2025/12/02

「金沢文庫」創設750年記念 特別展 金沢文庫本 ―流離(さすら)う本の物語―

また間が空いてしまったけど、良い展示を見てきたので感想をメモ。

名古屋市蓬左文庫所蔵で国宝となっている金沢文庫本が勢ぞろいして現在の金沢文庫に里帰り(と言ってよいのかどうかはさておき)、となれば、行く以外の選択肢はないわけだけど、蓬左文庫本以外の展示資料も含めて非常に充実した展示だった。

金沢文庫の成立や資料収集の経緯、そしてその所蔵資料の貸借の状況や、鎌倉幕府滅亡後の危機的状況や資料の散逸など、残された鎌倉時代の書状などから提示するとと同時に、現在まで金沢文庫に伝わる資料に、おそらくはかつては完本が存在していたであろう宋版の零葉・断簡なども絡めることで、鎌倉時代の金沢文庫の収書の充実ぶりが浮かび上がる展示となっていた。

蓬左文庫についても、徳川家康による金沢文庫本などの資料収集と、それを受け継いだ尾張徳川家による資料の整理、活用を、尾張徳川家における古代史研究のための校訂作業や歴史書編纂事業に関する資料を絡めつつ展開することで、金沢文庫を離れた金沢文庫本が重要な役割を果たし、貴重かつ、重要な書物として珍重されてきたことが浮かび上がる構成。近代以降の蓬左文庫についても目配りがされていて、目録の編纂が時代によってどのように変化していったのかうかがえるのがまた興味深い。

会場は撮影禁止だったけど、解説も図版も充実した図録の販売あり。「金沢文庫」印に関する最新の研究や(今後はこれを読まずしてうかつに「金沢文庫」印の紹介はできないかと)、各所に分散した金沢文庫本の情報を整理した(仮はついているが)目録もあり。画像分析による写本間の関係分析など、デジタルヒューマニティーズ的なアプローチの解説もあって、最新の研究成果が詰まった図録になっている。川瀬一馬や関靖(『金沢文庫の研究』)によるこれまでの定説を修正する記述もあり、こりゃ必携かと。

図録を見ていて、金沢文庫本が珍重されてきた背景に、武家政権の元祖とでもいうべき、鎌倉幕府の権威を借りる、といった意味合いがあることが強調されていて、なるほど。徳川家康による金沢文庫本収集によって、その意味合いがブーストされた効果も大きそう。そうした政治的意味合いも含めて、文化財が残るというのはどういうことなのか、考えさせられる展示でもあった。

備忘も兼ねて、図録に収録されている論考のリストを付けておく。

  • 貫井裕恵「総論1 武家のレガリア 金沢文庫本―その形成と伝来」
  • 星子桃子「総論2 尾張徳川家における金沢文庫本―継承と活用」
  • 鳥居和之「特別寄稿 国宝「古事記」はどこから来たのか」
  • 佐藤優「コラム1 国宝四将像の線と色を追う」
  • 貫井裕恵「コラム2 金沢文庫本とその紙背文書」
  • 住吉朋彦「コラム3 武家蔵書の遺品と金沢文庫本」
  • 星子桃子「コラム4 河内本源氏物語「鎌倉基幹巻」の書について」
  • 星子桃子「コラム5 「酸肫法」レシピ作成の試み」
  • 丸山裕美子「コラム6 徳川家康の古典籍蒐集と尾張藩の古代史研究―金沢文庫本を中心に」
  • 今和泉大「コラム7 尾張徳川家の蔵書をめぐる交流」
  • 貫井裕恵・星子桃子「コラム8 金沢文庫印考―蓬左文庫所蔵金沢文庫本をてがかりに」

なお、総論とコラムの後ろにある数字は正しくは丸数字である。ちなみに、「コラム」とあるが、結構がっつり論文となっているものが多いので油断大敵。

さらに目次には出てこないが、附録が重要なので、こちらも紹介しておく。

  • 附録1 名古屋城における金沢文庫本の所在地・表御書物蔵の様子
  • 附録2 蓬左文庫所蔵金沢文庫本書誌データ
  • 附録3 金沢文庫本庫外本リスト(稿)

こちらも数字は丸数字。附録1は、現存資料から、蓬左文庫、うち特に金沢文庫本がが名古屋城内のどこに保管されていたのかを比定したもの。庫内の配置についての記録とかもあるとはびっくり。附録2は、蓬左文庫蔵の金沢文庫本のうち『斉民要術』『侍中群要』『続日本紀』『太平聖恵方』について、各巻ごとに蔵書印の押印状況などを整理したもの。附録3は、現在の神奈川県立金沢文庫以外の各機関に所蔵されている、金沢文庫本をリスト化したもので、原本未確認による漏れなどもあるとのことだが、既存の研究や、各機関の目録からの情報がまとめられている。結構「偽印」が多い、というのも興味深い。

