2023/02/23

安東量子『スティーブ&ボニー:砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』晶文社, 2022.

『スティーブ&ボニー』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

また更新に間が空いてしまった。

安東量子『スティーブ&ボニー:砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』晶文社,2022.を読了。

ざっくりまとめると、ひょんなことから著者が参加し、登壇することになった、2018年の米国での原子力関係の会議をめぐる、渡米から日本に帰国するまでの体験に基づくエッセイ、ということになるのだと思う。

けれども、そこで描かれているものは、とても多面的で、複雑で、だからこそ人間的で、なんとも要約しがたいもので、著者があとがきで「考えた以上に長くなってしまいました」と書かれていることに納得しかない。例えば、米国における原子力産業あるいは関連する研究分野にかかわる人たちのことや、米国に長く暮らす日系人が語る歴史、あるいは、著者自身が関わってきた福島ダイアログを通じて出会った人々、また、会場となったワシントン州のハンフォード(マンハッタン計画の拠点の一つとして整備され、プルトニウム生成のための原子炉が設置された場所)を、自らの生きる土地として選んだ人々の姿、著者の生まれた広島のことなどなど、様々な要素が絡み合いつつ描き出されている。特に、会議開催中の滞在先のホストファミリーの夫婦(と、家族や友人たち)は印象的で、そのお二人の名前がタイトルになっていることにも、これまた納得しかない。

誰にお勧めするか、というのは難しいが、一例を挙げれば、科学史や、STSに関心のある向きは、読むと様々な示唆が得られると思う(例えば、科学史の語られ方自体にもナショナルな要素が入り込む、といった視点や、専門家がどのようにして信頼を失いがちなのか、という論点などが、体験を通じて実感を持って語られていたりする)。原子力問題についても単に批判・賛美に固定化するのではなく、そこに関わる人の視点から物事を捉え直すような視点が提示されていて、頭の中がぐるぐるかき混ぜられる感じもある。

といっても、あくまでエッセイ的な書き振りで、「ひとつの物語」と著者自身があとがきで書かれているとおり、語り口は平易。登場する人物たちもそれぞれ個性的、そして料理についての描写がいちいち、すごくおいしそうだったり、激烈にまずそうだったりするのがなんとも読んでて楽しい。

奇跡のような出会いや交流に、思わず泣けてくる場面もある。マンハッタン計画も、広島も長崎も、米国における日系人差別も、東日本大震災と東電福島第一原発事故も、今もそことつながったところで、自分たちが生きている、ということを、静かに教えてくれる一冊だと思う。

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2022/02/06

『科学史研究』no.300(2022年1月号)、『生物学史研究』no.101(2021年12月)

このブログ、更新を再開してからは、最低でも週一回更新を目指しているのだけど、ここのところ、読書がはかどらず、まとまって書くネタがない。というわけで、最近ぱらぱらと斜め読みした学会誌について、この先ちゃんと読むとき用に、ざっくりメモしておく(と、言いつつ大抵積ん読になるのだけど…)。

まずは、『科学史研究』no.300(2022年1月号)。

巻頭の論文、山中千尋「第3回汎太平洋学術会議序説:櫻井錠二の関与にみる開催経緯と特質」p.299-316.が面白そう。1926年に東京で開催された、第3回汎太平洋学術会議(Pan-Pacific Science Congress)の開催に至る経緯を、中心となった櫻井錠二関連資料を中心に論じている様子。1920年に設置された、学術研究会議の役割や、日本の自然科学研究の国際化の進展、関東大震災の影響も絡んだ話になっている。

小特集「仮説実験授業はどのようにつくられたか」p.329-370は、2021年5月23日に日本科学史学会第68回年会において開催されたシンポジウムを元にしたもの。板倉聖宣を中心にした、仮説実験授業成立について論じられている。理科教育に関心のある方には、興味深い内容が含まれているのでは。

綾屋沙月・平井正人・鶴田想人「シンポジウム 当事者研究と科学史の対話―—インクルーシブなアカデミアに向けて」p.371-384.も同じく、2021年5月23日に日本科学史学会第68回年会で行われたシンポジウムが元になっている。障害当事者がその障害に関する研究を行なう「当事者研究」が「障害学」と比較・対比されつつ言及されたり、当事者であることだけでは他の研究分野の研究者と対等にはなれず、一方で当事者であることに過度に期待されたりする状況が語られている様子。

斎藤憲・橋本毅彦・杉本舞「『科学史事典』編集と刊行記念シンポジウムの記録」p.385-388.は、『科学史事典』(丸善,2021)の企画・編集の経緯と、2021年5月22日に日本科学史学会第68回年会の前夜祭企画として開催されたシンポジウムの概要をまとめたもの。編集や執筆の苦心や、亡くなられた伊藤和行氏の貢献についても語られている。

続いて『生物学史研究』no.101(2021年12月)

特集は「シンポジウム:COVID-19と生物学史」p.1-40.。個人的に気になったのは、19世紀末の日本の海港検疫法制の変遷を、内務省中央衛生会における議論をたどりつつ論じる、野坂しおり「19世紀末日本の海港検疫体制における中央衛生会の役割」p.9-14.と、日本における新型インフルエンザ対策に関する体制整備の経緯を論じた、横田陽子「日本のパンデミック対策成立経緯――新型コロナを迎えるまで」p.15-21.が、どちらも公衆衛生・防疫に関する制度が、国際動向を含めて、様々な要因が絡み合いながら確立されていく過程を明らかにしている感じで、興味深い。

