2022/08/15

『日本古書通信』2022年5月号・6月号

『日本古書通信』の積ん読がたまってきたので、とりあえず、2022年5月号(1114号)と6月号(1115号)の気になった記事についてメモ。

まずは『日本古書通信』2022年5月号から。

岩切信一郎「石版画家・茂木習古と三宅克己」(p.2-4)は、明治・大正期に活躍した石版画の画工「習古」の謎を辿りつつ、石版カラー表紙を実現した出版における明治20年代の技術革新などにも言及。洋画家・三宅克己の調査の過程で「習古」に三宅が師事したという回想を手がかりに現在までに判明した事実を紹介している。しかしまだまだ謎は深まるばかり、という様子。なお、三宅克己については、次を参照するのが良いかと。「三宅克己 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8905.html

川本隆史「書痴六遷の教訓-仙台からのたより」(p.10-11)は、『風の便り』第7号(1997年6月)からの再録とのこと。著者の引っ越し遍歴を、段階的に増殖していく蔵書の様子と併せて回顧しつつ、書物がつなぐ縁(新明正道氏からの手紙が紹介されている)について語るエッセイ。文系の学者の増え続ける蔵書のありさまが、引っ越しの玄人ともに身に迫ってくる。その後の引っ越しについての補記もあり。

川口敦子「キリシタン資料を訪ねて② ポルトガル国立図書館2」(p.16-17)は、2007年のポルトガル国立図書館での調査の様子を紹介。一部の目録ではポルトガル国立図書館にあるとされていた『ぎやどぺかどる』がやはりなかった、という話が、目録情報の確実性という意味で考えさせられる。イラストで紹介されている、図書館内のレストランのランチがおいしそう。また、当時ポルトガルの書店で購入したルイス・フロイス『日本史』のCD-ROM版がWindows10では起動できなくなっている、という話もあって切ない。

青木正美「古本屋控え帳431 『世界はどうなる』」(p.35)は、『世界はどうなる』精文館,1932の紹介(なお、インターネット公開されている国立国会図書館所蔵本は一部欠落がある模様。)。第二次世界大戦の展開を予想しつつ「日米戦争に対しては、我が国は攻勢に出づるに最も有利な立場」と対米戦を煽っていて、なるほど、こういう書物によって、対米戦争に対する気分が積み重ねられていったんだろうな、という感じ。

八木正自「Bibliotheca Japonica CCXCIII 達摩屋五一遺稿集『瓦の響 しのふくさ』」(p.39)では、書物の価値が嵩で計られていた時代に、書物の価値を評価した古書肆の鼻祖、岩本五一(1817-1868)の生涯と、その遺稿集を紹介。五一の堂号、珍書屋待賈堂が、反町茂雄の古書販売目録、「待賈古書目」(JapanKnowledgeで提供されている電子版の解説参照。)の由来となったとのこと。

なお「受贈書目」(p.40-41)で、浅岡邦夫「禁書リストを筆写した図書館員」(『中京大学図書館紀要』42号抜き刷り)について紹介されている。同論文は中京大学の機関リポジトリで公開されており、東京帝国大学附属図書館に勤めていた佐藤邦一が書き写した禁書リストを軸にその生涯を辿るもの。

続いて、『日本古書通信』2022年6月号についてのメモ。

真田真治「小村雪岱の装幀原画① 内田誠『水中亭雑記』」(p.2-4)は、著者が入手した、小村雪岱の「装幀原画他装幀資料」と、その入手の経緯を語る連載の一回目。レア資料を巡る古書店主とコレクターの複雑な関係も読みどころかと。

樽見博「百年後の大樹」(p.6)は、長塚節(コトバンクの解説)が茨城県下妻市の古刹、光明寺で撮影したという写真の背景に写った大樹について、現地での状況を踏まえて考察した囲みコラム。確かに、現代の写真と比較すると、通説が正しいのかどうか、ちょっと疑問になってくる。

竹原千春「古本的往復書簡2 細川洋希さまへ 志賀直哉の初版本」(p.8-9)では、著者の入手した志賀直哉献呈本を題材に、細川護立(永青文庫の創設者)と志賀直哉の交流について紹介されている。小学校から大学までずっと一緒だったとはびっくり。

森登「銅・石版画万華鏡177 松本龍山『袖玉京都細絵図』」(p.15)は、著者の入手した、慶応4年の銅版京都図を紹介。袋付きで入手したとのことで、その図版も掲載されている。貴重かと。

