2023/06/24

岡田弘子(和田収子)の『古京の芝草』について

先日立ち寄った古書店で入手した、

岡田弘子 著『古京の芝草』,立命館出版部,昭和16. https://id.ndl.go.jp/bib/000000683906

についてのメモ。

「日本の古本屋」を見る限り、本来は函付きのようだが、入手したものには函はなし。だからなのか、お手ごろな価格だった。

サイズとしてはB6判になるかと。ハードカバーで本文用紙の紙質は軽い。ところどころにモノクロだが精細な仏像の図版が複数挿入されている。

このB6判ハードカバーで、しかも軽い紙質を使う、という形式は、戦前・戦中期は、随筆的な作品にしばしば採用されていたようで、古書店の店頭や、古本まつり的なところで見かけると、とりあえず、手に取ってみるようにしている。今となってはあまり名を知られていない書き手が多いが、書き手の個性がうかがえる味わい深い内容であることが少なくない上に、装丁に力を入れた本も多い。特に戦時期に出されたものは、デジタル化されていたとしても、限られた条件下で造本にこだわる送り手の気概が感じられて、何となく好きだったりする。

さて、今回入手したのタイトル『古京の芝草』の「古京」というのは奈良のこと。奈良の名跡を巡り、仏像を拝観し、二月堂のお水取りや春日おん祭を見学した感想を綴りつつ、時に様々な背景として蘊蓄を披露する、という趣向。26枚の仏像図版は紙質が異なる別刷。刊行は昭和16年(1941)。序文に5月とあるので、対米開戦直前の時期、ということになる。奈良博物館で一節あったり、岩船寺や浄瑠璃寺も回っているのもまた良かったり。

ただ、出版時近辺の奈良訪問記、というわけではないようで、序文によると

「奈良京の廃都を嘆いた田辺福麿の『立ち易(かえ)り古きみやことなりぬれば道の芝草長く生ひにけり』といふ、その年毎に芽ぐむ古京の道辺の雑草に過ぎないもので、大正四年頃からの、其の折々のノートの断片を書き綴つたものである」

とのこと。かなり時期としては幅があるらしい。

印象的な箇所はいくつもあるのだけど、『鮮血遺書』で知られるフランス人宣教師ヴィリオンとばったり出会った時の様子を引いてみよう。特徴的なふりがなは( )で補記し、漢字は新字体に改めた。

 公演に沿つた下水の溝のはしを、私は下うつむいて歩いてきた。と、急に目(ま)のさきがぱつと明るくなつたやうな気がした。おや?と思つて見上げた瞳に、真赤な塊が飛びこんだ。火のやうに真赤な薔薇のかげから、皺に埋つた白皙の顔がにこやかに覗いてゐる。黒い長い法衣(スータン)を着た見知りごしのビリヨン老師だ。

 私の背後から一台の自働車が疾走してきた。老師はきつと立ち止まつて、右腕に抱へてゐたその薔薇の鉢をあわててゝ左腕に移して、その空いた右手をすくつと、若者のやうに元気よくさしあげた。空車はそれには一瞥も与へずに、疾走して行つてしまつた。

 老師は左腕に移した鉢を、またもとのやうに右腕に移し、それからいかにも重さうにもう一度持ちあげて抱へなほしてから歩み出した。私は老師の前を通りすぎて、五六歩行きすぎた。が、急に思ひ出したやうに踵をかへして、老師を追った。

と、こんな感じ。真赤の薔薇が視野に入る瞬間の鮮やかな印象と、タクシーを捕まえようとして失敗する、著名な老宣教師の姿を見てしまい、一度は行き過ぎようとしてしまって、でも、やはり立ち戻る、微妙な心の動きが書き込まれている。この部分は状況描写が少ないが、繊細な状況描写もまた良かったりするので、デジタルでもよいので、まずは中身を眺めてみてほしい。

なお、家に帰ってから確認すると、本書については、次の論考で紹介がされていた。

井上重信「 昭和十六年夏の立命館出版部(二) : 石原莞爾『国防論』発禁余話、松本清張の心に残りし岡田弘子『古京の芝草』」立命館百年史紀要. 10. p. 249 - 266.[2002-03] http://doi.org/10.34382/00015776

この井上氏の論考によると、松本清張の『清張日記』、昭和56年5月5日の項に、戦前この『古京の芝草』を読んで印象に残ったことが記載されているとのこと。実は、『古京の芝草』刊行当時、立命館出版部にいた井上氏が、最初に校正を担当した一冊だったとのことで、上記論考で当時が回想されている。それによると、図版はコロタイプ印刷で、井上氏は京都便利堂での印刷ではないかと推測している。しかも、「この『古京の芝草』は昭和十六年九月初版発行と同時に売行好評で二ヶ月たたないうちに売切れとなり十一月に再販した」とあり、どの程度の部数刷られたのかは判然としないが、売行き好調だったようだ(その好調ぶりのおかげて、金一封が出て奈良の料亭で天ぷらを食べたエピソードなども興味深い)。

さて、井上氏は、著者の岡田弘子についても検討を加えているのだが、その実像ははっきりしない。

とりあえず、自分でも調べてみたことを含めて,少しメモとして残しておきたい。

まずは、Web NDL Authoritiesを見ると、

岡田, 弘子, 1893-1983 https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00328624

とあり、1983年に亡くなられたことが分かる。生没年の典拠は「人物レファレンス事典 郷土人物編」とのこと。まだ確認してないが、それを見るともう少し何か分かるかも。なお、同名で北海道の図書館で石川啄木の顕彰などで活躍された方がおられるが、まったくの別人である。

『古京の芝草』の岡田弘子がかかれた別の著作としては、

岡田弘子 著『やせ猫 : 歌集』(地上叢書 ; 第10篇),立命館出版部,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1256425

という短歌集があり、こちらは序文が窪田空穂と対馬完治、装幀が石井鶴三という豪華版。窪田空穂の序文では、岡田弘子が窪田空穂に師事して短歌に取り組んでいたこと、その前はフランス文学に専心していたこと、北信濃に生まれ女学校まではそこで過ごしたことが分かる。また、対馬完治の序文では、窪田空穂の紹介で地上社に入ったことが判明する。

さらに、同書の「父の旧友」という節には(p.100)「新渡戸博士を父と共に見舞ふ」という記述があったり、「噫、新渡戸博士」という節(p.168)には「昭和八年十一月十六日、米国にて客死されし新渡戸博士の御遺骨、秩父丸にて着きますを父と横浜埠頭に迎へまつる」という記述もあり、父親が新渡戸稲造と浅からぬ縁があったことがうかがえる。

また、

歌壇新報社 編『現代代表女流年刊歌集』第3輯,歌壇新報社,昭12. https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1228569/1/139

