« 2024年8月 | トップページ | 2025年12月 »

2025/09/24

小松謙『熱狂する明代:中国「四大奇書」の誕生」

小松謙『熱狂する明代:中国「四大奇書」の誕生」KADOKAWA,2024. https://www.kadokawa.co.jp/product/322403001253/ を読了。

明代に現在に伝わる形が確立したという、読みつがれ続けている長編小説、『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』の「四大奇書」成立の背景を、元から明に至る過程で生じた政治的、社会的、文化的変化から論じる、という一冊。

元における支配層の交代から、口語体である白話文の地位が変わるとともに、文人と武人の地位や関係の変化や、強大な権限を持ちつつ自らのこだわりに従って暴走する個性的な皇帝たちの支配下における地位の不安定化と、倫理的理念の敗北という現実に直面する知識人たちの煩悶など、前史である元末期から、明の終焉まで一気に論じている。とにかく、歴代皇帝や皇帝側近の宦官たちに振り回される、官僚や軍人たちの栄枯盛衰がすさまじい。課題を認識し、なすべきことをなそうとすれば、腐敗と癒着のドロドロの世界の中で媚と人脈で地位と権限を獲得せざるを得ず、その地位も、いったん皇帝の不興を買えば、どれほどの功績をあげようと瞬時に失われてしまう。栄華を誇った人物も、次の瞬間には投獄され、死罪となるのも当たり前。こうした世界で、知識と文学的素養を持った人物たちが何をどのように語るのか。特に、長編白話小説がどのように作られ、受容されていったのかが、演劇など他の通俗的な文化の動向も踏まえつつ、論じられている。

意識していなかったのだけれど、理屈より行動を重視する陽明学(雑な理解で申し訳ない…)が成立し、普及したのも明代、というのも、なるほど納得できるし、陽明学もまた、四大奇書の成立に大きく関わっているのも興味深い。

政治的には混乱が続く明代だが、市井における言論の取り締まりは比較的緩く、書物の需要は宋・元よりもはるかに広がったことで、大衆的な書物の市場が成立していった、という点も重要で(非エリート層向けの出版は元代から始まって、明代に本格化)、四大奇書のそれぞれのフルバージョンを受容したのは、一部の知識人層だったとしても、絵入の簡略版、普及版など、多様な出版が成り立つようになっている。

清になると、政治的には安定する一方で、言論統制は厳格化し、明代のような、ある意味自由で極端な議論はなされなくなり、学問は政治的議論というよりは、詳細な考証に軸を置くことになっていくとのこと。清代の学問からすれば明代の学問に対する評価は低くなり、そのことが、現在における明代に対する評価にも影響していると、というのが、著者の指摘でもある。一方で、いったん広がった読者層が消えることはなく、何度も出版統制の対象となりながらも、四大奇書もまた、清代に至っても読み継がれ、現代につながっていく。

考えてみたら、日本の江戸時代の本草学・博物学に絶大な影響を与えた、『本草綱目』も明代の出版であり、幕末・維新期に陽明学が果たした役割の大きさとかも言うまでもないはずなのだけれど、そう言えば、明代についての印象は薄かったというのが正直なところ。こんなに激しい時代だったとはまったく知らなかった。書物史の面でも興味深い点が多々あり、絵入りで印刷された長編物語が広く読まれる、という、現代日本で当たり前となった状況が広がっていったのが明代と考えると、明代侮れず、という気持ちになってくる。とはいえ、なんとも生きるのが大変そうだった時代でもあるのだけれど。

続きを読む "小松謙『熱狂する明代:中国「四大奇書」の誕生」" »

2025/09/20

港区立郷土歴史館「終戦80年 戦争を見つめなおそう」展

  • 港区立郷土歴史館令和7年度夏休み企画展〈おとなも学べる〉港区平和都市宣言40周年記念「終戦80年 戦争を見つめなおそう」
  • 会期:令和7(2025)年7月5日(土)~9月30日(火)