まったくの余談だけど、付設の喫茶店のカレーとコーヒーがなかなかおいしかった。カレーの食後にコーヒーを出してくれる時に、少しだけバニラアイスを口直しにつけてくれるのが心憎い。実際、コーヒーがぐっとおいしく感じられた。

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2025/09/20

港区立郷土歴史館「終戦80年 戦争を見つめなおそう」展

  • 港区立郷土歴史館令和7年度夏休み企画展〈おとなも学べる〉港区平和都市宣言40周年記念「終戦80年 戦争を見つめなおそう」
  • 会期:令和7(2025)年7月5日(土)~9月30日(火)

白金台の駅からすぐの、港区立郷土歴史館に「終戦80年 戦争を見つめなおそう」展を見に行ってきた。

今年は戦後80年ということで、あちこちの地域の博物館がアジア・太平洋戦争(港区立郷土歴史館ではその用語を使っていたので、とりあえずこれを使っておく)に関する企画展を展開していたものの、なかなか見に行く機会がなくて、そうこうしているうちに、会期がどんどん終了していってしまった。というわけで、一つくらいは見ておかねば、と思って見に行った次第。あと、カフェも併設されていて、お昼を確保しやすそうというのもあってお昼ごろを目指して出かけてみた。

ランチは博物館内のカフェとしてはやや高めという気もするが、さすが港区。なかなかこじゃれた感じで、野菜がたくさん食べられるのが良い感じ。展示を一通り見終わった後に、ケーキセットなども食べてみようと思っていたのだけど、お茶の時間は混んでて座れず。展示は人が入っていないものの、カフェはそれなりに人気の模様。

さて、肝心の企画展は、出征兵士の写真や、軍事郵便の実例、また、現在麻布台ヒルズになっている麻布郵便局跡地から発掘された「軍事郵便」印、学童疎開の際の日記など、興味深い資料も展示されてはいたものの、物量的にも、解説的にもちょっと物足りない感じ。栃木県を中心にした、学童疎開先のリストがパネルになっていたのは、当時を知る人向けなのかもしれないが、なぜ栃木だったのかを含めて、ちょっと分かりにくい感じではあった。後半は港区の空襲被害や、焼夷弾について紹介されていた。全体として、子どもにもわかりやすく、ということを考えての展示なのだとは思うのだけど、世界史や政治史的な情報がほとんどないので、なんだか大変だった、ということは、伝わるにしても、戦争が天災のように見えてしまうのではないか、というのは気になったところ。

同時開催の

も、体験者の経験や語りを中心にすることで、結果的に空襲の恐ろしさを伝えることが中心になっていて、これまたどうとらえるべきか難しい。

空襲体験が、地域における重要な歴史的記憶であることは間違いないのだけれど、港区は軍事施設が集中していた地域でもあるわけで(なお、常設展の近現代コーナーでは、そのあたり結構ちゃんと紹介されている)、仙台やあるいは広島などもそうなのだけれど、軍事施設が集中する「軍都」が空襲のターゲットになることの意味というのは、そろそろ考慮に入れたほうがよいのでは、という気もしてしまった。係員の方に、加害の側面を抜きにして、被害のことばかりを展示するのはいかがなものか、と苦情を述べている方がいたが、まあ、そう言いたくなるのもわからないではない。

なお、「こども平和塔」や、「こども平和まつり」についても、少しだけだけど触れられていて、これは地域の博物館ならでは、というところかと。

ただ、今、かつての戦争のことを考えてほしいというのであれば、むしろ、今現在行われている「戦争」との関連や類似性についての観点を盛り込むことのほうが、効果があるかもしれないとも思った。民間人を標的にして建物を根こそぎ破壊する手法は、第二次大戦を通じてある意味完成されたともいえるわけで、第二次世界大戦が現在と地続きだ、というところまで視野に入ると、もう少し自分ごととして感じられたりしないだろうか。とはいえ、歴史博物館の展示でそこまでやるのは相当難易度が高そうだけれど。

「平和展」の方では、「記憶の色を保存する 炎と灰のモンタージュ―尾形純が描く東京大空襲」ということで、画家・尾形純が、母親が体験した東京大空襲の炎に照られされる空と、燃え尽きて一面灰色となった街を、抽象化して描いた作品も展示されていた。記憶の継承という意味で、興味深い取り組みではある一方で、こうした作品が今後どのように受容されていくのか、ということについては、正直よく分からず、考えあぐねてしまった。

今後、戦争という主題を、博物館等の展示でどう扱うかというのは、ますます難しくなっていくのかもしれない。そういう意味でも、今年、一つでも関連展示を見ることができてよかったと思う。と、この文章を、出先で書いていたら、街宣車が軍歌を大音量で流しながら通り過ぎて行ったのだった。

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2024/08/24

国立西洋美術館「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」展

国立西洋美術館「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」

会期:2024年6月11日〜8月25日

https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2024manuscript.html

筑波大学・茨城県立医療大学名誉教授の内藤裕史氏が国立西洋美術館に寄贈した西洋中世彩飾写本の零葉コレクション(内藤コレクション)を大規模に紹介する初の展示会。小規模な展示はこれまでもあったとのことだけど、

