2014/01/05

大瀧詠一から学んだこと

 2013年12月31日に流れてきた、大瀧詠一師匠の訃報には、本当に驚いた(12月30日没)。
 とりあえず、ナタリーの記事にリンクしておく。

大瀧詠一が急逝(ナタリー 2013年12月31日 12:35)

 師匠(他にふさわしい敬称が思いつかない)の書いたものや、ラジオでの語り(といっても、あんまり聞いてない駄目なファンだったのだけど)から、自分が学んだことを今振り返って整理すると、次の3点に集約されるんじゃないかと思う。

(1)あらゆるものには前史がある
 ロックに関しては、自分こそがオリジナルだ、とか、さもなきゃ何でもかんでもビートルズから始まった、と書いとけば何とかなる世の中だが(偏見)、ビートルズのハーモニーはエヴァリーブラザーズを踏まえているし、ビーチ・ボーイズのハーモニーはフォーフレッシュメンを踏まえていたりする。真のオリジナリティは、巨人の肩の上に乗っかって成立するのだ。
 一部のアーティストを神様扱いして、それが全てだ、というような見方は、その前にあった様々な作品を楽しむ可能性を妨げてしまうし、その人たちの何が本当に革新的だったのかを、覆い隠してしまう。考えてみれば、日本語ロックについてはっぴいえんどが神格化される流れの中で、洋楽のメロディとリズムに日本語を乗せる、という明治以来の苦闘の歴史を語ってみせたのが師匠だった。

(2)傑作は単独では存在しえない
 (1)が通時的な観点だとすれば、こちらは共時的観点。
 ビートルズの例でいえば、同時代のいわゆるブリティッシュインヴェイジョン勢が同時多発的に出てきた中でのビートルズなのであり、一方でそれに対抗する米国勢のフォー・シーズンズやビーチ・ボーイズの傑作群だったりするわけで、傑作を生み出すようなアーティストは、確かに他よりも突き抜けていたとしても、単独で存在するわけではない。単独の山として捉えるのではなく、常に山脈の中での位置づけを見ることで、個々のアーティストの魅力もより見えてくるし、同時に、同時代の様々な作品を聞き比べる楽しみも広がる。そんなことも、大瀧師匠から学んだことの一つだ。

(3)あらゆる作品にはそれを作った人たちがいる
 ほとんどの商業作品は、一人の人間だけで作られるものではない。特に商業音楽は、様々な演奏者、プロデューサー、エンジニアが関わって成立しているし、その人たちが様々な異なる作品にどのように関わったのか、ということは、作品の中に何かしら痕跡が残されているものだ。
 一つの作品がそのようにある、ということの背後に、様々な作り手が関わり、活躍していることを教えてくれたのも、大瀧師匠だった。フィル・スペクターのように、音の作り自体に大きな足跡を残す人もいるし、ハル・ブレインのドラムや、キャロル・ケイのベースみたいに、その音色が個性として刻み付けられているプレイヤーもいる。映画もそうだが、誰が関わったのかという観点から作品を見ていくと、これまで見えなかった景色が見えてくるような気がしてきたものだ。

 3つと書いておいてなんだが、もう一つ加えるとすれば、一度神格化されてしまうと、過去にその神格化が投影されてしまう(日本でビートルズをみんながみんな聞いていたわけではないし、はっぴいえんどが活動時にさほど売れていたわけではない)から、同時代の状況を考える時には、気をつけないといかんよ、ということだろうか。

 こうやってまとめてみると、どれもこれも、音楽に限らず、他のジャンルや、さらには歴史に対しても共通する、自分のものの見方の一つの基礎になっていることを痛感する。
 大瀧詠一師匠が示してくれたのは、様々な事象に対するモノの見方そのものだった、ということなのだと思う。

 改めて感謝を。そしてやすらかに。

2005/06/21

Musical Baton

 さて、「日々記―へっぽこライブラリアンの日常―」から、Musical Batonがやってきた。うーん、チェーン・メールの類いは丸めて捨てる主義者なので、どうしようかちょっと悩む。
 というわけで、自分の分は書くけど、バトンは渡さない、というお役人的玉虫色解決に決定(あ、MIZUKIさんには特に他意はないです。趣味の問題、ってことでご容赦を)。
 まあ、オレに回せー、というリクエストがあれば考えないでもないので、友人・知人の方でMusical Batonを待ち望んでいる人はご一報を。
 それにしても、何となく書いてみたくなるこのテーマ設定を考えた人はお見事ですな。

・Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
 11.27GB。使っているiPodの容量が15GBなので、そろそろピンチかも。

・Song playing right now (今聞いている曲)
 今は聞いてないんですが、帰りがけに最後にiPodでかかっていたのは、The Rolling Stones "Tumbling Dice"。

・The last CD I bought (最後に買ったCD)
Jimmy Webb "Twilight of the Renegades"
Giles, Giles & Flipp "The Cheerful Insanity of Giles, Giles & Flipp"
V.A. "Beach Boys Best of Tribute"


・Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
○大滝詠一/君は天然色
 音楽の聞き方というか趣味を変えた一曲。
○The Beach Boys/Wendy
 ビーチ・ボーイズで一曲選ぶならこれ。
○The Everly Brothers/Crying in the Rain
 ケイデンス時代も好きですが、一曲選ぶならワーナー時代のこれを。
○Manfred Mann/My Name is Jack
 英国系は10ccかELOかThe Zombies、という手も考えましたが、これで。
○NRBQ/Ridin' in My Car
 現役のバンドとしては、NRBQが一番。一曲選ぶならこれかなあ。

