小松謙『熱狂する明代:中国「四大奇書」の誕生」
小松謙『熱狂する明代:中国「四大奇書」の誕生」KADOKAWA,2024. https://www.kadokawa.co.jp/product/322403001253/ を読了。
明代に現在に伝わる形が確立したという、読みつがれ続けている長編小説、『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』の「四大奇書」成立の背景を、元から明に至る過程で生じた政治的、社会的、文化的変化から論じる、という一冊。
元における支配層の交代から、口語体である白話文の地位が変わるとともに、文人と武人の地位や関係の変化や、強大な権限を持ちつつ自らのこだわりに従って暴走する個性的な皇帝たちの支配下における地位の不安定化と、倫理的理念の敗北という現実に直面する知識人たちの煩悶など、前史である元末期から、明の終焉まで一気に論じている。とにかく、歴代皇帝や皇帝側近の宦官たちに振り回される、官僚や軍人たちの栄枯盛衰がすさまじい。課題を認識し、なすべきことをなそうとすれば、腐敗と癒着のドロドロの世界の中で媚と人脈で地位と権限を獲得せざるを得ず、その地位も、いったん皇帝の不興を買えば、どれほどの功績をあげようと瞬時に失われてしまう。栄華を誇った人物も、次の瞬間には投獄され、死罪となるのも当たり前。こうした世界で、知識と文学的素養を持った人物たちが何をどのように語るのか。特に、長編白話小説がどのように作られ、受容されていったのかが、演劇など他の通俗的な文化の動向も踏まえつつ、論じられている。
意識していなかったのだけれど、理屈より行動を重視する陽明学(雑な理解で申し訳ない…)が成立し、普及したのも明代、というのも、なるほど納得できるし、陽明学もまた、四大奇書の成立に大きく関わっているのも興味深い。
政治的には混乱が続く明代だが、市井における言論の取り締まりは比較的緩く、書物の需要は宋・元よりもはるかに広がったことで、大衆的な書物の市場が成立していった、という点も重要で(非エリート層向けの出版は元代から始まって、明代に本格化)、四大奇書のそれぞれのフルバージョンを受容したのは、一部の知識人層だったとしても、絵入の簡略版、普及版など、多様な出版が成り立つようになっている。
清になると、政治的には安定する一方で、言論統制は厳格化し、明代のような、ある意味自由で極端な議論はなされなくなり、学問は政治的議論というよりは、詳細な考証に軸を置くことになっていくとのこと。清代の学問からすれば明代の学問に対する評価は低くなり、そのことが、現在における明代に対する評価にも影響していると、というのが、著者の指摘でもある。一方で、いったん広がった読者層が消えることはなく、何度も出版統制の対象となりながらも、四大奇書もまた、清代に至っても読み継がれ、現代につながっていく。
考えてみたら、日本の江戸時代の本草学・博物学に絶大な影響を与えた、『本草綱目』も明代の出版であり、幕末・維新期に陽明学が果たした役割の大きさとかも言うまでもないはずなのだけれど、そう言えば、明代についての印象は薄かったというのが正直なところ。こんなに激しい時代だったとはまったく知らなかった。書物史の面でも興味深い点が多々あり、絵入りで印刷された長編物語が広く読まれる、という、現代日本で当たり前となった状況が広がっていったのが明代と考えると、明代侮れず、という気持ちになってくる。とはいえ、なんとも生きるのが大変そうだった時代でもあるのだけれど。
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