2022/01/30

安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』亜紀書房, 2021.

『戦争とバスタオル』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』亜紀書房, 2021.を読了。

もともと、世界各国のお風呂をめぐる企画だったそうだが、新型コロナウイルスの影響(と予算の都合)もあり、海外は比較的近隣のタイ、韓国、国内は沖縄、寒川(神奈川県)、大久野島(広島県)が舞台。極楽気分のお風呂訪問話が、様々な人との出会いを介しつつ、戦争の記憶とつながっていく展開に引き込まれる。

国を超えて人と人が殺し合う「戦争」の記憶が、ものすごく逆説的な言い方になってしまうのだけど、立場はまったく異なっていたとしても、共通する体験や歴史として、国を超えた人と人の対話の契機ともなりうる、ということが、お風呂という素材を組み合わせることで描き出されているという感じ。もちろん、実際の取材はそんなきれいな話ばかりだったわけではないのだろうけれど(本書にもその片鱗は書き込まれている)。

そんなことを思ったのは、欧州横断的なデジタルアーカイブプロジェクトEuropeanaが、第一次世界大戦をテーマに様々な資料をデジタル化し公開、関連のイベントやプロジェクトなどを行っていたことを思い出したからだったりする。化学兵器等の大量殺傷兵器が導入され、悲惨を極めた戦争が、欧州共通の体験として召喚されたことに驚いたのだけれど、国を超えた経験として改めてその歴史を共有することが、対話の契機ともなり、同じことを繰り返さないための手段ともなりうる、という可能性がそこで追求されていたのかもしれない、と本書を読んで、改めて思ったのだった。

(ちなみに、そのプロジェクト、Europeana 1914-1918については、次の記事を参照のこと。篠田麻美「Europeana 1914-1918:第一次世界大戦の記憶を共有する試み」カレントアウェアネス-E. No.254. 2014-02-20.

もう一つ、本書後半では、戦時中の日本の毒ガス兵器生産工場で働いた人々が登場する。ETV特集「隠された毒ガス兵器」(初回放送:2020年9月12日)で、多少は知っていたが、想像以上の劣悪な労働環境にぼう然とした。しかも、当時の国の政策の被害者でありながら、特に陸軍の毒ガス生産工場で働いていた方は、同時に毒ガスの被害者となった人々に対する責任を自らに引受けていた。これもまた逆説的な言い方になってしまうのだけれど、国の行なったことで自らの人生がねじ曲げられながらも、なお、国が行なったことの責任を自らのものとして引受けるその姿は、ネイションを構成する国民としてのナショナリストのあるべき姿なのかも、と思わせるものだった。しかし、その道のなんと過酷なことか……

と、重たく書いてしまったけれど、重い内容もあるものの、笑いあり、涙あり、人情あり、そして何よりお風呂がある。読み終わった時、取材の神様のはからいに感謝したくなる一冊。

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2021/11/14

『東京人』2021年12月号[no.447]特集「商店街に新風」

新型コロナのせいで、なかなか近隣にも出かける機会がなくなっていたこともあって、『東京人』2021年12月号[no.447]特集「商店街に新風」で報告されている、様々な取り組みで活気を取り戻しつつある東京各地の商店街の様子は興味深かった。

冒頭の、北山恒「コモンズ再生の最前線。 15minutes city TOKYO」(p.12-15)で示された「商店街の道空間を商店街が自治する共通資本(コモンズ)にする」というビジョンは魅力的。また、イベントスペースとして人が行き交う、コモンズとしての寺院・神社の境内、という視点も重要かと。ちなみに、15minutes cityというのはパリで提唱されたものだそうで、それを商店街を軸に再構成した構想、という感じ。

商店街の取り組みの具体例としては、複数の商店街をとりまめつつ、学生が「書生」として空き家に住む取り組みを進めている「文京区 認定NPO法人街ing本郷」(p.16-25)、廃業してしまった歴史的建造物でもある店舗を軸に商店街を活性化を目指す「板橋区 仲宿商店街」(p.26-31)、問屋街としての機能が失われつつある中で、URと組んで異なる業態を積極的に取り込んでいく「中央区 日本橋横山町・馬喰町問屋街」(p.34-41)、東京R不動産を中心に、空き店舗の活用を地域とのマッチングを重しつつ進める「荒川区 ニューニュータウン西尾久」(p.50-57)などが目を引く。

地域で新たな取り組みを進めるためには、時間をかけて地域内外の関係者の信頼関係を構築することや、補助金頼みではなく、持続可能な形で段階的に取り組みを進めていくことが重要であることがよく分かる特集でもある。カフェや本屋が持つ、世代や分野を超えた結節点としての機能、というのも何となくうかがえるし。それぞれの地域の地力がある程度残っているタイミングであれば、シャッター店舗がある程度増えてきた状態からでも、活性化の可能性は残されている、ということでもあり。