論文、佐藤正都「明治期における代表的な思想家たちの進化論解釈・利用と二次的な対立構造」p.41-53.は、日本における進化論の受容と進化論に関する議論を、米国における進化論に関する議論との対比も加えつつ論じている様子。日本では進化論は科学的真理として受け入れられ、それを前提にした形で議論が展開した、という結論部分だけ先に読んでしまったけど、これは面白そう。

あとは、学会誌じゃないけど、『思想』2022年2月号「[特集]ポピュリズム時代の歴史学」も面白そうと思って買ったものの、まだ読めず……

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2021/12/26

吉見俊哉『大学は何処へ 未来への設計』岩波書店, 2021.(岩波新書)

『大学は何処へ』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

吉見俊哉『大学は何処へ 未来への設計』岩波書店,2021.(岩波新書)を読了。大学論でもある一方で、平成日本の失敗の総括的な議論でもあり。

さらに言えば、戦後日本の出発点における高等教育の制度設計の失敗の分析にもなっている。特に、実用的・専門的な分野別の研究・教育とは異なる性質を持ち、高等教育において本来不可欠であるリベラルアーツ教育が定着しなかったことが繰り返し様々な事例で議論されていくのがポイント。リベラルアーツ教育的要素を強く持っていた旧制高校の解体(新制大学への吸収)が、一つの転機であった、という議論が興味深い。また、その後の大学における教養課程の解体は、その帰結であり、その背景には、大学の教授会内における旧制高校出身教員へ差別意識があった、というのは、納得感はあるが、何というか救いがない。

その他、戦中における、理工系重視政策(一部の私立大学においては実際に文学部が廃止されているとのこと)など、現在、大学が直面している様々な問題は、実は今始まったことではなく、近代日本の高等教育史において長く未解決の問題として引き継がれてきたものであり、平成期においてその解決の機会を逃し続けて現在がある、という基本的な視点は一貫している。

一方で、戦後の日本の高等教育における注目すべき事例として、旧制高校的な仕組みを取り込んだ高等専門学科(高専)や、旧制高校的な要素を新制大学の中で活かそうとした東京大学教養学部、そしてMITを参照しつつリベラルアーツ教育を重視した東京工業大学の事例が紹介されている(そう言われて考えてみると、東大教養学部と東工大の両方に、科学史の研究室があるのはおそらく偶然ではないのではないかと)。こうした、過去の蓄積や、海外の先進事例を踏まえた取り組みもあったことに、一縷の希望が残されていることも感じさせてくれる。

なお、問題点を指摘するばかりで終わるわけではなく、新型コロナウイルス感染症の影響により、オンライン化が急速に進んだこの機会を捉え、大学を国や地域を超えた教員と学生のギルド的な組織として位置づけ直しつつ、同じ場所に集まるということの意味を、社会的課題との接点として再構築することが提案されている。解決策を考えていく際に重要視されているのが、教員と学生の、研究と学習のための時間のマネジメントであり、この観点を等閑視した現在の単位の考え方を激しく批判しているのもポイントかと。時間のマネジメントの話は、大学院が社会人を受け入れる際に、職場の側にとっても重要な問題になるんじゃないかなあ、と思いつつ読んだりしていた。

平成日本の失敗の総括的な議論としては、次のような指摘が印象に残る。

「平成時代の日本の失敗の多くは、既存の前提はそのままにして小手先の改革に終始してきたことに起因する。多くの日本人が、できない理由を次々に見つけ出し、自らの手足を縛った。人は、こんな難しさがある、あんな問題があると言い募られれば、大手術は「時期尚早」と先延ばしにするほうを選ぶ。たまにビジョンを掲げ、大きな転換を志向する流れも生じるが、結局は足の引っ張りあいで論点が単純化され、表面だけが塗り替えられる結果に終わる。」(第4章「九月入学は危機打開の切り札か——グローバル化の先へ」)

小見出しで「困難列挙主義」とも呼ばれているこうした問題は、大学に限らず様々な面で見られる問題だろう。大学改革ではしばしば強力なリーダーシップの必要性が叫ばれるが、「既存の前提はそのまま」で「強力なリーダーシップ」とやらを導入しても、当然ながら何も解決しないに違いない。実際、本書では、学長リーダーシップの必要性は確認しつつも、「決定的に欠落しているのは、「大学とは何か」という根本理解である」(第六章「大学という主体は存在するのかーー自由な時間という希少資源」)と、まず前提を問い直すことの重要性が語られている。

そもそもの「既存の前提」がどのようなもので、それが何処から由来していて、本質的な問題点がどこにあり、同時代における対抗軸はなかったのか、あったとすれはその可能性を改めて見直すことはできないか、その時、提示されていながら正面から議論されなかった論点は何かなどなど、歴史的な観点を導入することでいかに見通しが良くなるかを、本書の試みは提示してくれているように思う。もちろん、歴史に基づくからこそ、反論・批判も多々ありうるかと。注は付されていないが、巻末に参考資料リストがあり、主要な論拠とされた研究については文中で明記されているので、批判的な読みにも耐えうるのではなかろうか。

大学論として読むのも良し、現在の日本社会が抱える問題点に関する議論の一例として読むのも良し。そして何より、歴史や、意思決定過程の記録がいかに役立つか、という実例としても読むことができる一冊かと。

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2021/10/16

成高雅「多紀元簡『槴中鏡』について」日本医史学雑誌67(3)[2021]