白金台の駅からすぐの、港区立郷土歴史館に「終戦80年 戦争を見つめなおそう」展を見に行ってきた。

今年は戦後80年ということで、あちこちの地域の博物館がアジア・太平洋戦争(港区立郷土歴史館ではその用語を使っていたので、とりあえずこれを使っておく)に関する企画展を展開していたものの、なかなか見に行く機会がなくて、そうこうしているうちに、会期がどんどん終了していってしまった。というわけで、一つくらいは見ておかねば、と思って見に行った次第。あと、カフェも併設されていて、お昼を確保しやすそうというのもあってお昼ごろを目指して出かけてみた。

ランチは博物館内のカフェとしてはやや高めという気もするが、さすが港区。なかなかこじゃれた感じで、野菜がたくさん食べられるのが良い感じ。展示を一通り見終わった後に、ケーキセットなども食べてみようと思っていたのだけど、お茶の時間は混んでて座れず。展示は人が入っていないものの、カフェはそれなりに人気の模様。

さて、肝心の企画展は、出征兵士の写真や、軍事郵便の実例、また、現在麻布台ヒルズになっている麻布郵便局跡地から発掘された「軍事郵便」印、学童疎開の際の日記など、興味深い資料も展示されてはいたものの、物量的にも、解説的にもちょっと物足りない感じ。栃木県を中心にした、学童疎開先のリストがパネルになっていたのは、当時を知る人向けなのかもしれないが、なぜ栃木だったのかを含めて、ちょっと分かりにくい感じではあった。後半は港区の空襲被害や、焼夷弾について紹介されていた。全体として、子どもにもわかりやすく、ということを考えての展示なのだとは思うのだけど、世界史や政治史的な情報がほとんどないので、なんだか大変だった、ということは、伝わるにしても、戦争が天災のように見えてしまうのではないか、というのは気になったところ。

同時開催の

も、体験者の経験や語りを中心にすることで、結果的に空襲の恐ろしさを伝えることが中心になっていて、これまたどうとらえるべきか難しい。

空襲体験が、地域における重要な歴史的記憶であることは間違いないのだけれど、港区は軍事施設が集中していた地域でもあるわけで(なお、常設展の近現代コーナーでは、そのあたり結構ちゃんと紹介されている)、仙台やあるいは広島などもそうなのだけれど、軍事施設が集中する「軍都」が空襲のターゲットになることの意味というのは、そろそろ考慮に入れたほうがよいのでは、という気もしてしまった。係員の方に、加害の側面を抜きにして、被害のことばかりを展示するのはいかがなものか、と苦情を述べている方がいたが、まあ、そう言いたくなるのもわからないではない。

なお、「こども平和塔」や、「こども平和まつり」についても、少しだけだけど触れられていて、これは地域の博物館ならでは、というところかと。

ただ、今、かつての戦争のことを考えてほしいというのであれば、むしろ、今現在行われている「戦争」との関連や類似性についての観点を盛り込むことのほうが、効果があるかもしれないとも思った。民間人を標的にして建物を根こそぎ破壊する手法は、第二次大戦を通じてある意味完成されたともいえるわけで、第二次世界大戦が現在と地続きだ、というところまで視野に入ると、もう少し自分ごととして感じられたりしないだろうか。とはいえ、歴史博物館の展示でそこまでやるのは相当難易度が高そうだけれど。

「平和展」の方では、「記憶の色を保存する 炎と灰のモンタージュ―尾形純が描く東京大空襲」ということで、画家・尾形純が、母親が体験した東京大空襲の炎に照られされる空と、燃え尽きて一面灰色となった街を、抽象化して描いた作品も展示されていた。記憶の継承という意味で、興味深い取り組みではある一方で、こうした作品が今後どのように受容されていくのか、ということについては、正直よく分からず、考えあぐねてしまった。

今後、戦争という主題を、博物館等の展示でどう扱うかというのは、ますます難しくなっていくのかもしれない。そういう意味でも、今年、一つでも関連展示を見ることができてよかったと思う。と、この文章を、出先で書いていたら、街宣車が軍歌を大音量で流しながら通り過ぎて行ったのだった。

続きを読む "港区立郷土歴史館「終戦80年 戦争を見つめなおそう」展" »

« 2024年8月 | トップページ | 2025年12月 »

2026年2月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

Creative Commons License

無料ブログはココログ