2021/10/16

成高雅「多紀元簡『槴中鏡』について」日本医史学雑誌67(3)[2021]

ここのところ、『日本医史学雑誌』をまともに読んでいなかったのだけど、

成高雅「多紀元簡『槴中鏡』について」日本医史学雑誌 67(3)[2021] pp.251-265

がやたらと面白い論文だったので紹介。といっても、内容を完全に理解できるほどの知識はないので、実際の論文はさらに深い、と思っていただければ。

この論文で主題となっている多紀元簡(1755-1810)は、江戸時代の漢方医。元簡の時代には、多紀家の家塾は官立の医学館となっている、というと多少はその立ち位置が伝わるだろうか。清朝考証学の影響を受けた、医学考証学派を代表する人物でもあり。その元簡の最初の著作とも言われる『槴中鏡』は、漢籍における書物収集や書誌学に関する記述を抜き書き編纂したもので、写本でのみ伝わっている。日本古典籍総合目録DBでも複数の伝本が確認できる。

これらの伝本を詳細に確認(ちなみに国立国会図書館所蔵本も当然分析の対象に)、系統関係を整理するとともに、自筆本である無窮会図書館所蔵本との比較などを詳細に行っている。(ただし、無窮会図書館は閲覧停止中のため、複製を用いたとのこと)

写本の伝播経路の分析では、大田南畝、狩谷棭斎、伊沢蘭軒、森約之、徳富蘇峰といった名前が並び、明治期に至るまで『槴中鏡』が関心を持たれていた様子がうかがえる。また、誤写等の分析から、系統関係も明らかにされており、写本の伝播の過程から見える、蔵書家たちの人的ネットワークも興味深い。自筆本である無窮会本は、流布している写本よりも大きく増補されていることも明確になっており、無窮会本の価値の高さも確認されたといえるのでは。

さらに『槴中鏡』で引用された元ネタ漢籍の分析からは、明清の考証学の影響があらためて確認されており、宋版など漢籍版本についての記載や装丁など、元簡に書誌学的な関心があったことも示されている。

というわけで、多紀元簡の学識と、漢籍を元にした書誌学に関する類書ともいえる『槴中鏡』の意義がよく分かる論文。江戸期の書誌学的関心のあり方や、人的ネットワーク、という観点から読んでみるのも面白いと思う。それにしても、こういう論文が紙でしか読めない、というのが、何とももどかしい。

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2021/10/06

文弘樹『こんな本をつくってきた─図書出版クレインと私』編集グループSURE,2021

文弘樹『こんな本をつくってきた─図書出版クレインと私』編集グループSURE,2021.を読了。直販中心で、一部の書店でしか扱われていないこともあって、版元ドットコムにも書誌・書影がなかったり。

一人出版社、図書出版クレインの編集者であり経営者である文弘樹氏が、自身の生涯と、代表的な出版物について、黒川創氏を中心とした聞き手によるインタビューというか、ほぼ対談・座談会のような形式で語っている一冊。

著者、翻訳者、著作権者とのやり取りだけではなく、本文のレイアウトや、装丁から校正まで、印刷製本を除けば、本当に一人で行っている一人出版社としての活動も興味深いが、前半の出版社立ち上げに至るまでの話が実はすごい。

特に、1970年代後半から1980年代の、日本のアンダーグラウンド、カウンターカルチャーが、韓国における民主化運動と連動しつつ、在日朝鮮人コミュニティともかかわりながら展開されていたことについては、まったく無知だったので、初めて知ることばかりだった。さらに、結果的に、ということかもしれないが、こうした草の根的な流れが、文弘樹氏という結節点を通じて、現在の韓国文学翻訳の隆盛とも接続しているという話としても読むことができるようになっている。

少年時代の京都についての証言、特に、在日朝鮮人コミュニティが存在した、京都駅の南側、鴨川べりのバラック群の話もまったく知らなかった。観光地化された京都市街地中心部とは異なる、周辺部に展開する独特の空間がどう形成されたのか、という意味でも興味深い。

