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2022/08/07

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』光文社,2022.(光文社新書)

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』光文社,2022.(光文社新書)を読了……して、少し時間がたってしまったので、既に忘れかけだけど、印象だけでも書き残しておく。

セリフやキャプションによる過剰な分かりやすさの追求や、映画評論の衰退、時間面での効率性(タイパ)重視、監督へのこだわりの無さなど、次々と年寄りには受入れづらいネタが繰り出され、それをフックに、現代の映像作品受容の諸相に関するレポートとして読ませる一冊、という感じだったかと。

映像作品を倍速で視聴したり、間をすっとばしてラストを見たり、というのは、紙の本で斜め読みしたり、最後の方を先に見たり的なものが、映像作品でも手軽にできるようになったことの帰結かと思うので、そのこと自体は、なるほどなあ、という感じなのだけれど、むしろ、そうした視聴の仕方をする理由が、友人・知人との間のコミュニケーションのネタとして必要な情報を獲得するため(あるいは時にマウンティングに対抗するため)、という話に、少し驚いた。若い世代のコミュニケーション環境の過酷さに、自分なら生き延びられただろうか、と考え込んでしまう。

膨大な作品がフローとして供給されていく状況に、金銭的にも時間的にも余裕がない環境下で対応しようとすればこうなる、という話でもあるのだけれど、膨大な過去作品のストックに対応する際にも、それは同様であって、全部の作品をとにかく最初から最後まで見るべし、というのは、当然のことながら、単に時間的に不可能だろう。では、映像作品のアーカイブの蓄積が充実していった時に、どのような作品選択と、視聴のあり方がありうるのか、ということが問われるのでは、ということもちょっと考えたり。

また、「みんなが見ている」という選択軸が最優先になってしまうという話については、過去作品のアーカイブの蓄積へのアクセスを維持することの意味はどこにあるのか、ということを考えてしまった。

あるいは、むしろ、「みんな」から、何かの拍子にはみ出してしまった時に、「みんな」とは異なる道を選ぶ可能性を、どう維持し、提示するのかを考えるべきなのかもしれない。そうした、「みんな」からズレてしまって、市場の主流からも、「仲間」たちの人間関係からもこぼれ落ちていってしまう人たちが、なお映像作品を自分なりに楽しむことができる環境が維持されうるのか。本書の裏側に隠れているのはそうしたことなのでは、と思ったりもしたのだけど、それもまた、サブスクプラットフォームのロングテール的な標的の範囲内なのかも、と思ったりと頭がぐるぐる。

そういうことを色々考えるヒントをくれる一冊だった。

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