『国立西洋美術館所蔵内藤コレクション写本カタログレゾネ』 https://www.nmwatokyo-shop.org/view/item/000000000266

刊行を期に大規模展示を展開ということの模様。同じ写本由来の他機関所蔵の零葉も同時に展示していたりと内容は充実。物量も大満足だった。ただ、一般1700円は結構強気の入場料設定のような……。また、図録はなく、ミュージアムショップでは各種グッズや過去の内藤コレクション紹介本などが販売されていた。その代わりなのか、他機関所蔵のものを除いては、個人利用に限定して撮影可となっていた。さらに、本気で詳細が知りたかったらカタログレゾネを買え、ということだろう。

展示解説はそれなりにあるのだけれど、聖書や時祷書などが多いので、キリスト教に関する基礎知識がないとなかなか楽しむのは難しい、とあらためて実感。また、一部の写本は作者(というか制作者?)が確認されていて、そうした制作過程についての知識も必要になる領域なのだな、ということもよく分かった。

年代順の展示ではないので、ちょっと分かりにくいのだけど、やはり12〜13世紀くらいの写本と、15世紀の写本では違うし、16世紀になるとぐっと近代的になる感じがちょっと面白い。これはコレクションを始めたら奥が深くて止まらなくなるのも何となく分かる。めちゃめちゃお金がかかりそうな趣味だけど……

あと、装飾写本ではなく、最後の方で紹介されていた教会法令集の写本がすごかった。法文本文の周りに注釈がレイアウトされている、というのは印刷本でも結構あるが、さらに所蔵者による書込みが加えられて、注釈の多層化が壮絶。単眼鏡で拡大してみて、やっと文字だと分かるくらいの細密さで、これまた迫力があった。

それにしても、西洋中世(ちょっと近代にかかるものもあり)写本を見に来る人がこんなにたくさんいるとは、驚愕。1枚1枚の零葉は結構小さなものが多く、同時に複数の人が見るのはなかなか厳しいので、見る人が多い特に込み合う最初の方はあんまりじっくり見られなかった。会期の頭に見に行くべきだったかも。美術館側も、この人数が来ることは想定していなかったのか、ミュージアムショップのレジの処理能力を完全に超えていたのが、どうしたものか、という感じだった。

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2024/08/13

板橋区立教育科学館企画展「いたばしアニメ博 自由研究スペシャル」

今日は暑さに負けそうになりつつ、

板橋区立教育科学館企画展「いたばしアニメ博 自由研究スペシャル」 (会期:2024年7月20日(土)~8月30日(金) )https://www.itbs-sem.jp/exhibition/special/2024itabashi-anime/

を覗きに。

2月にも同様の展示があって、その時の感想はブログに書いたので、概略はそちらもご参照を。

板橋区立教育科学館「いたばしアニメ博」(2024/02/04)https://tsysoba.txt-nifty.com/booklog/2024/02/post-801689.html

今回はさらに、アニメ史研究や、レトロアニメ動画制作で知られる、かねひさ和哉氏とのコラボもあり。新作紙フィルムアニメと、SP用カッティングマシーンで作成された音源を組合せて、1930年代の同時再生機を使って上映するという取組みで、これは嵌まりすぎなほど。

1930年代の紙フィルム玩具映写機「カテイトーキー」でレコードトーキー映画を作ってみた(動画)https://www.youtube.com/watch?v=6hQvCF5AEZs

さらに当時(1930年代)の紙フィルムアニメのデジタル化については、米国バックネル大学が積極的にプロジェクトとして取り組んでいて、担当の研究員の方も、素材の提供などで協力されているそう。

The Japanese Paper Film Projecthttps://kamifirumu.scholar.bucknell.edu

(日本語ページ) https://kamifirumu.scholar.bucknell.edu/japanese-home/

先ほど、同プロジェクトのウェブサイトを見たら、8月6日の上映会はSOLD OUT!とあったり、米国でも関心が盛り上がっている模様。1930年代のアニメーション作品をカラーで見られる、というのは、確かにちょっと熱いかも。板橋区立教育科学館では、デジタル化された映像が一部紹介されているので、この機会にぜひ。

前回のブログで、幻灯機やゾートロープ(回転のぞき絵)と、その後のフィルムとの関係について、「解説聞きながらでないと、なかなか分からなかったかも」と書いたところ、なんと、その両者をつなぐ当時の発明品の再現に取り組んだ、というお話を研究員の方からうかがって、恐縮してしまった。日本映像学会のサイトで、その成果を発表された際の要旨が公開されているので、参考に。