では、「岡田弘子(和田収子)」と紹介されており、どうやら岡田弘子はペンネーム、というか号で、本名は和田収子というらしい。窪田空穂氏に師事したのは昭和2年からで、昭和4年第二期地上に入社したこと、家族は「父、妹二人」、東京都在住であることが判明。

さらに、和田収子の方で探ってみると、『信濃教育』の石井鶴三追悼特集に、

和田収子「先生の思い出」『信濃教育』(1044). p.32-33. [1973-11] https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/6070609/1/19

という回想を寄せている。この回想、なんと先に触れた歌集『やせ猫』を巡るエピソードが含まれており、

  • 昭和13年の『やせ猫』刊行の10年ほど前に、アナトール・フランスの『やせ猫』と『ヂオカスト』を翻訳し、装幀として石井鶴三が木版を彫った。
  • 翻訳は「種々の事情」で出版に至らず、その装丁をそのまま歌集の装丁に使おうとして、題名を『やせ猫』とした。

ことなどが紹介されている(石井鶴三のわがままぶりがなかなかなのだが、そこは実際に読んでみてほしい)。

というわけで、まとめると、

岡田弘子(和田収子)。1893生〜1983没。 北信濃出身。女学校までは北信濃で過ごす。 父親は、新渡戸稲造と交流があり(記述ぶりによると、新渡戸より年上の模様)。 回想によれば、石井鶴三とも私的交流あり。 一時(大正期?)フランス文学に専心し、アナトール・フランスの翻訳などにも取り組んだが、刊行には至らず。 その後、短歌に転身し、昭和2年から窪田空穂に師事。昭和4年に第二期地上社に参加。

という感じになるだろうか。

『古京の芝草』の記述を読む限り、本人はクリスチャンではないとしているが、立命館出版部から本が出ていること、父親が新渡戸と交流があったこと、フランス文学への取り組みなど、クリスチャン人脈との関係もあるかもしれない。

なお、私家版と思われるが、刊行時期と出版者が「和田」姓であることから考えて、次の本はおそらく、同じ著者によるものだろう。

岡田弘子『遺稿集』和田富裕, 1984.7 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB0237580X?l=ja

いつか、この『遺稿集』を読むことができたら,もう少し、どんな人だったのか、分かるかもしれない。

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2023/02/23

安東量子『スティーブ&ボニー:砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』晶文社, 2022.

『スティーブ&ボニー』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

また更新に間が空いてしまった。

安東量子『スティーブ&ボニー:砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』晶文社,2022.を読了。

ざっくりまとめると、ひょんなことから著者が参加し、登壇することになった、2018年の米国での原子力関係の会議をめぐる、渡米から日本に帰国するまでの体験に基づくエッセイ、ということになるのだと思う。

けれども、そこで描かれているものは、とても多面的で、複雑で、だからこそ人間的で、なんとも要約しがたいもので、著者があとがきで「考えた以上に長くなってしまいました」と書かれていることに納得しかない。例えば、米国における原子力産業あるいは関連する研究分野にかかわる人たちのことや、米国に長く暮らす日系人が語る歴史、あるいは、著者自身が関わってきた福島ダイアログを通じて出会った人々、また、会場となったワシントン州のハンフォード(マンハッタン計画の拠点の一つとして整備され、プルトニウム生成のための原子炉が設置された場所)を、自らの生きる土地として選んだ人々の姿、著者の生まれた広島のことなどなど、様々な要素が絡み合いつつ描き出されている。特に、会議開催中の滞在先のホストファミリーの夫婦(と、家族や友人たち)は印象的で、そのお二人の名前がタイトルになっていることにも、これまた納得しかない。

誰にお勧めするか、というのは難しいが、一例を挙げれば、科学史や、STSに関心のある向きは、読むと様々な示唆が得られると思う(例えば、科学史の語られ方自体にもナショナルな要素が入り込む、といった視点や、専門家がどのようにして信頼を失いがちなのか、という論点などが、体験を通じて実感を持って語られていたりする)。原子力問題についても単に批判・賛美に固定化するのではなく、そこに関わる人の視点から物事を捉え直すような視点が提示されていて、頭の中がぐるぐるかき混ぜられる感じもある。

といっても、あくまでエッセイ的な書き振りで、「ひとつの物語」と著者自身があとがきで書かれているとおり、語り口は平易。登場する人物たちもそれぞれ個性的、そして料理についての描写がいちいち、すごくおいしそうだったり、激烈にまずそうだったりするのがなんとも読んでて楽しい。

奇跡のような出会いや交流に、思わず泣けてくる場面もある。マンハッタン計画も、広島も長崎も、米国における日系人差別も、東日本大震災と東電福島第一原発事故も、今もそことつながったところで、自分たちが生きている、ということを、静かに教えてくれる一冊だと思う。

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2022/10/23

藤原学思『Qを追う:陰謀論集団の正体』朝日新聞出版, 2022.

『Qを追う』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

また更新の間があいてしまった。その間に、藤原学思『Qを追う:陰謀論集団の正体』朝日新聞出版,2022.を読了したので感想をメモ。

謎の人物Qが匿名掲示板サービスに書き込んだ「予言」を信奉する、陰謀論信奉者たちを総称した、Qアノン。その動向を、先行する報道や研究を踏まえつつ、関係が深いと思われる人物へのインタビューで描き出していく一冊、といった具合か。

Qの正体を追う著者の探求の過程を辿ることで、背景の説明や、様々な証言を読むうちに、Qを軸に展開され、拡散されている陰謀論が、単なる一部の個人の妄想や思い込みに留まらず、既に一つの社会運動となり、米国や日本の社会に影響を与えるものとなってしまっている状況がよくわかるようになっていて、とても読みやすい。

特に印象的なのは、陰謀論を支え拡散する側にとっては、そのような影響力を行使すること自体が、陰謀論の拡散の舞台となるサービスを維持、拡大する動機となりうることが、多面的なインタビューから浮かび上がってくるところだろう。特に日本の2ちゃんねるを原型として、米国でも発展した匿名掲示板サービスにかかわる人々が、「表現の自由」を建前にしつつ、実際には匿名掲示板サービスを通じて人々に影響を与える力そのものに引きつけられている様子なのは興味深い。

ロシアのプロパガンダとQアノンとの親和性(現状を破壊して変革をもたらす存在としてロシアにシンパシーを感じやすい)や、西村博之氏が運営する4chanでの議論に影響を受け、犯人が差別思想を過激化していったことが起因とされる無差別銃撃事件に関する米国での議論の紹介など、Qアノンの影響や、Qアノンを支える情報環境全般についても言及がなされている点も特徴だろう。本書で紹介されているように、日本発の匿名掲示板サービスとその文化が、米国の社会を蝕み、分断し、暴力を誘発する(少なくともその起点として機能する)ほどの影響力を持ち、それが日本の社会にも影響を与えていることについては、広く知られるべきだとも思う。