「札幌・一古書店主の歩み 弘南堂店主高木庄治氏聞き書き(11)独立開店(札幌医大前)」(p.32-34)は、毎回貴重な証言の連続だが、今回は、末尾の詐欺事件の顛末が苦い。一方、『蝦夷地及唐太真景図巻』落札と、昭和37年ごろに、名取武光氏の研究費で北海道大学に入れることになった顛末の話が興味深い(その後一旦行方不明になったとのこと。なお現在は北海道大学北方資料データベースで所在を確認できる。)。こういう購入の仕方が許される時代だったんだなあ。

川口敦子「キリシタン資料を訪ねて③ アジュダ図書館(リスボン)」(p.36-37)は、ボルトガルの首都、リスボンの宮殿内にある図書館、アジュダ図書館の紹介とそこでの調査について。宮殿という古い建物だからこそのトイレのドアの罠?のエピソードがなんとも言えない。また、最初の訪問時(2007年)にはウェブサイトもなかった、というのがちょっと驚き。

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2022/04/24

『日本古書通信』2022年4月号

『日本古書通信』2022年4月号(87巻4号)をぱらぱらと読んだ。どうも集中力が続かないので、簡単に。

田坂憲二「吉井勇の自筆歌集(上)吉井勇と臼井書房」(p.2-4)には驚いた。影印本ではなく、作者自選による歌集を作者の自筆で複数部作成し、頒布する、ということが昭和21年ごろに行われていた、とはまったく知らなかった。広告によれば200部刊行予定だったそうで、それを丹念に書いた吉井勇、すごい。なお、収録歌の選定過程を示す資料が、京都府立京都学・歴彩館の吉井勇資料中に残されている、というのも興味深い。

飯澤文夫「続PR誌探索(37)」(p.4-5)は三省堂の書店部門、出版部門それぞれの戦前のPR誌を紹介。戦時下の出版統制で消えた『書斎』など。

新連載、川口敦子「キリシタン資料を訪ねて(1)ポルトガル国立図書館」(p.16-17)は、形こそ新連載だが、実際には、著者の「パスポートと入館証、準備よし!」の続編かと。引き続き、各国それぞれの貴重書の扱いが分かって面白い。毎度のことながら、マイクロ資料や、昨今のデジタル化されたものを見るだけではなく、現地でカード目録を確認し、原物を請求することによる発見がある、というのが興味深いが、図書館屋的には頭が痛い。

三坂剛「福永武彦自筆識語・署名本収集について3」(p.30-31)は、紙の原物ならではのコレクションの魅力を示す切り口では。また、各版と福永武彦電子全集におけるテキストとの関係についても言及があるのがポイントかと。

森登「銅・石版画万華鏡 175 福島中佐単騎横断」(p.35)では江戸から明治の日露関係を概観しつつ、明治25年から26年にかけて、ドイツからシベリアまで、馬で横断して実地調査を行い、帰国した福島安正を描いた版画を紹介。

これも新連載の小林信行「平田禿木をめぐる人々 尾崎紅葉1」(p.38-39)は、淡々と尾崎紅葉の生い立ちから、作家に専念、活躍を広げていく過程をたどりつつ、そこに並走していく平田禿木に言及していく、というスタイルで、近代文学音痴の自分としては、ああ、そういうことだったのか、という感じの話も多くて勉強になった。こういうのを何の気なしに読んでしまって、何となく勉強になってしまうのが、雑誌の良いところでもあるが、自分の知識が貧弱なだけという話もあるか。

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2022/04/10

『美しい暮しのための少女年鑑 1957年』(「少女ブック」新年号(第7巻第1号)ふろく)集英社,1957.

先日某所の古本まつりで『美しい暮しのための少女年鑑 1957年』(「少女ブック」新年号(第7巻第1号)ふろく)集英社,1957.を入手。状態はそれほど良くはないのだけど、監修の一人が「国会図書館長 金森徳次郎」とあったので、つい手が伸びてしまった。なお、もう一人の監修は日本女子大教授の上田柳子。家政学の第一人者で服飾関係の著作が多数ある。

内容は、ファッションを前面に出しつつも、芸術・文化に関する基礎強要や、手紙の書き方、職業案内なども含んでいて、要するに女子用往来物の戦後版か……という感じ。

大きさは縦16.5cm×横9.0cm。216ページ。赤を基調にした表紙には、表面加工を施されていて、手帖風を狙った作りなのだろうか。

金森は巻頭の「りっぱな少女となるために」と題する序文も担当している。そこでは、時代が少女に求めるものを、

「肉体も精神も健全であることはいうまでもなく、学問も必要です。職業能力も必要です。趣味も美容も、文学音楽芸術もわからなくてはならない。どんな身の上の変化にぶつかっても、これをのりきっていくだけの人生能力が必要です。」