また、印象的なのは、その地域がもともと持っている価値を生かしつつ、新しい活力を取り込む、ということを、不動産業側も考えるようになってきている、というところ。東京各地で進む大規模再開発とは異なる方法論がありうることも示されている。近隣に一定の商圏が残っている東京だからこそ、という側面もあるかもしれないが、少なくとも、一定の人口集積がまだ維持されている地方都市であれば、参考になりうるのでは。

それにしても、こういうのを読んでいると、公共図書館と商店街、というのも、割と組み合わせとしてありうる気がしてくるのだけど、どうなのだろう。空き店舗に分館+イベントスペースが入居、というのも、ありえる気はするのだけど。

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2021/09/25

吉村生・髙山英男『水路上観察入門』KADOKAWA, 2021

吉村生・髙山英男『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』KADOKAWA,2021.を読了。

板橋区立高島平図書館で開催されている「高島平×水路上観察入門展」(2021/9/12(日)~10/3(日))が面白かったので購入して一気読み。暗渠化された河川の上の空間を歩き、観察する楽しみを、著者お二人の異なる視点、アプローチで紹介している。

暗渠の上がどう変貌したかを楽しむか、暗渠化されてもなお残る河川の痕跡を楽しむか、楽しみ方はそれぞれ微妙に異なるが、都市・住宅地の開発の中で隠され、忘れられ、捨てさられたものが、さまざまな形で吹き出してくる、その様相がなんとも味わい深い。

それにしても、今はウォーターフロントなどと持てはやされたりもするが、高度成長期における都市部の河川は、工場・生活排水が流れ込み、汚濁にまみれ、悪臭を吹き出す悪所であり、住人から暗渠化が望まれるものだった、ということを自分は完全に忘れ去っていた。いかに人は忘れるのか、ということを改めて突きつけられた感じもする。

まあ、そんな堅苦しいことを考えなくても、暗渠とその周辺には、それぞれの地域の普段は忘れられた歴史と、普段は意識化されない生活のありようやその変化が詰まっている。それを写真や解説を通じて、ゆるやかに楽しむ視点を提示してくれる一冊。なお、写真が大量に詰め込まれていてそれがまた楽しいのだけれど、紙では一つ一つの写真が小さいので、老眼には、拡大できる電子版の方がよいのかも。

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2007/11/07

グアムと日本人 戦争を埋立てた楽園

 最近読んだ本では、山口誠『グアムと日本人 戦争を埋立てた楽園』岩波書店, 2007.(岩波新書)が印象に残っている。
 グアムといえば、比較的近くて安いリゾート天国としてしか、認識することができない。少なくとも他の姿は、メディアには登場しない。
 実は、太平洋戦争時の激戦地であったことなんて、はっきりいって、私自身もほぼ完璧に忘れていた。戦後28年間、日本兵としてジャングルをさまよったあの「横井さん」が「発見」されたのも、グアムだったというのに(実は本書を読んで、初めてそれを認識した私である)。
 しかも、グアムは一時、日本領でもあった。日米開戦直後に、日本軍は米国領であったグアムを占領し、「大宮島」としていた。植民地だったわけだ。当然ながら(あまり大きくはなかったようだが)、神社もあった。
 本書は、日米戦時のこうした記憶が、どのようにして日本人に忘却され、そして、私のように「忘れたことさえ忘れた」状態に至ったのかを、グアムの戦後史(と日本の観光史)をたどりながら論じる一冊である。
 グアムの日本人向け観光地化が、現地の意向とはほぼ無関係に推進された話や、宮崎県がメッカだった新婚旅行先が海外に広がっていった際に観光地としての地盤が築かれた、という話も興味深いが、より印象的なのが、繁栄する観光地の影で、米国の統治下で、米軍基地と観光に経済的に依存し、住民は米国の2級市民扱い(例えば、大統領選挙に参加することができない)、医療や社会インフラもぼろぼろで、米本国への人口流出と、フィリピンからの出稼ぎによる人口流入が止まらず、という、米国の植民地としての姿である。
 ということは、日本からの観光客は、米国の植民地に作られた、日本人向けの仮想リゾート地で楽しんでいることになる。沖縄が微妙に重なって見えるのは私だけか。
 もう一つ、台風で建物を失い、再建の目処が立たずにショッピングセンターの一角に間借りしているというグアム博物館の現状も強烈だ。観光地のインフラ整備が優先される結果、地元の文化機関への投資は、ひたすら先送りされているらしい。
 もちろん、著者はただ現状を嘆いているだけではない。本書は、リゾート地を越えた先にある、もう一つのグアムへの案内書でもある。巻末には、ほんの数ページだけれど、「もう一つのグアム・ガイド」が収録されている。歴史や文化への目配りを失い、買い物情報に全面的に占領されつつある(と本書で分析されている)既存の旅行ガイドブックへのささやかな、けれど、強烈な抵抗と読むこともできるだろう。
 グアムへは行ったことはないけれど、もしも行ったら、きっと(例えそれがヴァーチャルなものでしかないと知っていたとしても)リゾート気分を満喫してしまうような気がする。それでも、そんな機会があったら、必ず本書をカバンに入れていこう。そして、ビーチで朽ちかけたトーチカを眺めるのだ。

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