それにしても、現状への不安や不満をきっかけに、一度その入り口に立った人々が、様々なネット上のメディアを通じて陰謀論の世界に取り込まれ、逃れられなくなっていくメカニズムは、インターネット上の各種サービスのメディアとしての力がある意味見事に発揮された事例ともいえ、何とも複雑な気持ちになる。初期には、ある種のユートピア的理想主義により発展したインターネットが、本格的にそのダークサイドと向き合わなければならない時代になったことが、よく分かる一冊でもあり。

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2022/08/15

『日本古書通信』2022年5月号・6月号

『日本古書通信』の積ん読がたまってきたので、とりあえず、2022年5月号(1114号)と6月号(1115号)の気になった記事についてメモ。

まずは『日本古書通信』2022年5月号から。

岩切信一郎「石版画家・茂木習古と三宅克己」(p.2-4)は、明治・大正期に活躍した石版画の画工「習古」の謎を辿りつつ、石版カラー表紙を実現した出版における明治20年代の技術革新などにも言及。洋画家・三宅克己の調査の過程で「習古」に三宅が師事したという回想を手がかりに現在までに判明した事実を紹介している。しかしまだまだ謎は深まるばかり、という様子。なお、三宅克己については、次を参照するのが良いかと。「三宅克己 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8905.html

川本隆史「書痴六遷の教訓-仙台からのたより」(p.10-11)は、『風の便り』第7号(1997年6月)からの再録とのこと。著者の引っ越し遍歴を、段階的に増殖していく蔵書の様子と併せて回顧しつつ、書物がつなぐ縁(新明正道氏からの手紙が紹介されている)について語るエッセイ。文系の学者の増え続ける蔵書のありさまが、引っ越しの玄人ともに身に迫ってくる。その後の引っ越しについての補記もあり。

川口敦子「キリシタン資料を訪ねて② ポルトガル国立図書館2」(p.16-17)は、2007年のポルトガル国立図書館での調査の様子を紹介。一部の目録ではポルトガル国立図書館にあるとされていた『ぎやどぺかどる』がやはりなかった、という話が、目録情報の確実性という意味で考えさせられる。イラストで紹介されている、図書館内のレストランのランチがおいしそう。また、当時ポルトガルの書店で購入したルイス・フロイス『日本史』のCD-ROM版がWindows10では起動できなくなっている、という話もあって切ない。

青木正美「古本屋控え帳431 『世界はどうなる』」(p.35)は、『世界はどうなる』精文館,1932の紹介(なお、インターネット公開されている国立国会図書館所蔵本は一部欠落がある模様。)。第二次世界大戦の展開を予想しつつ「日米戦争に対しては、我が国は攻勢に出づるに最も有利な立場」と対米戦を煽っていて、なるほど、こういう書物によって、対米戦争に対する気分が積み重ねられていったんだろうな、という感じ。

八木正自「Bibliotheca Japonica CCXCIII 達摩屋五一遺稿集『瓦の響 しのふくさ』」(p.39)では、書物の価値が嵩で計られていた時代に、書物の価値を評価した古書肆の鼻祖、岩本五一(1817-1868)の生涯と、その遺稿集を紹介。五一の堂号、珍書屋待賈堂が、反町茂雄の古書販売目録、「待賈古書目」(JapanKnowledgeで提供されている電子版の解説参照。)の由来となったとのこと。

なお「受贈書目」(p.40-41)で、浅岡邦夫「禁書リストを筆写した図書館員」(『中京大学図書館紀要』42号抜き刷り)について紹介されている。同論文は中京大学の機関リポジトリで公開されており、東京帝国大学附属図書館に勤めていた佐藤邦一が書き写した禁書リストを軸にその生涯を辿るもの。

続いて、『日本古書通信』2022年6月号についてのメモ。

真田真治「小村雪岱の装幀原画① 内田誠『水中亭雑記』」(p.2-4)は、著者が入手した、小村雪岱の「装幀原画他装幀資料」と、その入手の経緯を語る連載の一回目。レア資料を巡る古書店主とコレクターの複雑な関係も読みどころかと。

樽見博「百年後の大樹」(p.6)は、長塚節(コトバンクの解説)が茨城県下妻市の古刹、光明寺で撮影したという写真の背景に写った大樹について、現地での状況を踏まえて考察した囲みコラム。確かに、現代の写真と比較すると、通説が正しいのかどうか、ちょっと疑問になってくる。

竹原千春「古本的往復書簡2 細川洋希さまへ 志賀直哉の初版本」(p.8-9)では、著者の入手した志賀直哉献呈本を題材に、細川護立(永青文庫の創設者)と志賀直哉の交流について紹介されている。小学校から大学までずっと一緒だったとはびっくり。

森登「銅・石版画万華鏡177 松本龍山『袖玉京都細絵図』」(p.15)は、著者の入手した、慶応4年の銅版京都図を紹介。袋付きで入手したとのことで、その図版も掲載されている。貴重かと。

「札幌・一古書店主の歩み 弘南堂店主高木庄治氏聞き書き(11)独立開店(札幌医大前)」(p.32-34)は、毎回貴重な証言の連続だが、今回は、末尾の詐欺事件の顛末が苦い。一方、『蝦夷地及唐太真景図巻』落札と、昭和37年ごろに、名取武光氏の研究費で北海道大学に入れることになった顛末の話が興味深い(その後一旦行方不明になったとのこと。なお現在は北海道大学北方資料データベースで所在を確認できる。)。こういう購入の仕方が許される時代だったんだなあ。

川口敦子「キリシタン資料を訪ねて③ アジュダ図書館(リスボン)」(p.36-37)は、ボルトガルの首都、リスボンの宮殿内にある図書館、アジュダ図書館の紹介とそこでの調査について。宮殿という古い建物だからこそのトイレのドアの罠?のエピソードがなんとも言えない。また、最初の訪問時(2007年)にはウェブサイトもなかった、というのがちょっと驚き。

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2022/08/07

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』光文社,2022.(光文社新書)

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』光文社,2022.(光文社新書)を読了……して、少し時間がたってしまったので、既に忘れかけだけど、印象だけでも書き残しておく。

セリフやキャプションによる過剰な分かりやすさの追求や、映画評論の衰退、時間面での効率性(タイパ)重視、監督へのこだわりの無さなど、次々と年寄りには受入れづらいネタが繰り出され、それをフックに、現代の映像作品受容の諸相に関するレポートとして読ませる一冊、という感じだったかと。