クレインの代表的出版物としては、エドワード・サイードの『ペンと剣』の話が、サイードの参照・利用のされ方への批判的な見方も含めて印象的。現在入手困難なのが惜しまれる。訳者との出会いも含めて、その本が出版される、ということが、さまざまな出会いと、思いが交錯する中での出来事であることがよくわかる。

また、文化政策関係者は、パク ミンギュ『カステラ』刊行に至る経緯での、韓国の海外向け文化振興策についての証言は必読かと。韓国政府が、コンテンツ、助成、相手国の言葉でやり取りできる交渉担当者と、きっちり態勢を整えて海外向け文化政策に臨んでいる様子がうかがえる。本気で自分たちの文化を海外に売り込むなら、このくらいやらないといかん、ということか。

読み進めることで、日本における文化の豊かさは、実は在日朝鮮人を含む他民族社会であることに支えられているのではないか、という感想を持ちつつ、当事者としての経験に関する複雑な語りを読むと、そのことを屈託なく語れるような状況でもまだまだないよなあ、という気持ちにもなったり。とにかく、出版という営為が、社会と文化と経済の結節点にあることがよくわかる一冊。それを(印刷製本以外は)一人で担っている、ということで得られる視点が、本書の面白さをさらに増幅しているかもしれない。

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2021/10/03

伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留 編『世界哲学史4 中世Ⅱ 個人の覚醒』筑摩書房,2020.(ちくま新書)

世界哲学史4

3まで読んだところで積ん読になっていた、伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留 編『世界哲学史4 中世Ⅱ 個人の覚醒』筑摩書房,2020.(ちくま新書)を読了。 ちなみに、本のリンク先は版元ドットコムにしてみた。書影もopenBDで使えるということでやってみた。どうやら、次の形で書影を呼び出せる様子。

https://cover.openbd.jp/9784480072948.jpg (数字はISBN)

なお、openBDからの書影呼び出しについては、次のブログの記述に助けられました。ありがとうございました。

「openBD をつかって書影画像を表示させてみる」(mersy note)

さて、本題に。

4巻目は、13世紀を中心にその前後も扱う、という感じで、内容的にはヨーロッパ、キリスト教が中心。というわけで、トマス・アクィナス無双、という感じ。結果的にアリストテレス(と、アリストテレスが提唱した概念)についての記述も多い印象。短いコラムだが、佐々木亘「トマス・アクィナスの正義論」(コラム2)など、現代的な意義に踏み込んだ話もあり。

第7章の辻内宣博「西洋中世哲学の総括としての唯名論」は、普遍論争の解説にもなっていて、ウィリアム・オッカム(「オッカムの剃刀」の人)の位置づけも含めて、分かりやすい見取り図を示してくれていて、ありがたかった(ちゃんと自分が分かったかどうかはまた別の話だけど)。

その分、第9章の蓑輪顕量「鎌倉時代の仏教」は、鎌倉時代の仏教の多様な展開をそれまでの時代の仏教の状況も踏まえつつ超圧縮して記載するという超絶技巧を繰り広げていて、これはさすがに1章に詰め込むのは無理があったのでは。第8章の垣内景子「朱子学」が思い切って割り切って細部を切り落とした記述だった分(詳しくは自分の著書、『朱子学入門』(ミネルヴァ書房, 2015)を見よ、とのこと)差異が際立った面もあるかもだけど。

その第8章は、断定文体でぶった切っていく分かりやすさが、本当にそこまで言い切っちゃっていいの、と読んでいて若干不安になるくらいの明快さで、かつ、仏教との対決を通じて確立された朱子学の特徴が分かりやすく論じられていて面白かった。『朱子学入門』も読んでみなくては。なお、もともと朱子学用語である「窮理」を論じた上で発せられた、「朱子学用語による翻訳のせいで、我々は西洋由来の諸科学を十分に受容できなかったということはないのだろうか」という問いは、漢学の素養を西洋の学問の移入においてプラスに評価することの多かった洋学史的に重要ではないだろうか。