メディア考古学研究会(第3回)開催のお知らせ【7月13日】https://jasias.jp/archives/29554

映像表現の歴史はまだまだ掘り尽くされていないんだなあ、ということを改めて実感させられる展示なので、絵を動かす、という技法そのものに関心がある向きはぜひ。

3月の震災の展示(企画展「震災の記憶をつなぐ」会期:2024年3月2日~3月10日)は見に行き損ねてしまったのだけど、秋にまた開催予定があるとのことで、これは今度こそ行かねば……

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2024/05/03

板橋区立美術館「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」展

既に会期が終わってしばらくたってしまったけれど、やっと図録を一通り読み終わったのでざっくり感想を。時間がたって、展示自体の印象はだいぶ薄れてしまったのだけれど。

ちなみに、巡回展で、2024年5月5日現在、三重県立美術館で開催中。先行して開催された京都文化博物館も含め、図録も3館共通。青幻舎から刊行されているので、比較的入手は容易かと。

展示としては、絵画作品が中心でありつつ、関連する出版物や、展覧会関連の印刷物、日記、メモ類など、近年の近代美術展の潮流を踏まえた、周辺資料への目配りが周到で、それぞれの作品がどの地域で、どのような人々・団体との関連で制作されたのか、ということにかなり意識的な展示になっていたように思う。

タイトルから分かるように、1924年のアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』から100年を記念するタイトルではあるけれど、今回の展示では、それを受け止めた日本での様々な動きを多面的に捉えることに重点が置かれていた、という印象。若干とまどったのは、展示を見ても、シュルレアリスムが何なのはよく分からない、というところかも。シュルレアリスムに関する説明自体があまりないということもあるし、そもそも発祥の地である欧州におけるシュルレアリスム自体が、時期によって大きく変化している(らしい)ということもあるのかも。

欧州のシュルレアリスム運動が、第一次大戦後の深刻な知的・精神的危機に対する反応一つであったとすれば、今回の展示では、日中戦争から第二次大戦に向かう徐々に閉塞していく知的・精神的環境の中で展開され、そして、1941年4月に福沢一郎、滝口修造という代表的作家が治安維持法容疑で逮捕され実質的に終焉を迎えるまでの過程と、戦前にシュルレアリスムから受けた影響を、壮絶な従軍体験を経て生き残った作家たちの戦後の作品と接続する、という、形で、戦争を軸の一つとして構成されているのが特徴といえるかもしれない。特に図録掲載論文の弘中智子「シュルレアリスムと画家たちの戦争・戦後体験」(図録p.260-275)は、戦争による創作活動の中断が、画家としての形成期と重なっていたかどうかによって、戦後への接続に大きな差が生じたという議論を展開していて、興味深かった。

なお、たまたま、関連してそうだな、と思って

中村義一 著『日本の前衛絵画 : その反抗と挫折-Kの場合』,美術出版社,1968. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2518414 (参照 2024-05-03)

を斜め読みしていたところ、103コマ目(p.174)で、釈放された直後の福沢一郎が、作品についていかに時局に協力したものかを無表情に語る姿についての、土方定一による回想を紹介していた。回想なので、記憶の中で誇張された面はあるかもしれないが、印象に残ったので、ついでに紹介しておく。なお、本のタイトルにある、Kというのは、本展でもとりあげられている北脇昇のこと。

あと、展示されていたもので面白かったのは、シュルレアリスムでは、個々の描かれている事物は具象で、その配置と組合せが超現実、だったりすることがあるわけだけど、それを写真でやってた、というところ。写真の前衛表現となると、本展でも取上げられている瑛九のフォト・デッサンのように、直接フィルムや印画紙に露光させていく手法がすぐ浮かぶけれど、撮影する題材の組合せやレイアウトでシュルレアリスム的構図を実現する、というのはなるほどだった。

全然知らなかった作家の作品にもたくさん出会えたし、総じて、満足度が高い展示だったかと。日本における前衛芸術の展開に関心があれば、少なくとも図録は入手した方がよいと思うし、戦争と美術との関係に関心がある向きにもお勧め。

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2024/04/11

慶應義塾ミュージアム・コモンズ「エフェメラ:印刷物と表現」/慶應義塾大学アート・センター「Published by KUAC ── 出版物でたどる慶應義塾大学アート・センターの30年」

慶應義塾ミュージアム・コモンズ「エフェメラ:印刷物と表現」/慶應義塾大学アート・センター「Published by KUAC ── 出版物でたどる慶應義塾大学アート・センターの30年」

どちらも土日祝日は基本開いてないので(ミュージアム・コモンズは土曜開館日もちょっとだけあり)、平日たまたま休みが取れた際に行ってきた。 それぞれ会期は次の通り。

まずは慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)の「エフェメラ:印刷物と表現」の感想から。

2023年9月16日に開催された、トーク・イベント「エフェメラの住み処」(慶應義塾ミュージアム・コモンズとNPO法人Japan Cultural Research Instituteの共催)を受けた展示。トークイベントについては、レポートがカレントアウェアネス-Eで公開されている。