映像作品を倍速で視聴したり、間をすっとばしてラストを見たり、というのは、紙の本で斜め読みしたり、最後の方を先に見たり的なものが、映像作品でも手軽にできるようになったことの帰結かと思うので、そのこと自体は、なるほどなあ、という感じなのだけれど、むしろ、そうした視聴の仕方をする理由が、友人・知人との間のコミュニケーションのネタとして必要な情報を獲得するため(あるいは時にマウンティングに対抗するため)、という話に、少し驚いた。若い世代のコミュニケーション環境の過酷さに、自分なら生き延びられただろうか、と考え込んでしまう。

膨大な作品がフローとして供給されていく状況に、金銭的にも時間的にも余裕がない環境下で対応しようとすればこうなる、という話でもあるのだけれど、膨大な過去作品のストックに対応する際にも、それは同様であって、全部の作品をとにかく最初から最後まで見るべし、というのは、当然のことながら、単に時間的に不可能だろう。では、映像作品のアーカイブの蓄積が充実していった時に、どのような作品選択と、視聴のあり方がありうるのか、ということが問われるのでは、ということもちょっと考えたり。

また、「みんなが見ている」という選択軸が最優先になってしまうという話については、過去作品のアーカイブの蓄積へのアクセスを維持することの意味はどこにあるのか、ということを考えてしまった。

あるいは、むしろ、「みんな」から、何かの拍子にはみ出してしまった時に、「みんな」とは異なる道を選ぶ可能性を、どう維持し、提示するのかを考えるべきなのかもしれない。そうした、「みんな」からズレてしまって、市場の主流からも、「仲間」たちの人間関係からもこぼれ落ちていってしまう人たちが、なお映像作品を自分なりに楽しむことができる環境が維持されうるのか。本書の裏側に隠れているのはそうしたことなのでは、と思ったりもしたのだけど、それもまた、サブスクプラットフォームのロングテール的な標的の範囲内なのかも、と思ったりと頭がぐるぐる。

そういうことを色々考えるヒントをくれる一冊だった。

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2022/07/31

筒井清輝『人権と国家―理念の力と国際政治の現実』岩波書店,2022.(岩波新書)

『人権と国家』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

筒井清輝『人権と国家―理念の力と国際政治の現実』岩波書店,2022.(岩波新書)を読了。

これは面白い。国連の人権保護関連の各機関の勧告に対しては、権威主義的な国だけではなく、日本でも「内政干渉だ!」という反発が巻き起こることがある。各国の身体的・政治的、あるいは社会・文化的な人権保護のあり方に対して文句をつける、という行為には、「内政干渉」的な側面があるのは確かで、にも関わらず、多くの国がそうした「内政干渉」を前提とした条約に参加しているのは、何故なのか、という問いについて、本書は、第二次大戦後の変遷を辿りながら解き明かしている。

また、数々の虐殺を止めることができなかったという国連による人権保護の限界を論じつつ、その一方で各国で地道な人権状況の改善の取組みや、モニタリングの精緻化が進められ、そして何より、各国における現状に対する異議申し立てに力を与え、支える枠組みとして、少しずつ効果を上げていることを示して、国連による人権状況改善に向けた取組みが無駄ではないことを解説しているのも重要だろう。

本書における興味深い指摘は色々あるが、大国がスローガン的に「建前」として導入した理念が、その国の思惑を超えて、結果として、国際的に共通の理念となり、提唱したその国自身をも縛ることになっていった、という歴史的経緯から学ぶべきことは多いだろう。どんなに状況が悪く、絶望的になったとしても、「建前」や「偽善」であれ、一定の共通の理念が掲げられ続けることに意味はあるし、そこに機会はありうる、ということでもあるのだから(裏返せば、「建前」が投げ捨てられる時は、危機はより深刻だということでもあろう)。

もちろん、国際状況の動向に応じて取組みが後退したり、停滞したりという時期はあるし、今この瞬間にも世界中で、不当に差別され、拘束され、殺されていく人たちがいる。その事実と現状を認めた上で、第二次世界大戦後の国際社会が、戦争と植民地支配の経験と反省を踏まえて組み上げた、普遍的人権という理念と、その理念を現実のものとするために蓄積してきた様々な条約と、その条約に基づく取組みについて、限界があるから無駄と切り捨てるのではなく、経緯と限界を知った上で、それをどう生かしていくのかを本書は問いかけている。なお、このような普遍的に人間であれば誰でも持っている、という人権概念は20世紀半ばまで存在しなかった、と、20世紀前半までの限定的な人権概念との差異が本書は強調しているのも特徴かと。

普遍的人権の国際政治における重要性については、

「国際政治の理想と現実に深い洞察を示したE・H・カーは、軍事力と経済力とともに、「意見を支配する力」を国際社会で重要な力としてあげた。今日の国際情勢では、人権に関して適切に判断し行動する「人権力」は、意見を支配する力の中核をなしており、権威主義勢力でさえ人権理念を真っ向から否定することは少ない。この「人権力」をつけるためには、まず国際社会でどのように人権理念が発展し、国際政治システムにどうやって組み込まれてきたのかを理解しなければならない。」

と著者は指摘しており、単なる理念というよりは、国際的な交渉ツールとしての普遍的人権の側面にも目が配られている(だからこそ、各国での反発もあるわけだが)。

また、普遍的人権の成立について紹介されている議論も興味深い。特に、「自分とは違う社会集団に属する人間に対する共感」の成立と拡大について、リン・ハント『人権を創造する』(岩波書店,2011.原著は2007年刊)では、啓蒙主義の時代に西欧で流行した書簡体小説にその端緒があるとされているとのこと。サミュエル・リチャードソンやジャン゠ジャック・ルソーによる書簡体小説のナラティブ構成が、階級や性別を超えた外集団への共感を可能にした、という議論なのだが、フィクションは社会に影響を与えない(から、何らの制限も受けるべきではない)という議論の真逆を行く、むしろ、フィクションこそが人の世界認識を変革する契機となる、という議論になっていて興味深い。著者はハントの主張については、反対意見も多数あるとの留保をつけつつ紹介しているが、表現の自由の重要性をどこに求めるのか、という点でも、こうした議論を参照しておくのは意味がありそう。

この他、人権概念は西洋中心主義的だ、という批判も継続的に存在するが、世界人権宣言について、「最終案が固まるまでには、起草委員会から人権委員会、最後に総会の第三委員会で、様々な国、人種、宗教、言語、文化を代表する人々による熟議が何度も行われており、その過程で多様な視点が反映された文書が形成された」という指摘もあり、物事はそう単純なものではない、ということもよく分かる。

また、国際人権規約については、ソ連と東側諸国が経済権・社会権を推し(A条約)、米国等西側諸国が政治権・市民権を推す(B条約)という構図があったことが紹介されていて、結果として両方が成立するという、複雑な経緯を辿っていることが紹介されている。これまた、国際政治における駆け引きの一側面だろう。