このシリーズは、一冊読むとなかなか頭が疲れるので、すぐに次の巻に進む気にはなれないけど、またしばらくしたら、次も読もうかと思う。

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2021/09/30

戸田山和久『100分de名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』』NHK出版, 2021

番組は見てたんだけど、テキストは積ん読になってた、戸田山和久『100分de名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』』NHK出版, 2021.を読了。

わりと、番組の中でポイントは紹介されていて、細部の表現的な部分の解説をテキストでは補う、という感じ。『華氏451度』を一種のビルドゥングスロマンとして読み解きつつ、「啓蒙」の困難さからの逃避ではないか、という形で、ブラッドベリの描き出した問題を批判的に問い直そうとしている。

特に、第4回「「記憶」と「記録」が人間を支える」の最後の方で語られている、次のことばがとても印象に残った。

「本より大切なのは、記憶し伝えること(本はその手段)と、それに基づく反省的思考です。この二つが失われると社会は愚者のパラダイスになります。そして、愚者のパラダイス化を避けるために終末論的リセットに期待してはなりません。《知識人》は社会の中で粘り強く《啓蒙》を続けていかなければいけないのです。しかし、大衆化した現代社会において、《知識人》による《啓蒙》ほど困難なものはありません。それをどのように再構築するのか。」

この一節に代表されるように、「社会の中で粘り強く《啓蒙》を続けて」いくことの困難さを示しつつ、にもかかわらずそれが失ってはいけない営為であることを、このテキストは、『華氏451度』という題材から、繰り返し語ってくれている。現代の社会状況を踏まえて読むと、切実すぎる話でもある。

また、大量の情報を入手してそこに埋もれることが重要なのではなく、取り入れた言葉や知識を梃子に、自らを省みて考え、行動し、変化していくことが重要という指摘は、図書館やデジタルアーカイブが、単なる情報提供サービスではなく、知識や文化の再生産や、課題解決など次の行動へつなげていくための場であり、インフラでなければならない、という議論に接続することも可能かもしれない。一方で、容易に思考を放棄させようと人々を包囲するメディアとしても、図書館もデジタルアーカイブも機能しうる、という危険性も、忘れてはならないのだろうと思ったりした。

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2021/09/26

樋口恭介『未来は予測するものではなく創造するものである─考える自由を取り戻すための〈SF思考〉』筑摩書房, 2021

樋口恭介『未来は予測するものではなく創造するものである─考える自由を取り戻すための〈SF思考〉』筑摩書房, 2021.を読了。

未来のあり方を想像し、創造するための手法として、SF小説(厳密には小説に限らないが)を活用する、SFプロトタイピングについての解説と事例集。著者はSF作家であるとともにコンサルタントとして活躍しており、通常の課題・問題解決を旨とするコンサルとは、本質的に異なるものとして、SFプロトタイピングを位置づけつつ、SF的な発想や考え方そのものを、未来を自分たちで作り出していくために必要なものとして位置づけ、その重要性を語っている。

実践的な手法についても解説されているのだけど、そうはいっても、自分たちでいきなり実践するより、まずは著者に依頼するのが一番手っ取り早そう、という気持ちにさせる、という意味では通常のコンサル本的な性格も。

予測と予想に縛られた思考から解き放たれるために、SF的な想像/創造力が有効である、という話は、刺激的。明るい未来だけではなく、ディストピアを想像した上でその未来にどう対抗するのか、という発想をするというのもあり、という感じなので、現状ではむしろディストピア的想像力の方が案外ぶっ飛んだ発想ができるかもしれない、などと思ったり。

何にしても、こういうワークショップ、図書館や博物館関連のイベントで、情報や、知識、文化の未来を想像する、という感じでやってみたら楽しそうだなあ(と思ってしまう時点で、著者の術中にはまっているような気も……)。