ここのところ、『日本医史学雑誌』をまともに読んでいなかったのだけど、

成高雅「多紀元簡『槴中鏡』について」日本医史学雑誌 67(3)[2021] pp.251-265

がやたらと面白い論文だったので紹介。といっても、内容を完全に理解できるほどの知識はないので、実際の論文はさらに深い、と思っていただければ。

この論文で主題となっている多紀元簡(1755-1810)は、江戸時代の漢方医。元簡の時代には、多紀家の家塾は官立の医学館となっている、というと多少はその立ち位置が伝わるだろうか。清朝考証学の影響を受けた、医学考証学派を代表する人物でもあり。その元簡の最初の著作とも言われる『槴中鏡』は、漢籍における書物収集や書誌学に関する記述を抜き書き編纂したもので、写本でのみ伝わっている。日本古典籍総合目録DBでも複数の伝本が確認できる。

これらの伝本を詳細に確認(ちなみに国立国会図書館所蔵本も当然分析の対象に)、系統関係を整理するとともに、自筆本である無窮会図書館所蔵本との比較などを詳細に行っている。(ただし、無窮会図書館は閲覧停止中のため、複製を用いたとのこと)

写本の伝播経路の分析では、大田南畝、狩谷棭斎、伊沢蘭軒、森約之、徳富蘇峰といった名前が並び、明治期に至るまで『槴中鏡』が関心を持たれていた様子がうかがえる。また、誤写等の分析から、系統関係も明らかにされており、写本の伝播の過程から見える、蔵書家たちの人的ネットワークも興味深い。自筆本である無窮会本は、流布している写本よりも大きく増補されていることも明確になっており、無窮会本の価値の高さも確認されたといえるのでは。

さらに『槴中鏡』で引用された元ネタ漢籍の分析からは、明清の考証学の影響があらためて確認されており、宋版など漢籍版本についての記載や装丁など、元簡に書誌学的な関心があったことも示されている。

というわけで、多紀元簡の学識と、漢籍を元にした書誌学に関する類書ともいえる『槴中鏡』の意義がよく分かる論文。江戸期の書誌学的関心のあり方や、人的ネットワーク、という観点から読んでみるのも面白いと思う。それにしても、こういう論文が紙でしか読めない、というのが、何とももどかしい。

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2021/09/04

石井洋二郎 編『21世紀のリベラルアーツ』水声社, 2020.

2021年年9月4日読了。ざっくり感想を一応記録。

出版社サイトの紹介は次のリンク先を参照。

http://www.suiseisha.net/blog/?p=13609

2019年12月14日に中部大学で開催されたシンポジウム「21世紀のリベラルアーツ」を元に、書き下ろしの論考や対談を追加したもの。

編者の石井洋二郎氏に加え、藤垣裕子氏、國分功一郎氏、隠岐さや香氏の論考と、全員に玉田敦子氏を加えたパネルディスカッションの記録、石井氏と藤垣氏の対談、という構成。

当該書は読んでいないのだが、どうやら、東大における実践を再構成した

石井洋二郎 著・藤垣裕子 著『大人になるためのリベラルアーツ』東京大学出版会, 2016.

石井洋二郎 著・藤垣裕子 著『続・大人になるためのリベラルアーツ』東京大学出版会, 2019.

を背景としている模様。産業界からの要請も踏まえつつも、大学におけるリベラルアーツ教育がどうあるべきか、という観点から議論が展開されている。

答えのない問いと答えのある問い、問いを立てる能力、分からない/分かりあえないものとの対話、成熟した市民、対話を重視することにより見失われるもの、といった様々な論点が提示されていて、考えるためのとっかかりが多数提示されている感じ。

解決策を直線的に見出すことよりも、答えの出しがたさと向合うことが、たこつぼ化して、それぞれの領域に分断された状況においてなお、それぞれがたこつぼの外側とやりとりをする土台となる「経験」として重要であり、そうした機会を提供するリベラルアーツが、高等教育という面でも、市民社会の維持構築という意味でも、必要なのではないか、という提起として読んだ。

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2018/06/22

科学基礎論学会・日本科学史学会との共催ワークショップ「学術誌の電子化と将来を多面的に考える」参加メモ

2018年6月16日・17日に開催された科学基礎論学会2018年度総会と講演会( http://phsc.jp/conference.html#2018 )の日本科学史学会との共催ワークショップ「学術誌の電子化と将来を多面的に考える」に参加してきた。日時、開催場所は次のとおり。

日時: 2018年6月17日(日)14:40~17:10
場所: 千葉大学(西千葉キャンパス)法政経学部棟106講義室

予稿は、科学基礎論学会学会のサイトに掲載されている。

趣旨説明 司会者兼オーガナイザ:松本 俊吉・伊勢田 哲治
http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-1.pdf
伊藤 憲二 - 学術雑誌の科学史的研究:査読システムと学会との関係を軸として
http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-2.pdf
土屋 俊 - 「電子ジャーナル」以降つまり今と近未来の学術情報流通
http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-3.pdf
調 麻佐志 - ソースはどこ?―学術誌の電子化がもたらす未来
http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-4.pdf

以下、当日取ったメモを元にポイントを紹介したい。とはいえ、あくまでメモが元なので、正確さには欠けるかと。その点はご容赦を(突っ込みがあれば修正します)。また、敬称は「氏」で統一させていただく。

冒頭、伊勢田哲治氏の趣旨説明によると、科学基礎論学会と日本科学史学会の連携強化の一環として、科学基礎論学会においても課題となっている学会誌の電子化の議論をきっかけとして、学術誌そのものについて検討するワークショップを開催することになったとのこと。
日本科学史学会の年会(2018年5月26日・27日)でまず、「学術雑誌の歴史」ワークショップが開催されており、その様子は、日本科学史学会のサイトで紹介されている。