(ちなみにまったくの余談になるだけれど、一般論としての表現の自由はB条約に、科学研究及び創作活動に不可欠な自由はA条約の方に含まれており、微妙に性格が異なっているのだけれど、最近の「表現の自由」に関する議論は、このあたりがごちゃまぜになっているような。表現の自由にも、こうした様々な立場や対立を踏まえた議論と駆け引きがあったことは、覚えておいた方がよいかも。)

普遍的人権概念と、それを支える様々な条約、それに基づくNGOなどの活動が、状況の変化に力を与えた事例も紹介されており、その一つは、日本のアイヌの人々の粘り強い活動とその成果だったりする。考えてみると、本書で紹介されているような枠組みと、その枠組みを生かしたアイヌの人々の取組みがなければ、アイヌ文化を題材として取り込んだ、野田サトル『ゴールデンカムイ』は、少なくともあのような作品にはならなかったかもしれない、ともいえるわけで、普遍的人権がもたらすものが多様であることがよく分かる事例かもしれない。

他にも、「移行期の正義」つまり、人権侵害か起きてしまった後に、その加害者の責任をどのように問い、また、社会の中で和解を達成していくのか、という課題に、日本がどう取り組むのか(少なくとも、第二次大戦の人権侵害もこの「移行期の正義」の議論の対象となっている)、という問いや、安倍政権が「価値観外交」というリベラルな価値観を前面に出した外交を展開したことの価値(それによって、日本がジェノサイド条約を批准していないことなどが、裏返しで問われる状況となっていることも含めて)が論じられていることなど、現在改めて考えるべき課題にも多く言及されている。

実態と建前にかい離があったとしても、建前が前面に出されることが、状況を動かすことがある、という近現代史の経験を、今後も生かすことができるのか、色々な知見と問いが組み込まれた一冊。

ちょっと我田引水かもしれないが、一定の立場に立って発言する時、現実が理想とはほど遠いと分かった上であっても、なお、理想を述べることは未来の可能性への投資になりうる、ということでもあるのだろう。肝に銘じておきたい。

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2022/07/24

小田嶋隆『東京四次元紀行』イースト・プレス,2022.

『東京四次元紀行』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

小田嶋隆『東京四次元紀行』イースト・プレス,2022.を読了。これが小田嶋隆氏の遺作、ということになるのだろうか。

小田嶋隆氏のことをどう語れば良いのか、正直なところよく分からない。

面識があったわけでもなく、間接的にその人柄を知っているとか、そういうわけでもない。ただ、小田嶋氏がデビューした初期の1980年代、『遊撃手』や『Bug News』といったコンピュータ系の雑誌で、そのコラムを読んでいた。自分にとって、その面白さは格別だった。その後、大学のサークルで出していた同人誌に自分が書いた原稿は基本全て、小田嶋氏のように書きたい、と思って書き、そしてもちろん、実際にはそれとは似ても似つかぬものになり果てた文章だと言って良い。

本書を読んだ時、そうしたデビュー当初の小田嶋氏が書いていたものに、何故か近いような印象を受けた。コラムではなく、小説(らしきもの)として書かれた本書で、どうしてそんな印象を受けたのだろう。

たぶんだけれど、ある意味でどうでも良いこと、多くの人にとって意味のないことが書かれているから、かもしれない。

近年の小田嶋氏は、もともと好きなスポーツに関連するものを除けば、政治的・社会的事件・発言に対する批判的な視点からのコラムを中心に活躍されていたように思う。そのことを支持する読者がいた一方で、SNSでの陰湿な攻撃の対象にもなっていた。そのことに関連して、小田嶋氏は、『その「正義」があぶない。』日経BP社,2011.の「発刊によせて」で次のように書いている。

「元来、私はカタい話を好まない。というよりも、原稿を書く人間として出発して以来30年、私は、熱弁を揶揄し、力説に水をかけ、甲論を黙殺し、乙駁を聞き流しながら、観察者の立場を防衛してきた者だ。もう少し手加減のない言い方をするなら、私は、論壇のチキンレースから逃れたい一心で、面倒くさい話題から距離を置いていたのである。逃げていたという言い方をしてもらってもかまわない。栄光ある撤退。逃走に至る三十六計。私のペン先は、いつも退路を描いていた。」

しかし、小田嶋氏が「面倒くさい話題から距離を置いていた」などという本人の言をそのまま信じるわけにはいかない。むしろ、世間の常識や、著名人相手にけんかを売りまくっていたように思うし、それもまた一つの芸になっていたと思う。とはいえ、自虐を交えることで攻撃的な印象を中和する、という技も使ってはいたように思うので、そういう意味では逃げ道を用意はしていたのかもしれない。しかし、相当のリスクを負って、自分の文章の力で勝負をかける勝負師ではあり続けていたように思う。

ただ、初期の小田嶋氏は、もっと意味がないことを書いていたような気がする。気がする、というのは、最初の単行書である『我が心はICにあらず』が手元で見つからないからで、こういう時に見つからないのも、なんとはなしに自分の持っている小田嶋氏のイメージと合致しているのでそれはそれで良いのかも(これがちゃんとした書評ならここで落第だが)。

もう少し付け加えるとすれば、意味がない、というのは、ちょっと正確ではないかもしれない。ほとんどの人にとって、それに何の意味があるのか分からない、という方が、もう少し、本書の感じに近いかもしれない。

本書で描かれるのは、社会的な意義や政治的な意味とは離れたところで、多くの人にとってどうでも良いことにこだわってしまい、どうでも良いことに躓き、どうでも良い(あるいはどうにもならない)結果を迎えたり、どうでも良い一時の救いを得たりする、一般的に言えばダメな人たちの物語である。読んだら必ず泣けるような物語ではないし、何かを学べる類いのものでもない。

けれど、多くの人にとってどうでも良いことが、自分にとってはどうでも良くない、ということから逃れられず、そのことを引受けて生きていく(あるいは生きていくことができなくなる)、このどうしようもなくダメな登場人物たちを、小田嶋氏は否定することがない。

小田嶋氏自信がそういう方だったの可能性もあるし(アルコール中毒だった時期があったことや、締め切り破りの常習犯であったことは良く知られている)、そういったタイプの人たちと接する機会が多かったのかもしれない。それは分からない。これは(一応)小説ということなのだし、小田嶋氏自身、本書の冒頭で「この文章を書きはじめるにあたって、私は、これまでコラムやエッセイを書く上で自らに課していた決まりごとをひとつ解除している。それは「本当のことを書く」という縛りだ。」と書いているくらいなので、本書には「本当のこと」は書かれていないのかもしれない。とはいえ、この序文自体が「本当のこと」なのかどうか、どこまで信じてよいのかも、私には分からない。