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2021/09/25

吉村生・髙山英男『水路上観察入門』KADOKAWA, 2021

吉村生・髙山英男『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』KADOKAWA,2021.を読了。

板橋区立高島平図書館で開催されている「高島平×水路上観察入門展」(2021/9/12(日)~10/3(日))が面白かったので購入して一気読み。暗渠化された河川の上の空間を歩き、観察する楽しみを、著者お二人の異なる視点、アプローチで紹介している。

暗渠の上がどう変貌したかを楽しむか、暗渠化されてもなお残る河川の痕跡を楽しむか、楽しみ方はそれぞれ微妙に異なるが、都市・住宅地の開発の中で隠され、忘れられ、捨てさられたものが、さまざまな形で吹き出してくる、その様相がなんとも味わい深い。

それにしても、今はウォーターフロントなどと持てはやされたりもするが、高度成長期における都市部の河川は、工場・生活排水が流れ込み、汚濁にまみれ、悪臭を吹き出す悪所であり、住人から暗渠化が望まれるものだった、ということを自分は完全に忘れ去っていた。いかに人は忘れるのか、ということを改めて突きつけられた感じもする。

まあ、そんな堅苦しいことを考えなくても、暗渠とその周辺には、それぞれの地域の普段は忘れられた歴史と、普段は意識化されない生活のありようやその変化が詰まっている。それを写真や解説を通じて、ゆるやかに楽しむ視点を提示してくれる一冊。なお、写真が大量に詰め込まれていてそれがまた楽しいのだけれど、紙では一つ一つの写真が小さいので、老眼には、拡大できる電子版の方がよいのかも。

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2021/09/21

『図書館雑誌』2021年9月号 特集「地域資料のいまとこれから」

『図書館雑誌』2021年9月号(vol.115 no.9)が届いた。特集は「地域資料のいまとこれから」。

とにかく、福島幸宏「地域資料の可能性」(p.568-571)は必見。著者のこれまでの図書館再定義論に関する文献と、関連する他の論者による主要文献に言及した、自身によるレビュー論文とでもいうべき論考で、ここを起点に、注記にある各文献にアクセスすることができる。今後、議論を深めるための起点を提供する一本。地域における社会運動や、ボーンデジタル情報への目配りも。それにしても、この論考が図書館雑誌の特集冒頭を飾る時が来た、ということ自体が事件かもしれない。

特集では、取り組み事例として、青森県立図書館デジタルアーカイブとっとりデジタルコレクションといったデジタルアーカイブや、丹波篠山市の地域資料整理サポーターの活動、埼玉県立小川高等学校を中心とした「おがわ学」における町立図書館の貢献、福岡アジア都市研究所のコレクションの紹介が、当事者である各論者により執筆されている。デジタルアーカイブ以外の事例においても、デジタル化やオンラインへの対応に関する記載がある点も注目だろう。敢えていえば、後は大学と地域との関係についての論考があれば…、というところだろうか。

特集最後の是住久美子「図書館はオープンガバメントに貢献できるか」(p.583-585)は、2018年3月に慶応義塾大学において開催された公開ワークショップ「図書館はオープンガバメントに貢献できるか?」での議論を起点に、地域資料や行政資料のオープンデータ化に図書館が果たすべき役割と、その効果について論じている。特に公共図書館に「市民の参画や行政と市民との協働」という視点を導入しようする点が重要、という気がする。

特集をざっと通読して、地域や地域資料が、なぜ重要なのか、という点についての検討が物足りない感じがして、そこが少し気になった。図書館が大手カフェチェーンと組み合わさることで、その地域とはある種独立した、都会的な空間の提供場所として評価されることが少なくない状況において、なぜ地域が重要なのか、ということについては、改めて問い直しておく必要があるような気がする。また、地域は、さまざまな社会・経済関係の基盤であると同時に、さまざまな社会的・人間関係的制約により個人を縛るものでもある。地域の公共図書館が、結果的に地域に住む人たちを地域のさまざまな制約の中に縛りつけるための仕組みとして機能する可能性について、もう少し敏感になった方がよいのかもしれない。先に触れた是住氏の論考では、地域を開いていくための地域資料の可能性も論じられているのだけれど、それに加えて、地域を変えていくための地域資料の可能性も、考えていく必要があるのかも。難しいとも思いつつ。

