対応する際にも、それは同様であって、全部の作品をとにかく最初から最後まで見るべし、というのは、当然のことながら、単に時間的に不可能だろう。では、映像作品のアーカイブの蓄積が充実していった時に、どのような作品選択と、視聴のあり方がありうるのか、ということが問われるのでは、ということもちょっと考えたり。

また、「みんなが見ている」という選択軸が最優先になってしまうという話については、過去作品のアーカイブの蓄積へのアクセスを維持することの意味はどこにあるのか、ということを考えてしまった。

あるいは、むしろ、「みんな」から、何かの拍子にはみ出してしまった時に、「みんな」とは異なる道を選ぶ可能性を、どう維持し、提示するのかを考えるべきなのかもしれない。そうした、「みんな」からズレてしまって、市場の主流からも、「仲間」たちの人間関係からもこぼれ落ちていってしまう人たちが、なお映像作品を自分なりに楽しむことができる環境が維持されうるのか。本書の裏側に隠れているのはそうしたことなのでは、と思ったりもしたのだけど、それもまた、サブスクプラットフォームのロングテール的な標的の範囲内なのかも、と思ったりと頭がぐるぐる。

そういうことを色々考えるヒントをくれる一冊だった。

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