2021/09/30

戸田山和久『100分de名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』』NHK出版, 2021

番組は見てたんだけど、テキストは積ん読になってた、戸田山和久『100分de名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』』NHK出版, 2021.を読了。

わりと、番組の中でポイントは紹介されていて、細部の表現的な部分の解説をテキストでは補う、という感じ。『華氏451度』を一種のビルドゥングスロマンとして読み解きつつ、「啓蒙」の困難さからの逃避ではないか、という形で、ブラッドベリの描き出した問題を批判的に問い直そうとしている。

特に、第4回「「記憶」と「記録」が人間を支える」の最後の方で語られている、次のことばがとても印象に残った。

「本より大切なのは、記憶し伝えること(本はその手段)と、それに基づく反省的思考です。この二つが失われると社会は愚者のパラダイスになります。そして、愚者のパラダイス化を避けるために終末論的リセットに期待してはなりません。《知識人》は社会の中で粘り強く《啓蒙》を続けていかなければいけないのです。しかし、大衆化した現代社会において、《知識人》による《啓蒙》ほど困難なものはありません。それをどのように再構築するのか。」

この一節に代表されるように、「社会の中で粘り強く《啓蒙》を続けて」いくことの困難さを示しつつ、にもかかわらずそれが失ってはいけない営為であることを、このテキストは、『華氏451度』という題材から、繰り返し語ってくれている。現代の社会状況を踏まえて読むと、切実すぎる話でもある。

また、大量の情報を入手してそこに埋もれることが重要なのではなく、取り入れた言葉や知識を梃子に、自らを省みて考え、行動し、変化していくことが重要という指摘は、図書館やデジタルアーカイブが、単なる情報提供サービスではなく、知識や文化の再生産や、課題解決など次の行動へつなげていくための場であり、インフラでなければならない、という議論に接続することも可能かもしれない。一方で、容易に思考を放棄させようと人々を包囲するメディアとしても、図書館もデジタルアーカイブも機能しうる、という危険性も、忘れてはならないのだろうと思ったりした。

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2008/02/11

落ち穂拾い(映画編)

 この間、見た映画は、

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(監督:摩砂雪・鶴巻和哉 2007年)
ジャーマン+雨』(監督:横浜聡子 2007年)
カフカ 田舎医者』(監督:山村浩二 2007年)
ペルセポリス』(監督:マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー 2007年)

だったかな?

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、普通に面白く見られて、何となく安心した感じ。時期的に、新訳『Zガンダム』の影響とかあるのかな、と思っていたのだけど、公式にはそういう発言は作り手側からは出ていないような。はて。
 それはさておき、私の前の席で見ていたカップルの娘さんの方が、終わったとたんに、難しくてよくわからなかった、と、連れの青年に語っていたのが印象に残っている。彼はおそらく、テレビシリーズで直撃を受けた世代なのだと思うのだけど、何とか面白さを彼女に伝えようと熱っぽく語っていた。……のだけど、あまりうまく伝わっていない様子。予備知識なしに見た人を引きつけるのは難しいのかなあ。

 『ジャーマン+雨』は、(私にしては)珍しく実写。デジタルビデオ撮影(上映も)だったこともあって、ちょっと見ていて目が疲れた。が、主役にやられた感じ。父と娘の確執とか、お話の基本構造自体は、実は古典を踏まえているのかもしれないが、主役の性格付けや、キャスティングが見事で、普通ではない作品に。いかにもミニシアターっぽい、という側面も持ちつつ、幅広い層が楽しめる要素も詰め込んであるバランス感覚がすばらしい。
 ちなみに、見たのは京都みなみ会館でのプレ上映。監督と、出演しているひさうちみちおの舞台挨拶とトーク付きでお得だった。そういえば、ひさうちみちお(劇場に自転車で来ていたのがまた印象的)の演技がまたいい味出してた。

 『カフカ 田舎医者』は、一回見ただけだと、よくわからない……。映像として凄い作りだというのはわかる。あえていえば、もっと、映像の力でねじ伏せてくれてもよかった、という気もする(贅沢言い過ぎか)。まあ、何となくすごいものを見た、という感じは残ったのでまあいいか。

 『ペルセポリス』は、イラン出身の女性の半生をもとにしたグラフィックノベルを、その作者自身が監督としてアニメ映画化したもの。てっきり、CGかと思ったら、パンフを読んだら、原画と動画はほとんど手書きだと書いてあって驚愕。
 描かれている時代もあって、相当に悲劇的なエピソードが多いのだが(イラン革命とイラン・イラク戦争の時代だったりするので)、あくまで笑いを忘れない作り。見ている間は、ゲラゲラ笑って見ていられるが、冷静になってみると、原作者兼監督の、自分自身の体験を相対化する力に圧倒される。
 ほとんどのシーンがモノクロでありながら、なんというか一種カラフルな印象さえ残る映像がすばらしい。キャラクターはシンプルなようでいて、きちんと年齢の変化を反映させる芸の細かさ。それぞれのキャラクターの動きの芝居がまたいいのだが(特に子供時代とか)、何と、監督自身が全てのキャラクターを自分で演じてみせたビデオを作り、それを参考にアニメーターが作画したのだとか。また、短いテンポで畳み掛けていくカット割りは、日本のアニメを見慣れた目にも違和感がない感じ。
 今回あげた4本の中では、一番安心して誰にでも薦められる(他は人を選ぶ)。それにしても客が少なかった……。もっと入ってほしいなあ。
 ちなみに、見た後、戦後日本において、軍と国教(国家神道)と王権が、少なくとも政治的な影響力という意味では解体・変質させられたことの「幸運」を、強く意識してしまった、などというと、建国記念日を意識し過ぎか。

2006/08/14

時をかける少女

 コミケのために東京に出たついでに、『時をかける少女』(監督:細田守,制作:マッドハウス,配給:角川ヘラルド,2006年公開)を見てきた。
 なるほど、ネット上、あるいは各種メディアにおける絶賛の嵐は、伊達ではなかった。実にいい映画である。雷雨にも負けず見に行って、落雷で山手線が止まって右往左往したけれど、それだけの価値はあった。
 とまあ、これ以上は、いろいろ書かれまくっているので、さらに書くことなんてないのだけれど、それでも、これだけはいっておきたい。
 東京国立博物館、グッジョブ!
 見た人はもうご存知のとおり、東京国立博物館(そっくりの)博物館/美術館が、この作品では重要な舞台(の一つ)として登場する。明らかに東博内部を詳細にロケハンした様子がうかがえる上に、エンディングテロップを見ていたら、作品内展示の監修を東博の方がやっている。全面支援、というほどのものではないかもしれないが、東博の長い歴史の中でも、こういう形で映画(特にアニメ)をサポートすることは、あまりなかったのではなかろうか(よく知らないが)。
 とにかくこれで東博はアニメ史にその名を刻み込んだ。羨ましい。ああ、わが社も舞台に使って欲しかった……。
 作品については、語るだけ野暮、ということかもしれないが、細田守ファンにお馴染の手法やモチーフがちりばめられていて(製作費もそんなに馬鹿高くなくて)、しかも分かりやすいというあたり、押井守における『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』みたいな位置づけになるのかな、という気もしなくもなし(でも、続編だけはやめて欲しい)。まあ、全ては、細田監督の今後の作品次第なのだけれど、たとえどんな素晴らしい作品がこの先待っていたとしても、今、この作品を見ることの価値は、まったく減ることはないと思う。傑作。
 京都でも上映が始まったら、また見に行こうかなあ。

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