科学基礎論学会との共催ワークショップ(6月17日)のお知らせ
http://historyofscience.jp/blog/2018/06/01/科学基礎論学会との共催ワークショップ(6月17日/

企画側の社会認識論的な関心としては、科学の信頼性を支えるものとして、特に査読の問題や、電子化の影響、望ましい知識共有のあり方、研究者の生産手段としての観点などが提示されていた。

伊藤憲二氏による報告「学術雑誌の科学史的研究:査読システムと学会との関係を軸として」は、17世紀から20世紀半ばまでの学術雑誌の歴史を概観するもの。伊藤氏の専門は物理学史だが、総合研究大学院大学での講義で研究の社会史を取り上げることから調べ始めたとのこと。教科書的なものも執筆中との話もあったので、これは公表を待ちたい。調べてみると「思ったよりおもしろい」という感想がまた面白かった。
ただし、全体像を描くにはまだ研究の蓄積はほど遠い状況で、質的・量的な変化が大きい上に、分野と地域多様性や、アーカイブズの未整備(特に日本)状況などが壁となっているとのこと。
一方で、今世紀に入ってから、学術雑誌をテーマにした論文が増加しているそうで、学術雑誌事態の変化や、科学的物体(ノート、印刷物等)への関心の高まりが背景にあるのでは、との話もあって、なるほど、と思ったり。
あとは各世紀ごとに概説があったが、印象に残ったところを断片的に。
17世紀の学会・アカデミーと学術雑誌の出現の話では、元々貿易会社の事業資金調達の方法として編み出されたサブスクリプションモデルが、書籍の予約出版に応用されていった、という話が面白かった。航海術の発達は、博物学的知識の増大という意味でも学術情報の流通に影響を与えていたとのことだが、出版モデルにも影響していた、というのは興味深い。
17世紀の個人編集者を中心とした編集方式から、18世紀には、アカデミーの出版委員会方式が始まるものの、各アカデミーが持つ出版特権を維持するための検閲的側面(政治的に危ないネタは排除)もあった、というのはなるほど(17世紀にも同様の話あり)。
19世紀になると、分野ごとの学会や雑誌が増え、さらに蒸気機関による印刷物の大量化と、ゼミナール方式など研究大学による専門分化を推し進めたドイツ学術の隆盛の時代を向かえる。1930年代まではSpringer刊行のZeitschrift für Physikが物理学における最も重要な雑誌だったが、ナチスの台頭によるユダヤ人迫害(Springer家自身も対象に)から、その地位を失っていった、という話を、実は初めて知った。そうだったのか。(ちなみに確認してみたら、Springer社のサイト( https://www.springer.com/gp/about-springer/history )でも、このあたりの背景は若干紹介されている。)
最後に、科学史学会でのワークショップについても紹介されていたが、要するにいかに知らないことが多いのかが確認された、とのこと。科学史学会で外部査読が始まった時期も分からないそうだ。うーむ。

土屋俊氏の報告「「電子ジャーナル」以降つまり今と近未来の学術情報流通」は、平成22年度大学図書館職員研修での「学術コミュニケーションの動向」 https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/choken/2010/12.pdf や、2017年の第19回図書館総合展での「学術コミュニケーションの動向 2016--2017: 「オープンアクセス」の功罪」 https://www.slideshare.net/tutiya/20162017-81979661 の最新版といった趣。
今回のスライドも、SlideShareで公開されている。
https://www.slideshare.net/tutiya/ss-102573181

冒頭、ビッグディールを推進した張本人として弁明する、と自らの立場を明確に打ち出した上で、冊子体における個人購読から機関購読への転換による価格高騰(シリアルズクライシス)と、論文数の増加を背景とした電子ジャーナルの価格上昇の違いや、理念としてのオープンアクセスから大手出版社が参入しビジネスモデルとなったのオープンアクセスへの変貌などの様々な通説とそれに対する批判が展開された。
面白かったのは、Predatory Journals(ハゲタカ出版)に対する評価で、安く論文を公開するのであれば、そんなに悪くないのでは、という話(ただ、後のディスカッションでは参加者から、査読があるかのように見えることが問題では、との指摘あり。)。その他、学術雑誌掲載が高等教育機関の採用時の評価と連動しているものの、結局同じ分野内の仲間内の評価でしかないのでは、と疑念を呈しつつ、しかし、ではその枠組みを外した時にはさらなる腐敗が待っているのではないか、との指摘もあったり。最後は成り行きに任せるしかない、と締めていたが、そう言いつつも、ディスカッションも含めて語りまくるいつもの土屋氏であった。
また、スライドにも登場するが、報告中で紹介されていた、
Rick Anderson "Scholarly Communication: What Everyone Needs to Know" Oxford University Press, 2018.
https://www.amazon.co.jp/dp/B07C6WVFPC/
は、学術コミュニケーションの現状を整理した、非常に良い本らしい。なお、土屋氏にとって、kindle+iOSの読み上げ機能で一冊読み切った最初の本とのこと。
そう言われると気になってしまって、早速、Kindle版で入手して、最初の方を見てみたけど、確かにこれは良さげ。図書館に関する章もある。