何にしても、福島氏の論考によると、蛭田廣一『地域資料サービスの実践』日本図書館協会, 2019.(JLA図書館実践シリーズ41)が出発点になるので読んどけ、ということのようなので、読まねば。

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2021/09/20

ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)36号(2021年夏号)特集 戦争の記憶と記録

ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)の36号を、電子版で一通り読了したので感想をメモ。

特集「戦争の記憶と記録」については、「大事なことはわかりやすい節目を待つ必要はありません」という、岡本真氏の巻頭言の一言は確かにそのとおりかと。全体として、1945年以前の戦争の経験者が現実にいなくなっていく、という状況下で、かつ戦争を知らない若い世代を拒絶しない形の戦争体験の継承がどのように可能か、という論点と、図書館等による戦争資料の収集と、組織化を通じた戦争資料を見える化していく取組みをどのように行なっていくことができるのか、という論点が絡み合う形で議論されている、という印象。

それと、水島久光「付記 デジタルアーカイブ化に向けた「レベル」別支援」(p.82-83)における、

「ある物品や文書資料を、「戦争」に関連づけて拾い上げる行為がなされて初めて、それらは「戦争関連資料」として認識されるのであり、その点において「目録」づくりは、行為遂行的(performative)なアクションであるということができる。」

という指摘は、戦争関連の資料に限らず、いわゆる主題書誌、専門書誌、参考書誌とは何なのか、ということを考える際に、重要なのではないだろうか。

また、正面からはあまり論じられていないが、歴史修正主義者の活躍が、出版においても猖獗を極める状況下において、いかに戦争資料を収集し、提示していくのか、という問題も背景にはあるように思う。歴史修正主義者(正確には修正ではなく、改変・捏造と言うべきだろうが…)に対して、地道に抵抗していくためにも、戦争資料の蓄積と組織化、そしてそれに基づく提供と共有は不可欠だろうが、だからこそ、攻撃対象となるリスクも伴う。また、特にサブカルチャーやSNSで歴史修正主義的な見方を先に身に付けてしまった人たちに対して、どのように蓄積された資料を提示していくのかは難しい課題だろう。間口を広くしつつ、資料への向合い方について、どのようにして考え直す契機を作り出すのか、という問いも絡んできそう。

こうした難しさに対峙していくためには、組織・機関を越えた横のつながりが必要で、その意味でも、現状をレポートし、課題を整理したこの特集の意味は大きいと思う。「展示」や「目録」という既存の手法をどのようにデジタル環境に組み込んでいくのかという面でも意欲的な議論が展開されているところもありがたい(例えば、椋本輔・上松大輝「戦争関連資料をつなぐメタデータ共有システムの構想」(p.84-93))。

あえていえば、日本社会が直接、間接に関わった1945年以降の戦争についても、ここで議論されているような方法で対応できるのかどうかが気になるところではあり。ただ、そのあたりは、責任編集者でもある水島久光氏の『戦争をいかに語り継ぐか 「映像」と「証言」から考える戦後史』NHK出版,2020.(NHKブックス No.1263)をまずは読んでから考えるべきなのだろう。

連載では、奈良県立図書情報館の乾聡一郎氏のインタビュー(「司書名鑑nol.31」)におけるイベントに対する考え方(「続けることが目的になるようなことがあったら、そのイベントの使命は終わったという考え」)が印象に残った。

また、猪谷千香氏による現代マンガ図書館の蔵書も集約された米沢嘉博記念図書館についてのレポート(「猪谷千香の図書館エスのグラフィーvol.17」)では、複写サービスを行なっているところに注目していて、言われてみると、確かにそれは、なぜ「図書館」なのか、という点で、重要であることに気付かされた。

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2021/09/19

『世界』(岩波書店)2021年10月号(第949号)

電子版出ないのかなあ、と思いつつ、岩波書店の『世界』2021年10月号を紙で斜め読み。以下、気になった記事についてメモ。

河田昌東「世に放たれたゲノム編集野菜」p.10-14.