今回の展示は特に展覧会やイベントに関するお知らせ的な機能を持った印刷物が中心。雑誌も展示されていて、それをエフェメラと言ってよいのかどうか、という感じもあるけど、揃いの残存が少なければ確かにエフェメラ的なものと言ってよいのかもしれない。

展示は、二つの部屋に分かれていて、Room1では、現代美術を積極的に発信した南画廊のカタログや案内状(1950年代から1970年代)と、言わずとしれた?草月アートセンターの刊行物(SAC Journal)やポスター・案内状等(1960年代)、そして、オランダにおけるコンセプチュアルアートの発進地となった画廊Art & Projectがその展示を知らせる媒体として刊行したbulletin(1960年代から1980年代)がコンパクトな空間にずらりと並んでいた。

Art & Projectについては正直知らなかったのだけど、bulletin全号がずらりと並んでいたのは壮観。おそらくそこに示された名前を知っていればさらに楽しめたかも。どの人の展覧会の号を開いているのか、というところに、おそらく意味があったんだろうと思うのだけど、知識がないので分からん……

そういう意味では、南画廊や、草月アートセンター関連の資料の方が少しは分かったかも。特に草月アートセンター関連では、草月会館ホールで開催された久里洋二・真鍋博・柳原良平による1960年の「3人のアニメーション」や、1967年の「アニメーションへの招待」と題された、ピエール・エベールらのアート系作品と並んでディズニーやハンナ・バーベラ、そしてポール・グリモー「やぶにらみの暴君」などが延々と上映された上映会のポスターなどもあって、アニメ史的にも草月大事だなあ、とあらためて認識したり。その他、現代音楽のコンサートイベントがらみの資料もあって、国立国会図書館に手稿譜が所蔵されている林光の名前などもあった。

Room2は河口龍夫と冨井大裕による現代美術の二人展。どちらも、既存の印刷物を題材にしつつ、まったく異なるアプローチの作品を展開していて、面白かった。

どちらの部屋も、解説などはあまりなく、たぶん、ギャラリートーク付きで見たらまた印象が違うかも。あるいは、別のフロアの事務室で販売されている、図録を先に入手した方がよいかもしれない。

特にRoom1に展示された「エフェメラ」は、その資料が結びつく様々な文脈が提示されないと、その面白さが分かりにくい、というのが資料の特性でもあるので、もうちょっと文脈提示が展示に組み込まれていると楽しみやすかったかも。

慶應義塾大学アート・センター(KUAC)の「Published by KUAC」は、KUACの刊行物やポスター、チラシ、そしてイベントでの配布物を一気に並べた展示。過去の図録・パンフは全部手に取って見られるということで、いちいち開いて見てたら結構時間かかった。しかも一部在庫があるものは、展示室とは別の階にあるオフィスで購入可能なものもあったり。この手の展示で、現物を手に取れるのはやはり強い。

イベントでの配布資料などは、手に取るというわけにはいかなかったが、例えば、2003年12月20日開催のシンポジウム「アート・アーカイブ活動のための基礎的理論整備」(開催案内でのタイトルは(仮)だった最終的にはどうなったんだろう)は、進行役が高山正也先生、講演者として八重樫純樹先生、田窪直規先生が登場していて、特に八重樫先生の当日の配布資料があって目を引かれた。中身まで詳しく見れたわけではないが、その後のデジタルアーカイブにつながる議論がここで展開されていたことがうかがえる。

どちらの展示も、とにかく部屋の広さに比して展示点数が多いので、時間的には油断大敵かと。

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2024/02/04

板橋区立教育科学館「いたばしアニメ博」

会期最終日駆け込みで、板橋区立教育科学館「いたばしアニメ博」(会期:2023年12月23日(土)-2024年2月4日(日) )を見に行ってきた。

最寄り駅は東武東上線上板橋駅。駅から歩いて5分ほどで到着。

前日に上映イベントがあったそうだけど、そもそもこういった展示を開催していることに気付いたのが最終日当日だったので、これはやむなし。板橋区立教育科学館には初来訪。プラネタリウム中心に、子ども向けのプログラムが充実しているようで、おっさん一人でふらりと行った自分は大変浮いてた気がする。

展示自体は2階の教材製作室という部屋一室での展開で、小さい展示ではあるものの、中身はめちゃめちゃ濃かった。しかも、展示を担当された研究員の方が会場におられて、解説までしていただけたという贅沢体験。

中心になるのは、戦前期の日本で、一時期家庭用の動画映像上映媒体として流通していた紙フィルムに残れたアニメ作品。紙なのに「フィルム」とはこれいかに、なのだけど、映画フィルムと同様の形式で、連続するコマを紙に印刷し、一コマずつ送るための穴があいている、というもの。フィルムを転写したものが多く、現在フィルムが未発見の作品が、この紙フィルムで発見される、といったこともあるとのこと。