いずれにしても、本書で描かれた、多くの人にとって意味がないことにこだわり、躓きながら、それでも生きているし、存在しているし、その事自体が実は語るに値することなんじゃないか、という感覚は、1980年代半ばから後半の、デビュー当初の小田嶋氏とどこかつながっているような気がして、とても懐かしく読みふけってしまった。年月が経ち、今の時代にこれを書くには、小説、という形が必要であった、ということなのかもしれない。それが、書き手にとって幸福なことだったのかどうかは分からないけれど、本書が刊行されたのは、(他の人にとってどうなのかは分からないが)少なくとも自分にとっては幸福だった。

これが最後でさえなければ、もっと良かったのだけれど。

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2022/07/18

『学士会会報』no.955(2022-IV)

學士會会報』no.955(2022-IV)を斜め読みしたら面白かったので印象に残った記事をメモ。

宇山智彦「ロシアは何をめぐってウクライナ・米欧と対立しているのか」(p.16-20)は、ロシアの主張を分析して、ウクライナ侵攻の理由としてよく言われるNATO拡大という主張を「額面通りに受け取ることはできない」とした上で、特に米国との関係の中で、ロシアが国際社会における特別な権利がある、という主張や米国中心の国際秩序のゆらぎ、ウクライナとの一方的な一体性認識などを背景として分析している。バランス感覚も含めて、短く読める論説としてお勧めかと。

中山洋平「二〇二二年大統領選挙後のフランス政治――「ポピュリズム」から分極化へ?」(p.21-27)は、先日のフランス大統領選挙を分析し、かつては極右のものだった、移民排斥という主張を、幅広い勢力が取り込むことが容認されるようになっているなど、「EU統合推進、市場自由化、共和制原則に基づく意味統合」という統治エリートのコンセンサスが突き崩されてきている状況を論じている。興味深いのは、イタリアの政治学者サルトーリの描いた「分極的多党制」と同様の力学が働いているという話。「分極的多党制」というのは、

「左右両極に無視できない反体制政党を抱えている上に、中央の位置が独立の勢力によって占められていると、左右の穏健な政党は両極に吸い寄せられていく。こうした「遠心的競合」によって左右両翼への「分極化」が進めば、最終的には民主制の存続が危ぶまれる段階に至る。」

という話で、フランスでは、左右の両極が、EU統合に反対、市場自由主義路線を批難するという状況で、中道の独立政党であるマクロン党がこれまでのコンセンサスを維持する、という構図になっているとのこと。日本との比較という意味でも興味深い。

大塚美保「没後百年目の森鷗外」(p.42-46)は、今年没後百年となる森鴎外の最新の研究動向を紹介する一本。フェミニズムの理解者・支援者としての鴎外、文化の翻訳者としての鴎外、鴎外による国家批判と体制変革を通じた国家維持構想など、鴎外の持つ多面性を積極的に評価する近年の研究動向をコンパクトに紹介していて、最近はこんな議論になっているのか、と勉強になった。

北村陽子「戦争障害者からみる社会福祉の源流」(p.47-51)は、第一次大戦後のドイツで発展した、「戦争によって傷ついた人(Kriegsbeschädigter)」への支援策が、リハビリや障害者スポーツの発展、義手・義肢の技術革新、盲導犬の導入(軍用犬の戦後の活躍の場として発展したとのこと)など、現代につながる様々な障害者支援の仕組みにつながっていることが紹介されていて、まったく知らないことだらけで驚いた。

山田慎也「民俗を尋ねて《第VI期》第4回 変わりゆく葬送儀礼」(p.85-90)は、新潟県佐渡島北西部の、自宅を中心的な場として行われていた葬送儀礼を紹介するとともに、2000年代以降、公民館、そして2014年に改行した葬儀場を利用する形で変化するとともに、地域共同体から個人化の方向に向かっていった過程を紹介している。

なお、表紙の図版は東京大学総合研究博物館所蔵三宅一族旧蔵コレクションから、貴族院議員だった三宅秀(1848-1938)が貴族院議員有志から送られた、服部時計店製「帝国議会議事堂模型」。表紙裏の解説(西野嘉章「かたちの力(連載79)」)と併せて、現在の国会議事堂が完成した直後の議事堂が持っていた象徴性も含めて、興味深い。

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2022/07/10

水田洋『「知の商人」たちのヨーロッパ近代史』講談社,2021.(講談社学術文庫)

『「知の商人」たちのヨーロッパ近代史』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

断続的に読んでいた、水田洋『「知の商人」たちのヨーロッパ近代史』講談社,2021.(講談社学術文庫)をようやく読了。良い本でした。元版は『知の商人 近代ヨーロッパ思想史の周辺』筑摩書房,1985.で、「あとがき」によると、筑摩書房の第二版『経済学全集』の月報での連載をまとめたものとのこと。学術文庫版のあとがきによれば、元版で月報連載から落としたものも今回収録しようと探したが見つけられずに収録を断念、という話が書いてあるのだけど、編集者はそういうの探してくれないんだ……ということにちょっとがっかりしたり。

思想関連の書物と著者、そして出版社・書店の経営者・編集者たちとの様々な関わりや、書物を集めたコレクターたちの活躍を描き出す、学術的エッセイ、という趣で、一つ一つの節が独立した読み物として読めるようになっている。注記は部分的に付けられてはいるものの、探求のヒント的な扱いのような感じ。あとがきで

「全体にわたって参考文献を主とした注をつけたが、参考文献には、特定の問題についてだけ利用したものと、全般的に利用したものがあり、その区別は注ではかならずしも明らかになっていない。また、一次資料にさかのぼって確認した記述と、そうでないものとの区別も、同様である。」

と敢えて書かれているゆえんでもある。

内容は多岐に亙るので、紹介しきれないが、例えば、最初に置かれている「エルセフィエル書店」というのは、今風にいえば「エルゼビア」。近代初期の元祖エルセフィエルが手を広げ、その後消えていった過程と「商品としての思想」を広めたその功罪を、歴史的背景も含めて紹介している。

とはいえ、こうした比較的よく知られた名前が出てくる話は一部に過ぎず、もちろん、それぞれの専門分野では知られているのだろうけれど、浅学の自分には知らないことだらけだった。

例えば、「ハーリーとソマーズ」では、著者所蔵の『ハーリアン・ミセラニー』("The Harleian miscellany"。記述内容からすると1808-1813刊行の10巻本の様子。)を取り上げているが、そもそもこれってなんだろう、と思ったら、「オクスフォード伯ロバート・ハーリー(一六六一─一七二四年)、エドワード・ハーリー(一六八九─一七四一年)が、二代にわたって集めた四〇万冊ちかいパンフレットの一部分の復刻」とのこと。説明を読んでもよく分からなかったが、読み進めるうちに、ハーリー二代のコレクションの形成と散佚の過程が、コレクターの動向の変化とともに語られていて、読まされてしまう。