CRISPR-Cas9等のゲノム編集技術を用いた品種の栽培の拡大についての話。遺伝子組換え野菜と異なり、外来遺伝子が導入されていなければ表示義務がない、というのは、知らなかったのでちょっと驚いた。

消費者庁のサイト(ゲノム編集技術応用食品の表示に関する情報)をみると、確かに、遺伝子組換え相当かどうか、という基準が導入されている。基準の妥当性云々以前に、こうした議論がなされていたことが、自分のアンテナにまったく引っかかってこなかったことに、軽く衝撃を受けた。あまり話題になってない、というのもあるのではとは思うものの、自分の感度の低さが少々腹立たしい。

東大作「アフガン政権交代 失敗の教訓と平和作りへの課題」p.25-35.

米国の戦略がことごとく狙いを外していく一方で、タリバンが地元密着の課題や対立の解決に地道に取組み、各地域の人々の支持を着実に獲得してきたのかについて言及されている。過去に何度かあった和平のチャンスが、米国の姿勢や、様々な状況の影響で失われていたことも紹介。

それにしても、9・11で亡くなった死者約3千人。そして、その後の20年間でアフガニスタンでの戦闘で亡くなった死者は、一般市民が毎年数千人、戦闘員は数万人と推定されているという。9・11の衝撃を、私は忘れることができないが、その一方で、9・11への対応を契機として行われた戦闘によってアフガニスタンで死んでいった人々のことを、私は、忘れるどころかそもそも正確な死者数すら知ることがない。この圧倒的な非対称性に呆然とした。死者に対するこれほどの記憶の非対称性を何とかしない限り、憎しみや不信が消えることはないのではないか、という気がした。

山岡淳一郎「コロナ戦記 第13回 デルタ株との総力戦」p.54-63.

河井香織「分水嶺Ⅱ コロナ緊急事態と専門家 第4回 コロナ災害の中の命」p.64-75.

今の『世界』の看板連載2本。継続して、新型コロナウイルスへの対応状況を追いかけるには、どちらも必読だろう。現場の病院や自治体の対応を中心にした「コロナ戦記」と、政府と政府と直接やり取りする立場にある専門家たちの動きを主に追う「分水嶺Ⅱ」という感じ。

今回は、どちらもデルタ株による医療危機の状況への対応について記録している。特に「コロナ戦記」の備えがあった自治体の対応の記述が印象に残る。おそらく、のど元過ぎればなんとやら、に(自分も含めて)なると思うので、一部の例外はあるにしても、全体としてはいかに備えが薄かったか、ということを確認する意味も含めて、こういう記事は重要かと。

西山太吉「「NHK」に問う 「独占告白 渡辺恒雄」を視聴して」p.84-89.

昭和編を見て、なんでこんな自慢話を、貴重な証言とかなんとか持ち上げるのだろう、という感想だったので、平成編は見てないんだけど、これを読んだら、まあ、見なくてよいか、という感じに。

新聞が政治運動と関わる形で立ち上がってくること自体は、別に日本に限ったことではないだろうとは思うものの、政治から独立したジャーナリズムという、独自の領域を明確に確立する方向に向かわなかったことの、少なくとも責任の一端は、渡辺氏にあるのでは、という気も読んでいてしてきた。

池田明史「多極化する中東世界 イスラエルとアラブの「接近」が意味するもの」p.152-161.