紙フィルムは最初は大日本印刷が開発したそうで、その後、複数の追随するメーカーが現れたとのこと。普通のフィルム式の映写機は光をフィルムに透過したものを拡大して映写するわけだけど、紙フィルム用の映写機は強い光を当てて反射した画像を拡大して映写するわけで、フィルムとは似て非なる映写機構になっているところが面白いところ。また、紙なので色つきで印刷できるので、カラーというのも面白い。

そして紙なので、紙に複製が可能! というわけで、手作業で紙にコピーしたものを切っては貼って繋いで穴を開け……という作業を行った復元紙フィルムを上映可能にしたり、スキャンしてモニターに動画として上映、といったことも行われていた。復元には延々と単純作業が続くわけで、結果的に当時の作業に近いものを実体験することにもなったというお話もうかがった。モニターでいくつか動画も上映されていて、当時の色つき動画というのを疑似体験できたのも大変ありがたし。

さらに、1930年代、映画にトーキーが登場したことを受けて、家庭でも動画と音を一緒に楽しもうと、開発された上映機器の実機も展示されていた。蓄音機と映写機の合体機構や、蓄音機の動力を映写にも活用しようという映写機など、発想はわかるけど……という感じのものも。実際にちゃんと動いたかどうかは別にして、チャレンジ精神がすごい。一方で、映写機も戦時期の物資統制の影響を受けて金属がほとんど使えなくなったり、フィルムの素材でありるセルロースが火薬の原材料に回されていった、といった、戦争の影響のお話もうかがったり。

映像と音との連動、という点では、スタートのタイミングを合わせるために、内側から再生する特殊な蓄音機も紹介されていて(レーベルにスタートする場所を印刷できるためとのこと)、なんと、音も聞かせていただくことができたのだけど、音量も音質も良質で、ちょっとびっくり。映画上映用にはもっと大きな盤面で高速回転のものがあって、現存は非常に希であることや、内側から再生する蓄音機は、溝が横方向ではなく縦方向に振動する仕組みで、そのためにノイズが少ないが、深い溝を作る必要があるために、コスト面では不利だったという話もうかがって、これまたなるほどだった。

また、幻灯機や、それまでの動く絵が横方向に連続するものが多かった(ゾートロープ(回転のぞき絵)とか)ことから、連続するコマ(画像)を横の水平方向に並べたフィルムが初期には多かったのが、フィルムを垂らす形の縦の垂直方向に変化したといった話や、初期(20世紀初頭)のアニメーション作品で水平方向のものと、垂直方向のもので、重ねてみるとまったく同じ絵のものがあることが確認された事例の紹介もあったり。これは解説聞きながらでないと、なかなか分からなかったかも。

総じて、限られたスペースの中で、動く映像の発展史を、音や媒体なども含めて、多様な可能性が探求された過程として描き出す意欲的な展示で、これは上映イベントも観たかったなあ。解説リーフレット4種のうち、一つはもうなくなっていたのは残念だったけど、これまた凝った作りだったり。

なお、解説をしてくださった研究員の方は、昨年、関東大震災の津波被害を記録した映像のフィルムを発見した方でした。今度はそちらの関連の展示も企画されているそうで、これはまた上板橋に行かねばならぬでしょう。

(参考)関東大震災100年 発掘された記録映像 知られざる津波の脅威(NHKニューウオッチ9)2023年9月19日

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2022/08/15

『日本古書通信』2022年5月号・6月号

『日本古書通信』の積ん読がたまってきたので、とりあえず、2022年5月号(1114号)と6月号(1115号)の気になった記事についてメモ。

まずは『日本古書通信』2022年5月号から。

岩切信一郎「石版画家・茂木習古と三宅克己」(p.2-4)は、明治・大正期に活躍した石版画の画工「習古」の謎を辿りつつ、石版カラー表紙を実現した出版における明治20年代の技術革新などにも言及。洋画家・三宅克己の調査の過程で「習古」に三宅が師事したという回想を手がかりに現在までに判明した事実を紹介している。しかしまだまだ謎は深まるばかり、という様子。なお、三宅克己については、次を参照するのが良いかと。「三宅克己 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8905.html

川本隆史「書痴六遷の教訓-仙台からのたより」(p.10-11)は、『風の便り』第7号(1997年6月)からの再録とのこと。著者の引っ越し遍歴を、段階的に増殖していく蔵書の様子と併せて回顧しつつ、書物がつなぐ縁(新明正道氏からの手紙が紹介されている)について語るエッセイ。文系の学者の増え続ける蔵書のありさまが、引っ越しの玄人ともに身に迫ってくる。その後の引っ越しについての補記もあり。

川口敦子「キリシタン資料を訪ねて② ポルトガル国立図書館2」(p.16-17)は、2007年のポルトガル国立図書館での調査の様子を紹介。一部の目録ではポルトガル国立図書館にあるとされていた『ぎやどぺかどる』がやはりなかった、という話が、目録情報の確実性という意味で考えさせられる。イラストで紹介されている、図書館内のレストランのランチがおいしそう。また、当時ポルトガルの書店で購入したルイス・フロイス『日本史』のCD-ROM版がWindows10では起動できなくなっている、という話もあって切ない。