調麻佐志氏の「ソースはどこ?―学術誌の電子化がもたらす未来」では、専門家と素人の区別、ジャーナルの「格」、査読による質の保証、科学と非科学/未科学との差異、といった、既存の秩序が、電子化を巡って揺さぶられている現状が論じられた。「論文」自体の形態の変化(短い本文と大量のsupplementの組合せや、ソフトウェアのバージョンアップごとに更新され、アクセスを集める論文、リアルタイムの処理結果を示す動画を含む論文など)や、日本語での「糖質制限ダイエット」と英語の「low carbohydrate diet」での検索結果の性質の違い、偽論文投稿実験で大手出版社や学会でも通ってしまう現状、STAP細胞を巡る「ネット査読」に関わった人たちの同分野おけるものとは異なる多様な「専門性」、低線量被爆を巡る科学的に問題のある発言の流通など、様々な事例が紹介された。
ネットにおける「ソースはどこ?」「ソースを示せ」の普及は、一見、科学への信頼の向上のようにも見えるが、実は「エビデンス的なもの」があれば良い、という状況なのではないか、という問いかけが重い。
また、科研費に対する攻撃では、実際に、日本学術振興会の前で街宣活動が行われ、職員との間でのトラブルなども発生したそうだ。こうした、ダイレクトに研究内容に対して介入が行われる可能性に対する危惧を示しつつも、調氏は、一方で、行きすぎた科学至上主義の修正につながる可能性についても触れるなど、現状を多義的に捉える姿勢が一貫していた。

撤収時間が近づいていたこともあり、最後のディスカッションは時間がわずかしかなかったが、大学によるプレスリリースにおける研究内容評価の問題や、図書館の役割(もはや関係ない、と土屋氏がばっさり)、デジタル情報の保存の問題など、様々な論点が示されていた。

以下、時間があれば、質問してみたかったこと……を元に、終了後に考えたことをメモ(実際には、当日はここまでは考えてなかった)。

○日本では、特に中小規模学会を中心に、学会誌が、そのコミュニティの核となっていた時代があったように思うが、現在はおそらくもうそうではなくなっているのではないか。学会というコミュニティを維持・形成する核となる役割を果たすのは、今後は何になるのか。
○金がなければ、投稿すること自体が困難なオープンアクセスジャーナルモデルが普及する中で、税金を主要な財源としている、現在の学術研究の自律性をどう確保するのか。査読を中心にした、学術コミュニティ内の自律的評価モデルが信頼を失えば、税金の使途の妥当性を理由とした、政治介入の可能性はより高まるのではないか。
○電子ジャーナルを含めて、デジタル情報の保存を一箇所で集中的に行うことは困難。分散的に行うしかないが、そうすると、結果的に、ある機関なり個人の手元に残っていた情報の信頼性をどう評価するのかという問題が生じる。時間的経過の要素を組み込んだ評価モデルをどう組み上げていくべきか。

と、いう感じで、色々なことを後から考えてみたくなるワークショップだった。

2017/06/25

徳川美術館・蓬左文庫「江戸の生きもの図鑑-みつめる科学の眼-」展(2017年6月2日〜7月9日)

徳川美術館・蓬左文庫「江戸の生きもの図鑑-みつめる科学の眼-」展(2017年6月2日〜7月9日)
http://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2017/0602/

のポイントを、メモと記憶を頼りに。ちまちま直してたら、一週間かかってしまった。
 同展示の関連企画として、学芸部学芸員による土曜講座「尾張の本草学と博物図譜」が、2017年6月18日(日)午後1時30分〜3時に開催されていて(通常は土曜開催なのだが、都合で日曜だった模様)、たまたまこれも聞くことができたので、そこで聞いた話も組み込みつつ、自分なりに見どころを整理しておきたい。
 なお、あくまでメモと記憶を元にしているので、正確ではない点も多々あるかと思う。その点,ご容赦いただきたい。当然ながら、私的メモであって公式情報ではないのでご注意を。
 タイトル等は会場で配布されていた展示リストを参照した。また、上記の土曜講座で配布されたレジュメと講演時にとったメモも適宜参照している。
 生没年などは、磯野直秀『日本博物誌総合年表』(平凡社, 2012。文中では「磯野年表」と略記。)を参照したが、一部ネット情報を参照したものもある(その場合には参照先のURLを注記)。
 なお【 】内は、個人的に確認したり、気になった内容を書き込んでいるので、展示そのものとは切り離して読んでいただいた方がよいかと。

 さて、中身に入る前に「江戸の生きもの図鑑」展について、個人的に感じたすごい点をまとめておこう。

すごい①
 蓬左文庫、岩瀬文庫など、愛知県及び尾張徳川家関連の代表的なコレクションの所蔵品を一度に見られる。

すごい②
 現在は西洋植物学の移入に活躍した点で評価されることの多い、伊藤圭介、飯沼慾斎らの近代植物学的な面に限定されない多様な活躍を確認できる。

すごい③
 尾張の本草学者グループ、「嘗百社」の草創期から近代に至るまでの代表的学者の活動を概観できる。

 これで図録があれば完璧!、という感じなのだけど、そこはやむなし。

 展示の全体の構成は次のとおり。

一、美しき図譜
二、日本の本草学略史
 Ⅰ 江戸時代前期
 Ⅱ 江戸時代中〜後期
三、園芸の流行と植物図
四、尾張の本草学
 Ⅰ 本草学の展開
 Ⅱ 嘗百社と伊藤圭介
五、尾張の殿様と本草学