「アラブの春」により、各国の諸勢力間のパワーバランスを巧みに操ることで維持されてきた独裁政権が倒されたことで、各国内で諸勢力間の直接の対立関係が顕在化した、という見立てがなるほど。その結果として、外交面での安定志向から、イスラエルとは融和の方向に多くの国が向かっており、パレスチナ問題は既にイスラエルの国内問題となりつつある、というのが、読んでのざっくり理解(雑なまとめなのであまりあてにしないように)。

撤退を進める米国と、影響力を強める中国・ロシアの思惑もからまり、新型コロナによって一端先送りされてきた各国内および国際的な対立関係や、各国の民衆レベルでの不満の高まりなど、様々な要因が絡まりあっている状況が解説されていて、納得感あり。ただ、こんなのどうすりゃいいんだ、という感じでもある。

稲葉雅紀「ポスト・コロナを切り拓くアフリカの肖像」p.192-199.

勝俣誠「新しい南北問題の中のアフリカ パンデミック、武力紛争、気候変動」p.200-209.

アフリカ関係2本。今、総合誌でこういうのが読めるのは『世界』だけかもしれない。

「ポスト・コロナを…」の方は、国際的に活躍するアフリカ出身の人々を紹介。登場するのは、国際的なワクチンギャップに対して果敢に交渉を繰り広げてアフリカでのワクチン供給の道を切り開こうとするストライブ・マシイワ氏(アフリカ連合コロナ特使)、先進国による圧力を受けつつも新型コロナ対策のための多国籍間の枠組みの構築と維持に奔走するテドロス・アダノム・ゲブレイェスス氏(WHO事務局長)、WTOを舞台にワクチンに関する知的財産権の一部免除を提案し交渉を繰り広げるシリル・ラマボーザ氏(南アフリカ共和国大統領)、その提案を受けて調整のかじ取りを担うオコンジョ=イウェアラ氏(WTO事務局長)。過酷な時代、状況を乗り越えてきた人々による、脱植民地化を含む新たな動きを紹介している。

一方で「新しい南北問題…」の方は、特に赤道以北のアフリカ諸国が、ヨーロッパ諸国とイスラム諸国の思惑に振り回されてきた構造を、「文明の境界としての地中海」を軸に解説しつつ、各国の貧弱な公共セクターや、分断された農業従事者などの問題、継続的な産業政策のための援助の欠落など、様々な問題があること紹介している。また、アフリカに介入し続けてきたフランスへの抵抗やそれを受けたフランス側の変化など、植民地の問題が今も続いていることがよく分かる。

小笠原みどり「寄宿学校の遺体と植民地国家の罪:タニヤ・タラガ著『命を落とした七つの羽根—カナダ先住民とレイシズム、死、そして「真実」』」p.260-263.

村上佳代訳、青土社2021年刊の書評を通じて、カナダの先住民政策政策の問題点についても紹介。

カナダでは、今年、19世紀末から設置された先住民向けの学校である「インディアン寄宿学校」において、劣悪な環境で多くの先住民がそこで死に追いやられ、遺体が敷地内に大量に埋められていたことが明らかになったとのこと。多文化共生というカナダの人々のセルフイメージに対して深刻な疑問が突きつけられているという(その一方で、追悼のために州議事堂が人々が持ち寄った子ども靴やぬいぐるみで埋め尽くされたという話も紹介されている)。

評されている書物自体は、2000年から2011年に行方不明となり、亡くなった7人の若者の足跡を追い、その中で、先住民に対する制度的な人種差別の状況を描き出しているという。こうした書物の刊行が、近年のインディアン寄宿学校の調査につながっているとのこと。

差別などない(自分は見たことがない)という言葉を軽々しく語ってはいけない、ということでもあるだろう。一度不可視化された構造的差別の実態を明らかにするためには、そのために相当の努力が必要であることも分かる。