「アメリカ革命の導火線」では、アメリカ独立のうねりを生んだ源流の一つに、「神学の本拠であるハーヴァード・カレジに対して、大西洋を越えて二〇年にわたって送りつづけられた、五〇〇〇冊をこえる急進主義文献」があることを指摘し、その送り手であるトマス・ホリス(Thomas Hollis)について、紹介している。ちなみに、ハーバード大学図書館の検索システムの名称がHOLLISなのは、トマス・ホリスにちなんでいるのだろうか。と思ってFAQをみたら、ちなんでいるのだけど、生没年が本書で紹介されているホリスと違うので、同姓同名の別人(あるいは代違い)かもしれない(本書では1720-1774、HOLLISのFAQでは1659-1731)。

……と、ここまで書くだけで1時間近くかかってしまった。とにかく詰め込まれている情報量が多いので、これなんだろう、と、ちょっと確認しているだけで、えらいことになる。まあ、ちょっと確認できるような世の中になったというだけで、ありがたいのだけれど、裏返せば、さらに掘っていくためのネタの宝庫のような本でもある、ということでもある。

また、出版史ばかりではなく、経済と国際政治との関係を特定の商品(ワイン、ジン、紅茶)と絡めて論じる話もあったりして、話題の幅広さ尋常ではない。その中で、特に今、読み直してほしい話を、もう少しだけ紹介しておきたい。

一つ目は、「マクス・ヴェーバーをめぐる女性」という節。ここでは、ヴェバー(日本語だとマックス・ウェーバー表記が多いか)の妻であった、マリアンネ・ヴェーバー(コトバンクの解説参照)の『フィヒテの社会主義とそのマルクス学説への関係』(1900年)という著書から話がはじまる。この著書の中に、マクスの影響について言及する文言が登場することを取り上げつつ、そもそも大学のゼミに女性が参加する嚆矢であったマリアンネ(ただし聴講生として。次の世代の女性たちがようやく正式に大学に入学を許可される。)の置かれた状況を解説し、女性解放の闘士であったマリアンネと、マクスとの関係の複雑性を描き出している。特に、マリアンネの性に関する議論の歯切れの悪さを分析した、

「マリアンネは、女性の解放が性の解放に直面せざるをえないこと、「エロティークだけが両性の結合の価値を最終的にきめるものではない」にしても、エロティークを無視しえないことを知っていたし、しかも、性の解放が、男性支配のもとでは、女性の地位の低下を意味することも知っていたのである。」

という一節に表現された構造は、20世紀初頭の状況を1980年代に描写したものであるにも関わらず、現在でも玩味に値するのではないだろか。例えば、性表現の開放においても、類似の構造があるのではないか、という問いは、現在でも十分に成り立つように思う。

ちなみにその後、ヴェーバー夫妻に影響を受けた、ハイデルベルク大学の最初の女子学生であったエルゼ・ヤッフェに、マクスが接近し、それをマリアンネも知っていた、みたいな話まで出てきて、なんだこのハーレム系展開は、みたいになってしまって、こうした構造の中で女性の権利について議論していた、マリアンネすごいな、となったりも。

なお、マリアンネ・ヴェーバーについては、昭和女子大学女性文化研究所紀要に、掛川典子氏による主要論文の翻訳が掲載されているようなので、そちらも併せて確認されると良いかもしれない。

もう一つ、イギリスのピアニスト、マイラ・ヘス(コトバンクの解説参照)による、第二次大戦中の戦時下のナショナル・ギャラリーでのコンサートについて紹介した、「空襲下のコンサート」は、別の意味で、今読まれるべき一篇かと。一旦は、戦時は演奏する時ではない、と考えてピアノから離れたヘスが、かつて自分の演奏を聴いたという亡命ユダヤ人一家からの要望を受けて、演奏会を開くための会場探しをした時、受け入れたのが作品を疎開させ、ほとんど空になったナショナル・ギャラリーだった。演奏会に殺到した人々が、そこで一時の安らぎを取り戻す様子や、シューマンの歌曲をドイツ語で歌うことをためらう歌手を勇気づける話など、戦争に対して、芸術が持つ意味ということについて、改めて問いかける内容になっている。

なお、マイラ・ヘスによるコンサートについては、ナショナル・ギャラリーのサイトでも詳しく紹介(The Myra Hess concerts)されているので、そちらも併せてぜひ。例えば、最初のコンサートの入場待ちの人々の写真なども紹介されていて、当時のロンドンの人々がコンサートを待ち望んでいた様子がよく分かる。

こうしたコンサートの経験を踏まえて、ヘスが「われわれは、おそらく史上かつてなかったほどしっかりと、人類の進歩の真の本質をつかんでいます」と語ったことを、著者は紹介している。その後に、

「その後四〇年のあいだに、人類の進歩ということばは、すくなからず色あせてしまったが、ヘスがこう語ったときの日本には、このことばも音楽も存在の余地がなかったのである。」

と続けて書いていることの重みが、著者がこう書いてからさらに40年近くがたった今、さらに増しているのでは。

というわけで、全部通して読まなくても、拾い読みでもじっくり楽しめる一冊かと。こうした、研究者による専門分野のエッセイは、論文と違って業績としては、軽く見られがちだし、最初に書いたように、注記も十分には付されてはいないのだけれど、様々な検索ツールが整備された今だからこそ、興味関心を広げるための入り口として、とても有効だと思う。

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水田洋『「知の商人」たちのヨーロッパ近代史』講談社,2021.(講談社学術文庫)

『「知の商人」たちのヨーロッパ近代史』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

断続的に読んでいた、水田洋『「知の商人」たちのヨーロッパ近代史』講談社,2021.(講談社学術文庫)をようやく読了。良い本でした。元版は『知の商人 近代ヨーロッパ思想史の周辺』筑摩書房,1985.で、「あとがき」によると、筑摩書房の第二版『経済学全集』の月報での連載をまとめたものとのこと。学術文庫版のあとがきによれば、元版で月報連載から落としたものも今回収録しようと探したが見つけられずに収録を断念、という話が書いてあるのだけど、編集者はそういうの探してくれないんだ……ということにちょっとがっかりしたり。

思想関連の書物と著者、そして出版社・書店の経営者・編集者たちとの様々な関わりや、書物を集めたコレクターたちの活躍を描き出す、学術的エッセイ、という趣で、一つ一つの節が独立した読み物として読めるようになっている。注記は部分的に付けられてはいるものの、探求のヒント的な扱いのような感じ。あとがきで

「全体にわたって参考文献を主とした注をつけたが、参考文献には、特定の問題についてだけ利用したものと、全般的に利用したものがあり、その区別は注ではかならずしも明らかになっていない。また、一次資料にさかのぼって確認した記述と、そうでないものとの区別も、同様である。」