 展示リストによれば、総点数は70点。

 すごい①で述べたように、蓬左文庫所蔵資料はもちろん、名古屋市東山植物園、西尾市岩瀬文庫、雑花園文庫、名古屋市博物館など、愛知県内の各コレクションに加え、尾張徳川家第19代当主徳川義親ゆかりの資料を所蔵する徳川林政史研究所の資料が一同に並ぶ。

 「一、美しき図譜」では、岩瀬文庫所蔵の高木春山(?〜1852)自筆『本草図説』(1。以下同様に展示リストの番号を付す。)がいきなり登場。続いて、岩崎灌園(1786〜1842)『本草図譜』(岩瀬文庫蔵の2、蓬左文庫蔵の3)と定番もきっちり押さえる。

 注目は、すごい②で述べたように、名古屋市東山植物園蔵の飯沼慾斎(1783〜1865)『魚譜』(5)、『魚介譜』(6)、『禽虫魚譜』(7)で、植物画が取り上げられることが多い、慾斎の動物画に焦点を当てているところ。未製本の状態のものや、『慾斎翁遺物』という文字が(裏から透けて)見える仮綴状態の資料(魚譜(5))もあった。

 伊藤圭介(1803〜1901)関連では、名古屋大学附属図書館蔵『錦窠植物図説』(8)は、写本や印葉図、印刷物からの切り抜きなどを貼り込む形で編纂されたもの。
【蛇足。これを見ていたら、東京国立博物館の『博物館禽譜』等の『博物館○譜』を思い出した。編纂方法の類似性を感じさせる。こうした、様々な素材を組合せて、新しい編纂物を作り出していく方法論は、田中芳男が伊藤圭介から受け継いだものなのかもしれない、などと思ったり。】

 なお、伊藤圭介についても、植物ではなく動物を中心に紹介しており、いずれも名古屋大学附属図書館蔵の『錦窠虫譜』(9)、『錦窠魚譜』(10)、『錦窠獣譜』(11)が並んでいた……はずなのだが、既にどんな図だったのか記憶があやふやである。
 圭介所要の顕微鏡(12)は、徳川美術館のTwitterアカウントでも紹介されているとおり、今回の一押し展示品の一つ。

 土曜講座の方では、顕微鏡について、さらに詳しい説明があった。飯沼慾斎も同形の顕微鏡を所持しており、そちらも現存しているが、比較すると、圭介所用のものは交換レンズの記号などがアラビア数字で表示されているのに大して、慾斎所用のものはローマ数字で表示されているとのこと。同じカフ型顕微鏡といっても、同一ではない、ということが指摘されていた。

 その後は、正確な図を描くために絵師に入門して学んだという、京都の本草家の名門、山本読書室の山本章夫(1827〜1903)の図譜が並ぶ。『萬花帖』(14)、『果品』(15)(ブドウの美麗な図)、『禽品』(16)、『獣類写生』(17)と、いずれも西尾市岩瀬文庫蔵。
 
 「二、日本の本草学略史」は、『本草綱目』(18)、『大和本草』(19)など定番資料を蓬左文庫所蔵本で紹介した上で、西洋からの影響を、岩瀬文庫資料の西洋植物図譜からの写本や、宇田川榕菴『植学啓原』(23)、飯沼慾斎『草木図説』(24)で、紹介する、という流れ。

 「三、園芸の流行と植物図」では、名古屋園芸創業者による園芸関係資料の一大コレクションである雑花園文庫の資料を中心に、江戸期の園芸書を紹介。講座では、尾張本草学の第一世代の一人で御下屋敷内御薬園を管理していた、三村森軒(1691〜1762)による『朝顔名鑑抄』(29)において、文化年間の江戸でのブームにはるかに先駆けて、享保8年(1723)に変化朝顔についての記載がなされている点が、注目ポイントとして紹介されていた。

 「四、尾張の本草学」では、尾張本草学の中心人物たちの著作を中心に紹介。ここでは、すごい③の嘗百社関連資料が炸裂。すごい。
 例えば、尾張本草学において活発な議論が行われていたことを象徴する事例として、寛保3年(1743)から書物奉行を務めた松平君山(1697〜1783)による『本草正譌』(39)と、それに対する反論や補足をまとめた山岡恭安『本草正々譌』(40)を並べて展示。どちらも蓬左文庫蔵。講座では、さらに『本草正々譌』に反論した『本草正正譌刊誤』というのも出ていたことが紹介されていた。

 尾張本草学者グループの嘗百社を代表する水谷豊文(1779〜1833)の著作『物品識名』(41)は漢名と和名の対応をまとめたハンディサイズの資料で、「本草学者の必携書となった」と講座で紹介されていた。展示の蓬左文庫本は薄様紙に刷られており、展示では見えなかったが巻末に「尾州薬園」の印記のあるという特装本とのこと。

 伊藤圭介『泰西本草名疏』(46)も蓬左文庫蔵で、リンネ分類を示した二十四綱図が手彩色となっている献上本。

 『扇日光採薬目録・採集用心記』(49)は、伊藤圭介が三男の譲に贈った扇。かつて圭介が日光に採薬した際の採集品目を片面に書き出し(展示されていたのはこの面)、もう片面には採集時の注意事項を記したものとのこと。こちらは、名古屋市東山植物園蔵。

 雑花園文庫蔵『嘗百社交流申入状』(51)は、嘗百社が、様々な珍しい動植鉱物等の情報と現物についての交換を呼びかけたチラシ的なもの。水谷豊文の名前があり、嘗百社という名前が成立したと思われる文政年間から、豊文存命時のものと推定されていた。禽獣の場合には、剥製にして送ってほしい、としていて、その作り方なども簡略ながら説明されているのがまた興味深い。