その他、東京オリンピック特集は「敗戦」と戦争の比喩を使っている時点で今一つピンと来ない感じ。

「脱成長」特集は、評価が難しい。市場の暴走を抑えつつ、格差を拡大させず、かつ循環がうまくまわる経済システムをどう構想するのか、というのは、簡単な話ではなさそう。

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2021/09/18

筒井清忠 編『大正史講義』筑摩書房, 2021.(ちくま新書)

筒井清忠 編『大正史講義』筑摩書房, 2021.(ちくま新書)

出版社の紹介ページはこちらに。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074164/

少し前に読了。それにしても、大正時代は「○○事件」多過ぎ……。まったく覚えきれない。しかも第○次とかつくと、もうお手上げ。とはいえ、宮中某重大事件は、やっとどういう話か覚えられた気がする。第18講の黒沢文貴「宮中某重大事件と皇太子訪欧」のおかげです。現代なら、川端裕人『「色のふしぎ」と不思議な社会─2020年代の「色覚」原論』筑摩書房, 2020.をまず読んで落ち着け、という話なのだけど、当時はそういう感じだったのか、ということも含めて、なるほどだった。

正直、「○○事件」もそうだけれど、このシリーズは、固有名詞ががんがん説明なしに出てくるので、最初に読む一冊としてはきつい印象。一方で、教科書的記述からもう一歩踏み込んで、多様な切り口から歴史を見直す、という意味では相変わらず見事な編集と構成ではないかと。

単に自分が不勉強なだけ、という話もあるが、あちこちに、読んでいて、なるほど、そうだったのか、と思う記述がちらちら出て来て勉強になった。例えば、第5講の牧野邦昭「大戦ブームと『貧乏物語』」での、現在の日本国内の代表的美術品コレクションが第一次世界大戦による好景気によって巨額の財を築いた経営者により蓄積された、という指摘は実は重いのでは。欧州で大量の血が流れたことで得られた財で蓄積された美術品、文化財を今の自分たちが楽しんでいる、という構造をどう捉えればよいのか、複雑な気持ちになった。

以下、いくつか印象に残ったポイントをメモ。

第6講の渡辺滋「寺内内閣と米騒動」では、世評低めの寺内内閣の時期に、理化学研究所の設立などの研究機関の整備や、後の科研費に繋がっていく科学研究奨励費の制度整備が進んだ、という指摘に、なるほどそれも寺内内閣だったのか、と認識を新たに。

第12講の高原秀介「日露戦争後の日米関係と石井・ランシング協定」には、さらりと、ハワイについて、日本人移民の増大とハワイ政府と日本政府との親密な関係等を警戒した米国政府が1898年にハワイ併合に踏み切った、という記述があったりして、え、そうだったの、となったり。

第16講の進藤久美子「女性解放運動──『青踏』から婦選獲得同盟へ」での、治安維持法の成立が、婦人参政権獲得運動に大きな影響を与えたというくだりも、まったくそういう認識がなかったので驚いた。「男女平等の政治的権利の要求は「国体の変革」と直結する危険性を内包していた」という視点は、現在のバックラッシュの状況との関連も含めて、実は重要なのでは。

第19講の筒井清忠「関東大震災後の政治と後藤新平」での、後藤新平礼賛・神格化に対する徹底的な批判も印象的。様々な史料を参照しつつ、当時の政治状況を踏まえてぶった切るところが痛快ですらあり。また、講末尾では、大規模災害に対応するための政治のあり方について、一般化して論じる、という踏み込んだ構成になっている点も要注目。

以上、個人的に印象に残ったポイントを拾って紹介したが、他の各講も示唆に富む記述がそこかしこにあって、面白かった。さらに詳しく知りければ、各講末尾の「さらに詳しく知るための参考文献」を手がかりにすれば良い、という安心感もシリーズ共通。視点が次々変わり、同じ人物に対する評価も当然それぞれの視点によって変化するので、通史的に概要を頭に入れたい、という目的には向かないとは思うが、視点を変えることで世界と歴史の見え方が次々と更新されていく楽しみは味わえるかと。

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