と敢えて書かれているゆえんでもある。

内容は多岐に亙るので、紹介しきれないが、例えば、最初に置かれている「エルセフィエル書店」というのは、今風にいえば「エルゼビア」。近代初期の元祖エルセフィエルが手を広げ、その後消えていった過程と「商品としての思想」を広めたその功罪を、歴史的背景も含めて紹介している。

とはいえ、こうした比較的よく知られた名前が出てくる話は一部に過ぎず、もちろん、それぞれの専門分野では知られているのだろうけれど、浅学の自分には知らないことだらけだった。

例えば、「ハーリーとソマーズ」では、著者所蔵の『ハーリアン・ミセラニー』("The Harleian miscellany"。記述内容からすると1808-1813刊行の10巻本の様子。)を取り上げているが、そもそもこれってなんだろう、と思ったら、「オクスフォード伯ロバート・ハーリー(一六六一─一七二四年)、エドワード・ハーリー(一六八九─一七四一年)が、二代にわたって集めた四〇万冊ちかいパンフレットの一部分の復刻」とのこと。説明を読んでもよく分からなかったが、読み進めるうちに、ハーリー二代のコレクションの形成と散佚の過程が、コレクターの動向の変化とともに語られていて、読まされてしまう。

「アメリカ革命の導火線」では、アメリカ独立のうねりを生んだ源流の一つに、「神学の本拠であるハーヴァード・カレジに対して、大西洋を越えて二〇年にわたって送りつづけられた、五〇〇〇冊をこえる急進主義文献」があることを指摘し、その送り手であるトマス・ホリス(Thomas Hollis)について、紹介している。ちなみに、ハーバード大学図書館の検索システムの名称がHOLLISなのは、トマス・ホリスにちなんでいるのだろうか。と思ってFAQをみたら、ちなんでいるのだけど、生没年が本書で紹介されているホリスと違うので、同姓同名の別人(あるいは代違い)かもしれない(本書では1720-1774、HOLLISのFAQでは1659-1731)。

……と、ここまで書くだけで1時間近くかかってしまった。とにかく詰め込まれている情報量が多いので、これなんだろう、と、ちょっと確認しているだけで、えらいことになる。まあ、ちょっと確認できるような世の中になったというだけで、ありがたいのだけれど、裏返せば、さらに掘っていくためのネタの宝庫のような本でもある、ということでもある。

また、出版史ばかりではなく、経済と国際政治との関係を特定の商品(ワイン、ジン、紅茶)と絡めて論じる話もあったりして、話題の幅広さ尋常ではない。その中で、特に今、読み直してほしい話を、もう少しだけ紹介しておきたい。

一つ目は、「マクス・ヴェーバーをめぐる女性」という節。ここでは、ヴェバー(日本語だとマックス・ウェーバー表記が多いか)の妻であった、マリアンネ・ヴェーバー(コトバンクの解説参照)の『フィヒテの社会主義とそのマルクス学説への関係』(1900年)という著書から話がはじまる。この著書の中に、マクスの影響について言及する文言が登場することを取り上げつつ、そもそも大学のゼミに女性が参加する嚆矢であったマリアンネ(ただし聴講生として。次の世代の女性たちがようやく正式に大学に入学を許可される。)の置かれた状況を解説し、女性解放の闘士であったマリアンネと、マクスとの関係の複雑性を描き出している。特に、マリアンネの性に関する議論の歯切れの悪さを分析した、

「マリアンネは、女性の解放が性の解放に直面せざるをえないこと、「エロティークだけが両性の結合の価値を最終的にきめるものではない」にしても、エロティークを無視しえないことを知っていたし、しかも、性の解放が、男性支配のもとでは、女性の地位の低下を意味することも知っていたのである。」

という一節に表現された構造は、20世紀初頭の状況を1980年代に描写したものであるにも関わらず、現在でも玩味に値するのではないだろか。例えば、性表現の開放においても、類似の構造があるのではないか、という問いは、現在でも十分に成り立つように思う。

ちなみにその後、ヴェーバー夫妻に影響を受けた、ハイデルベルク大学の最初の女子学生であったエルゼ・ヤッフェに、マクスが接近し、それをマリアンネも知っていた、みたいな話まで出てきて、なんだこのハーレム系展開は、みたいになってしまって、こうした構造の中で女性の権利について議論していた、マリアンネすごいな、となったりも。

なお、マリアンネ・ヴェーバーについては、昭和女子大学女性文化研究所紀要に、掛川典子氏による主要論文の翻訳が掲載されているようなので、そちらも併せて確認されると良いかもしれない。

もう一つ、イギリスのピアニスト、マイラ・ヘス(コトバンクの解説参照)による、第二次大戦中の戦時下のナショナル・ギャラリーでのコンサートについて紹介した、「空襲下のコンサート」は、別の意味で、今読まれるべき一篇かと。一旦は、戦時は演奏する時ではない、と考えてピアノから離れたヘスが、かつて自分の演奏を聴いたという亡命ユダヤ人一家からの要望を受けて、演奏会を開くための会場探しをした時、受け入れたのが作品を疎開させ、ほとんど空になったナショナル・ギャラリーだった。演奏会に殺到した人々が、そこで一時の安らぎを取り戻す様子や、シューマンの歌曲をドイツ語で歌うことをためらう歌手を勇気づける話など、戦争に対して、芸術が持つ意味ということについて、改めて問いかける内容になっている。

なお、マイラ・ヘスによるコンサートについては、ナショナル・ギャラリーのサイトでも詳しく紹介(The Myra Hess concerts)されているので、そちらも併せてぜひ。例えば、最初のコンサートの入場待ちの人々の写真なども紹介されていて、当時のロンドンの人々がコンサートを待ち望んでいた様子がよく分かる。

こうしたコンサートの経験を踏まえて、ヘスが「われわれは、おそらく史上かつてなかったほどしっかりと、人類の進歩の真の本質をつかんでいます」と語ったことを、著者は紹介している。その後に、

「その後四〇年のあいだに、人類の進歩ということばは、すくなからず色あせてしまったが、ヘスがこう語ったときの日本には、このことばも音楽も存在の余地がなかったのである。」

と続けて書いていることの重みが、著者がこう書いてからさらに40年近くがたった今、さらに増しているのでは。

というわけで、全部通して読まなくても、拾い読みでもじっくり楽しめる一冊かと。こうした、研究者による専門分野のエッセイは、論文と違って業績としては、軽く見られがちだし、最初に書いたように、注記も十分には付されてはいないのだけれど、様々な検索ツールが整備された今だからこそ、興味関心を広げるための入り口として、とても有効だと思う。

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