 『乙未本草会物品目録』(52)は、嘗百社による天保6年(1835)の本草会の記録。展示されていたのは、蓬左文庫蔵で、浅井董太郎による献上本。全編手彩色という特製本(流布本に彩色はない)で、パネル展示もされていた。
【蛇足。浅井董太郎は、尾張藩奥医師を務めた名古屋浅井家の浅井紫山(1797〜1860)のことか。
日本掃苔録 浅井紫山 http://soutairoku.com/01_soutai/01-1_a/03-1_sa/asai_tonan_owari/asai_sizan.html の項を参照。】

 『吉田翁虫譜』(55)は、名古屋市博物館蔵。国立国会図書館所蔵本と比較すると、細密度で劣るとのことで、写本からの再転写ではないかと推測されていた。
【蛇足。吉田高憲(雀巣庵・1805〜1859)の著作で、展示されていたのは弟子の小塩五郎による写本。雀巣庵虫譜とも。国会図書館本は http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537382http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2607881 の少なくとも二種あり。磯野年表によると東京大学総合図書館本がもっとも伝存巻数が多いらしいが、OPACでは特定できなかった。田中芳男文庫か。】

 伊藤圭介が江戸・東京に転じた後も嘗百社で活躍した小塩五郎(1830〜1894)筆の『扶桑動物随観図説 魚之部』(56)も名古屋市博物館蔵で、愛知医学校の奈良坂源一郎旧蔵。東京帝大の田中茂穂によるという学名同定結果を記した付箋あり。
【蛇足。奈良坂源一郎(1854〜1934)は愛知医学校・医学専門学校(名古屋大学医学部の前身)で活躍した解剖学者。愛知県教育博物館に設立に関わるなど、博物館史の面でも要注目の人物の模様。
島岡眞「奈良坂源一郎関係史料目録(一) - 履歴関係資料のリスト及び解題 -」名古屋大学博物館報告. v.22, 2006, p.249-266 http://dx.doi.org/10.18999/bulnum.022.10
西川輝昭「愛知教育博物館関係史料の紹介と解説(その1)」名古屋大学博物館報告. v.21, 2005, p.173-182 http://dx.doi.org/10.18999/bulnum.021.12

 徳川美術館蔵『百鳥図』(59)は、幕府所蔵の『百花鳥図』を借用して作成した写本とのこと。
【『百花鳥図』は元文2年(1737)に中国からもたらされたといわれるものか。尾張徳川家で作られた写本となれば、舶来した写本の姿をよく残している可能性もありそう。】

 「五、尾張の殿様と本草学」では、尾張徳川家に関わる資料やエピソードを紹介。
 ここでは、天保4年(1833)の海獣(ゴマフアザラシかアゴヒゲアザラシだったと推定されるとのこと)騒動について、『天保四巳日記 海獺談話図会』(60・岩瀬文庫蔵)、銅鐫海獣図説』(61・名古屋市博物館。鐫はつくりの上にに山かんむりあり)、『萩山焼膃肭臍置物』(62・徳川美術館蔵)の3点の関連資料が並ぶのが目を引いた。当時の海獣ブームの盛上りぶりを示していて興味深い。なお、62はアザラシっぽい動物を象った陶器。

 徳川慶勝(1824〜1883)『小禽帳』(67)は、安政4年(1857)に慶勝が目撃した鳥の名前を日付とともに記録したもの。押花標本を冊子にまとめた『群芳帖』(65)なども。徳川林政史研究所蔵。
【蛇足。磯野年表では「今後の研究が待たれる博物大名である」と評されており(p.664)、今回、関連資料が展示されたことで再検討が進むと良いなあ、と思ったり。】

 『築地名苑真景・草木虫魚写生図巻』(70)は徳川美術館蔵で、植物、昆虫、魚類などが描かれているが、筆者等は不明。巻頭・巻末に、尾張藩の江戸蔵屋敷周辺の風景が描かれていることから、その周辺で観察されたものが描かれているとも。講座では、名古屋市の水族館(名古屋港水族館か)や植物園(名古屋市植物園か)のスタッフと共同で、描かれている魚類、植物等の同定を試みているものの、種の特定に必要な情報が描き込まれていないことも多く、難しいとの話が紹介されていた。
 『木挽町御屋敷絵図』(69)はその関連資料で、蓬左文庫蔵。蔵屋敷周辺の工事予定図面で、対照することで、70で描かれている風景が、確かに蔵屋敷であることが確認できる。

 というわけで、つくづく図録がないのがもったいない展示でした。紹介しなかった展示資料についても、違う方が見れば、また違った面白さがあるかと。
 あ、尾張本草学や嘗百社に関心を持った方は、講座でも紹介されていた、名古屋市博物館『没後100年記念 伊藤圭介と尾張本草学 名古屋で生まれた近代植物学の父』展(2001)の図録も参照していただくと良いかと。