青木正美「古本屋控え帳431 『世界はどうなる』」(p.35)は、『世界はどうなる』精文館,1932の紹介(なお、インターネット公開されている国立国会図書館所蔵本は一部欠落がある模様。)。第二次世界大戦の展開を予想しつつ「日米戦争に対しては、我が国は攻勢に出づるに最も有利な立場」と対米戦を煽っていて、なるほど、こういう書物によって、対米戦争に対する気分が積み重ねられていったんだろうな、という感じ。

八木正自「Bibliotheca Japonica CCXCIII 達摩屋五一遺稿集『瓦の響 しのふくさ』」(p.39)では、書物の価値が嵩で計られていた時代に、書物の価値を評価した古書肆の鼻祖、岩本五一(1817-1868)の生涯と、その遺稿集を紹介。五一の堂号、珍書屋待賈堂が、反町茂雄の古書販売目録、「待賈古書目」(JapanKnowledgeで提供されている電子版の解説参照。)の由来となったとのこと。

なお「受贈書目」(p.40-41)で、浅岡邦夫「禁書リストを筆写した図書館員」(『中京大学図書館紀要』42号抜き刷り)について紹介されている。同論文は中京大学の機関リポジトリで公開されており、東京帝国大学附属図書館に勤めていた佐藤邦一が書き写した禁書リストを軸にその生涯を辿るもの。

続いて、『日本古書通信』2022年6月号についてのメモ。

真田真治「小村雪岱の装幀原画① 内田誠『水中亭雑記』」(p.2-4)は、著者が入手した、小村雪岱の「装幀原画他装幀資料」と、その入手の経緯を語る連載の一回目。レア資料を巡る古書店主とコレクターの複雑な関係も読みどころかと。

樽見博「百年後の大樹」(p.6)は、長塚節(コトバンクの解説)が茨城県下妻市の古刹、光明寺で撮影したという写真の背景に写った大樹について、現地での状況を踏まえて考察した囲みコラム。確かに、現代の写真と比較すると、通説が正しいのかどうか、ちょっと疑問になってくる。

竹原千春「古本的往復書簡2 細川洋希さまへ 志賀直哉の初版本」(p.8-9)では、著者の入手した志賀直哉献呈本を題材に、細川護立(永青文庫の創設者)と志賀直哉の交流について紹介されている。小学校から大学までずっと一緒だったとはびっくり。

森登「銅・石版画万華鏡177 松本龍山『袖玉京都細絵図』」(p.15)は、著者の入手した、慶応4年の銅版京都図を紹介。袋付きで入手したとのことで、その図版も掲載されている。貴重かと。

「札幌・一古書店主の歩み 弘南堂店主高木庄治氏聞き書き(11)独立開店(札幌医大前)」(p.32-34)は、毎回貴重な証言の連続だが、今回は、末尾の詐欺事件の顛末が苦い。一方、『蝦夷地及唐太真景図巻』落札と、昭和37年ごろに、名取武光氏の研究費で北海道大学に入れることになった顛末の話が興味深い(その後一旦行方不明になったとのこと。なお現在は北海道大学北方資料データベースで所在を確認できる。)。こういう購入の仕方が許される時代だったんだなあ。

川口敦子「キリシタン資料を訪ねて③ アジュダ図書館(リスボン)」(p.36-37)は、ボルトガルの首都、リスボンの宮殿内にある図書館、アジュダ図書館の紹介とそこでの調査について。宮殿という古い建物だからこそのトイレのドアの罠?のエピソードがなんとも言えない。また、最初の訪問時(2007年)にはウェブサイトもなかった、というのがちょっと驚き。

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2022/08/07

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』光文社,2022.(光文社新書)

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』光文社,2022.(光文社新書)を読了……して、少し時間がたってしまったので、既に忘れかけだけど、印象だけでも書き残しておく。

セリフやキャプションによる過剰な分かりやすさの追求や、映画評論の衰退、時間面での効率性(タイパ)重視、監督へのこだわりの無さなど、次々と年寄りには受入れづらいネタが繰り出され、それをフックに、現代の映像作品受容の諸相に関するレポートとして読ませる一冊、という感じだったかと。

映像作品を倍速で視聴したり、間をすっとばしてラストを見たり、というのは、紙の本で斜め読みしたり、最後の方を先に見たり的なものが、映像作品でも手軽にできるようになったことの帰結かと思うので、そのこと自体は、なるほどなあ、という感じなのだけれど、むしろ、そうした視聴の仕方をする理由が、友人・知人との間のコミュニケーションのネタとして必要な情報を獲得するため(あるいは時にマウンティングに対抗するため)、という話に、少し驚いた。若い世代のコミュニケーション環境の過酷さに、自分なら生き延びられただろうか、と考え込んでしまう。