2004/11/15

Sound & Recording Magazineにブライアン・ウィルソン『スマイル』の記事

 現時点で最新号の『Sound & Recording Magazine』23巻12号(2004年12月)pp.50-59に、Matt Bell「ブライアン・ウィルソン 37年の時を経て世に送り出された幻のアルバム『スマイル』」という記事が。
 2004年版『スマイル』のレコーディングがどのようにして行われたのかを詳細にレポートした記事と、1960年代版『スマイル』に関するコラムの組み合わせ記事。
 ブライアンとヴァン・ダイク・パークスが一緒に作業を始めたあたりのくだりは鳥肌もの。「そのときヴァン・ダイクはブライアンにこう声をかけた。“勇気を持たないといけないんだ、友よ”とね」とか。たまりませんな。
 1960年代版の音源がどのように活用されたのか、とか、2004年版のレコーディングの際のスタジオでの楽器の配置とか、細部に関する情報も多数。1966,7年ごろの音に慣れた耳にも違和感のない音を作りあげていった苦心の過程がよくわかる。
 若干、他のインタビュー(特にブライアン本人関係)とかと食い違う証言もあるのが気になるけど、何にしても、ブライアン・ウィルソン、あるいは『スマイル』のファンは必読でしょう。

2004/03/15

ジョージ・ハリスン、ダークホースレーベル時代再発追伸

 先日、ジョージ・ハリスンの『ライヴ・イン・ジャパン』にかこつけて、コピーコントロールCDについていちゃもんを付けたのだが、その蛇足。
 何のことはない、米国Capitol版はコピーコントロールが施されていないそうな。ちなみに、欧州(EU)版はコピーコントロールがほどこされているが、MacOSでの再生に一応対応、日本版はWindowsのみ一応は再生可能で、MacOSは対応せず、と、いうことになるらしい。何だかなあ。
 なるほど、これがグローバリズムにおけるランク付けというものか。あまりにも分かりやすい構図に正直うんざり。今は亡きジョージ・ハリスン本人は、こうなることを知っていたのだろうか。

2004/03/09

ジョージ・ハリスン/ライヴ・イン・ジャパン

 あんまり音楽ネタを書くつもりはなかったのだけれど……。
 何故か、某CD屋がジョージ・ハリスン祭状態だったので、何だろう、と思ったら、ダークホース・レーベル時代のアルバムがリマスターされて再発されていた。こりゃ素晴らしい、と喜んだのだが……何で、コピー・コントロールCDなんだ? 結局、買ったのは、SACD(SACDのプレーヤーを持ってないのに)とCDのハイブリッド版『ライヴ・イン・ジャパン』だけ。これだけ、ちゃんと「compact disc」のロゴが入っていて、コピー・コントロールではない。とはいえ、家のDVD/CD兼用プレーヤーでは、SACDとのハイブリッド版はかからないらしく、しばらく取り出せなくなって、ヒヤヒヤするはめに。結局、まともに聞けやしない。
 輸入物のダークホース・レーベル・ボックス(The Dark Horse Years)も、国内ものと方式は違うようだが、コピー対策がとられているらしい(故に、「compact disc」のロゴは入っていない)。悩んだ末、結局、買うのはやめた。
 ふと気がつけば、CD屋の店頭に並んでいるCDのかなりのものが、コピー・コントロールが施されている。こうして見ると、『Let It Be…Naked』がとどめを刺した、という気もする。もはや、この流れは止まるまい。CDからiTunesに取り込んでiPodへ、そして、通勤時間に聞きまくる、という楽しみ方は、許されないということなのだろう。
 ウォークマンに始まった、好きな音楽をいつでも持ち運ぶ、という楽しみ方は、iPodで完成して、そして、終わりを迎えるのかもしれない。
 これからは、AppleのiTunes Music Storeのような、特定の流通ルートで著作権管理の仕組みが組み込まれたものだけを、持ち運んで聞くことを許されるのだろう。しかし、各社が互換性抜きで流通面での囲い込みを進めている現状では、選択肢が狭くなってしまう。それに、売れなかったレコードやCDが、後に再発見されてブームになるようなことは、オンラインでの音楽販売では考えにくい。売れない曲のデータは、販売サイトとの契約期間が過ぎれば、何の痕跡も残さずに消えるだけだろう。わずかに購入した人の手元に残ったデータも、コピーが繰り返せないようになっているのだから、(コピープロテクトを外さない限り)そのうち消えるしかない。
 シグマブックのような手軽に持ち運べる電子書籍も、著作権管理の仕組みが組み込まれているようだが、やはり互換性のないまま流通の囲い込みが起きれば、同じように、選択肢の狭さと、売れない著作が本当に何も残さずに消えていく、という事態が待っているのではなかろうか。
 全てをデジタルにして、その全てを身に付けて持ち運ぶ(あるいはどこからでも呼び出す)、という生活は、確かに実現するかもしれないが、何だかとても貧しいものになりそうな気がしてきた。とりあえず、せめてもの反抗として、コピー・コントロールCDは、今後も買わないことにしておこう(お金の節約にもなるし)。
 あ、書くまでもないので、ぐだぐだ書かないけれど、『ライヴ・イン・ジャパン』はいいですな。エリック・クラプトンのファンも必聴。

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