2015/06/21

神里達博『文明探偵の冒険 : 今は時代の節目なのか』

神里達博『文明探偵の冒険 : 今は時代の節目なのか』講談社, 2015 (講談社現代新書)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883122
を読了。
 講談社『本』の連載(あとがきによると、2013年9月〜2014年12月とのこと)をまとめたもの。太陰太陽暦と太陽暦、占い、オリンピック、地震予知、STAP細胞などのトピックを、科学史や科学哲学の知見を盛り込みながら語るエッセイ、という感じ。
 副題にある「時代の節目」をキーワードとしつつも、実際に軸になっているのは、予想、予測、予知など、まだ生じていないことについての人々の思考のあり方だろう。今が「時代の節目」であるかどうかは、未来における評価を待たなければならないわけだが、それを今の時点で考えること自体が、結果として未来を考えることになる。
 実際に語られる題材は様々だ。「未来に対する人々の期待の様式」を、未来のあるポイントで何かが生起することを期待する「プロフェシー(予言)型」と、時代の節目を意図的に生起させることを期待する「プロジェクト型」にタイプ分けした上で、それぞれの特徴を論じた「卯の巻」や、川口浩探検隊を例に、科学における「面白さ」の必要性を語る「酉の巻」、起承転結と、Introduction-Body-Conclusionとの構造の違いから「物語」と「非物語」を峻別することを重視する西洋の知識人の姿勢を論じる「戌の巻」などなど。ずっと前にちらりと触れられた題材が、後の伏線になっていたりと、連載時ならもっと楽しめたであろう仕掛けも組み込まれていたりもする。
 歴史を振り返ることの重要性と有効性を(その限界も含めてだが)語っていたり、全体としてのトーンは一見前向きだが、そこここに著者の危機感が顔をのぞかせるところに味がある。
 特に、日本の現状に対する、
「より基底的な問題は、自らが情緒的・感情的なもの「ばかり」に突き動かされていることに、あまりに無自覚な人が多過ぎること、ではないだろうか。いずれそれは致命的に効いてくるのではないか、と不安になる。」(p.185)
という言葉が、何とはなしに心に残っている。

2014/06/21

中山茂『パラダイムと科学革命の歴史』講談社, 2013. (講談社学術文庫)

本書を読み始めた途端に、2014年5月10日に亡くなられた中山茂先生の訃報を知った。闘病されていることはブログなどで知ってはいたが、それでもここ数年、次々と新著を出されていたので、まだまだお元気なのかと思い込んでいたのだけれど。今更ではあるが、慎んでご冥福をお祈りいたします。

本書は、1974年に刊行された『歴史としての学問』の改題増補版。特徴は、中山先生ご自身のあとがきに尽くされている。少し長くなるが引用する。

「終日図書館にこもって、一字一句脚注で資料づけを固めてゆく作業をしていると、反動的にとかく学問の本質について大言壮語してみたい、大風呂敷を拡げてみたい、という欲求に駆られるものである。しかし、このような大言壮語は、厳密性をたっとぶアカデミックな学術雑誌の論文としてはなかなか書きにくい。こうしたモヤモヤに何とか形を与えたのがこの本である。いや、形を与えたというにしては、内容が粗雑で論旨も穴だらけ、資料づけの薄い軽率な発言が多い。しかし批判を気にして手を入れているうちに角がとれて、いいたいことがぼかされる結果になることを恐れて、あえてそのまま放り出した。私はここでは、批判を許さない権威ある書物を書こうとは毛頭考えなかった。むしろ批判に値するものであることを念じている。」
(「あとがき」p.334-335)

実際、かなり議論は粗っぽいかもしれないが、とにかく、本書で扱われている範囲が広い。中国圏、イスラム圏、欧米の学問のあり方を千年単位で検討しつつ、近代以降については、学会、大学など、学問領域を支える集団と職業としての学者の再生産機構を軸に、学術活動のあり方が時代や国によって大きく異なってきたことを、日本における西洋の学問導入過程も踏まえつつ議論している。その過程で、現在(1970年代当時の現在と、2010年代の現在の両方)の学術活動のあり方を相対化する視点をこれでもかと繰り出し、今の学問のあり方を問い直す様々な視点を、本書は提示してくれる。

おそらく、個々の歴史記述については、個別分野の専門家からいろいろ突っ込みがありうるんだろうな、という気はするのだが、それでも、大学のあり方が問い直され、研究所のあり方が批判され、学会の運営が困難に直面する今だからこそ、かつてあった様々な可能性をもう一度考え直すために、読み直されてよい一冊ではないかという気がする。

また、新たに書き加えられた補章は、ご自身のこれまでの仕事のレビューでもある。本書で提示した論点を、その後どのように自らの手で展開したのか、振り返るかのような記述が続く。時間のない方は、この補章だけでも、読んでみていただきたい。1928年生まれの著者が、これまでの研究成果を踏まえて、学問の現在と未来をいかに見通していたか、そして後に続く者にどんな宿題を残してくれたのかが、この補章に凝縮されている。特に、「パラダイム」概念の可能性と、限界に関する議論は、本書で「パラダイム」概念を分析装置として縦横に使って見せた、クーン以上のクーン主義者を自称する中山先生の真骨頂ではなかろうか。

また、補章では、デジタル化により、学術情報の生成と流通のあり方や、学問そのもののあり方が変わっていくことについて、簡単に論じられている。印刷技術や学術雑誌の登場が学問のあり方を変えたように、デジタル技術によってこれからの学問のあり方が変わっていくことを、当然のように中山先生は考えられていた。

「本来は「デジタルで学問はどう変わるか」て、これからの方向まで大きく論じたいと用意もしてきたが、思えば今起こっていることは、グーテンベルク以来の大革命であり、それがこの数十年で方向が決められるようなものではないことを悟るにいたって,ごく大まかな、方向を示すに留まった。」
(「学術文庫判のあとがき」p.364)

中山先生が、どのような準備をされていたのか、今となっては知る由もない。それは、後に続くものに宿題として遺された、ということなのだろう。

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