膨大な作品がフローとして供給されていく状況に、金銭的にも時間的にも余裕がない環境下で対応しようとすればこうなる、という話でもあるのだけれど、膨大な過去作品のストックに対応する際にも、それは同様であって、全部の作品をとにかく最初から最後まで見るべし、というのは、当然のことながら、単に時間的に不可能だろう。では、映像作品のアーカイブの蓄積が充実していった時に、どのような作品選択と、視聴のあり方がありうるのか、ということが問われるのでは、ということもちょっと考えたり。

また、「みんなが見ている」という選択軸が最優先になってしまうという話については、過去作品のアーカイブの蓄積へのアクセスを維持することの意味はどこにあるのか、ということを考えてしまった。

あるいは、むしろ、「みんな」から、何かの拍子にはみ出してしまった時に、「みんな」とは異なる道を選ぶ可能性を、どう維持し、提示するのかを考えるべきなのかもしれない。そうした、「みんな」からズレてしまって、市場の主流からも、「仲間」たちの人間関係からもこぼれ落ちていってしまう人たちが、なお映像作品を自分なりに楽しむことができる環境が維持されうるのか。本書の裏側に隠れているのはそうしたことなのでは、と思ったりもしたのだけど、それもまた、サブスクプラットフォームのロングテール的な標的の範囲内なのかも、と思ったりと頭がぐるぐる。

そういうことを色々考えるヒントをくれる一冊だった。

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2022/07/18

『学士会会報』no.955(2022-IV)

學士會会報』no.955(2022-IV)を斜め読みしたら面白かったので印象に残った記事をメモ。

宇山智彦「ロシアは何をめぐってウクライナ・米欧と対立しているのか」(p.16-20)は、ロシアの主張を分析して、ウクライナ侵攻の理由としてよく言われるNATO拡大という主張を「額面通りに受け取ることはできない」とした上で、特に米国との関係の中で、ロシアが国際社会における特別な権利がある、という主張や米国中心の国際秩序のゆらぎ、ウクライナとの一方的な一体性認識などを背景として分析している。バランス感覚も含めて、短く読める論説としてお勧めかと。

中山洋平「二〇二二年大統領選挙後のフランス政治――「ポピュリズム」から分極化へ?」(p.21-27)は、先日のフランス大統領選挙を分析し、かつては極右のものだった、移民排斥という主張を、幅広い勢力が取り込むことが容認されるようになっているなど、「EU統合推進、市場自由化、共和制原則に基づく意味統合」という統治エリートのコンセンサスが突き崩されてきている状況を論じている。興味深いのは、イタリアの政治学者サルトーリの描いた「分極的多党制」と同様の力学が働いているという話。「分極的多党制」というのは、

「左右両極に無視できない反体制政党を抱えている上に、中央の位置が独立の勢力によって占められていると、左右の穏健な政党は両極に吸い寄せられていく。こうした「遠心的競合」によって左右両翼への「分極化」が進めば、最終的には民主制の存続が危ぶまれる段階に至る。」

という話で、フランスでは、左右の両極が、EU統合に反対、市場自由主義路線を批難するという状況で、中道の独立政党であるマクロン党がこれまでのコンセンサスを維持する、という構図になっているとのこと。日本との比較という意味でも興味深い。

大塚美保「没後百年目の森鷗外」(p.42-46)は、今年没後百年となる森鴎外の最新の研究動向を紹介する一本。フェミニズムの理解者・支援者としての鴎外、文化の翻訳者としての鴎外、鴎外による国家批判と体制変革を通じた国家維持構想など、鴎外の持つ多面性を積極的に評価する近年の研究動向をコンパクトに紹介していて、最近はこんな議論になっているのか、と勉強になった。

北村陽子「戦争障害者からみる社会福祉の源流」(p.47-51)は、第一次大戦後のドイツで発展した、「戦争によって傷ついた人(Kriegsbeschädigter)」への支援策が、リハビリや障害者スポーツの発展、義手・義肢の技術革新、盲導犬の導入(軍用犬の戦後の活躍の場として発展したとのこと)など、現代につながる様々な障害者支援の仕組みにつながっていることが紹介されていて、まったく知らないことだらけで驚いた。

山田慎也「民俗を尋ねて《第VI期》第4回 変わりゆく葬送儀礼」(p.85-90)は、新潟県佐渡島北西部の、自宅を中心的な場として行われていた葬送儀礼を紹介するとともに、2000年代以降、公民館、そして2014年に改行した葬儀場を利用する形で変化するとともに、地域共同体から個人化の方向に向かっていった過程を紹介している。

なお、表紙の図版は東京大学総合研究博物館所蔵三宅一族旧蔵コレクションから、貴族院議員だった三宅秀(1848-1938)が貴族院議員有志から送られた、服部時計店製「帝国議会議事堂模型」。表紙裏の解説(西野嘉章「かたちの力(連載79)」)と併せて、現在の国会議事堂が完成した直後の議事堂が持っていた象徴性も含めて、興味深い。

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