と語りつつ、この『少女年鑑』について「これらの性能を身にそなえるように企画した」とその企画意図を記している。

趣味に関する部分では、「読書」についても取り上げられていて、「図書館自動車」や「図書閲覧室」の図版も掲載。ただ、中を読むと図書館ではなく、本を大切に扱う方法や、本の選び方が中心。「出版社から出版目録をとりよせてから買うのはもっとも良い方法です」とあったり。「破損したページはセロテープで修理しましょう」とあるのは、これはいかん、とか思ったり。その一方で、「へんなつみかたをして本をいためぬよう、本棚を整理しましょう」と書かれていて、すみません、すみません、いう気持ちに……。

また、進学案内が「めぐまれた環境にある人のために」と「私はめぐまれないと思っている人のために」に分けて書かれているのが生々しい。後者では「皆さんの年ごろでは、進学か就職かがきまるときなどに、急に人生のはかなさが身にしみて、泣きわめいて両親をこまらせ」たりするかもしれないが、勉強をやめてはいけない、と呼びかけ、定時制高校や職業学校について記載している。前半の華やかなファッションや、クラシックやジャズ、絵画やバレエといった芸術、読書やカメラといった趣味などについての知識と、現実とのギャップを、書き手の側も認識しつつ、将来への希望をつなぎとめようとしている姿勢がうかがえる。

当時の金森徳次郎が若年女性の教育について、積極的に関わっていたのかどうか知識がないのだが、少なくとも、こうした場に上田柳子と名を並べて、文化芸術に関する権威づけになりうる人物として扱われていたことはうかがえる。と、同時に、この時代に求められていた教養と、そしてこのふろくがターゲットにしていた読者層が直面していた現実も。それにしても、よくこれだけの情報をコンパクトにまとめたものだ。ところどころに執筆者名が入っている記事もあり、どういうチームで書かれたものなのかも気になるところ。

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2022/03/27

『日本古書通信』2022年2月号(87(2))、2022年3月号(87(3))

つらいニュースばかり流れてくるし、頼まれていた原稿は進まないしで、なかなかブログを書く気になれなかったのだけど、とりあえず原稿の方は何とかなりそうな目処が立ったので、ブログ更新を再開してみる。

2022年1月号からカラーページが登場した『日本古書通信』だが、2月号以降も引き続きカラーページあり。またため込んでしまったので、2号分の感想をまとめて。

まずは2月号から。川島幸希「無削除版」(p.2-3)は、著者の所蔵資料、実見経験を元に、削除することで発禁を免れたり、それでもさらに発禁になったりした文学作品の無削除版と削除版の差異を簡潔に解説したもの。伝存は極めてまれだが無削除版が存在するという小林多喜二『蟹工船』について、日本近代文学館復刻本がその存在を知らずに削除版を原本としいたことについての指摘もあり。

福田博「和書蒐集夢現幻譚 119 『深川新地の月』珍品掘出し物語」(p.8-9)は、蒐集の過程でとある錦絵に三度出会い、その全貌を把握するまでが綴られている(とはいえ詳細はまだ分からないとも)。これぞ古書蒐集の醍醐味、とも言えるエピソードかと。この図版は、カラーページが生きる。

石川透「奈良絵本・絵巻の研究と収集 29 伊勢物語」(p.20-21)は、「江戸時代前期に制作された奈良絵本・絵巻として最も多く制作されたのは『伊勢物語』かもしれない」と指摘し、また、嵯峨本が作らた以後はほとんどの奈良絵本・絵巻の影響を受けていると分析した上で、「挿絵の数が合計四十九枚の時には、間違いなく嵯峨本を元に」しているとの知見も披露されている。これは覚えておきたいところ。

牧村健一郎「社会的弱者へのまなざし―渋沢栄一、山尾庸三、伊藤博文の生き方」(p.22-24)では、大正10年の塙保己一百年祭・忠宝(ただとみ)六十年祭の際、渋沢栄一が、挨拶で、塙保己一の嗣子・忠宝を暗殺したのは山尾庸三と伊藤博文であったことに言及したエピソードから、罪のない忠宝を殺してしまったことを忘れず、後に訓盲院の設立に尽力するなど障害者教育に力を入れた山尾と、東京養育院を支えた渋沢の活動を紹介。その一方で、障害者教育とも福祉とも無縁であった伊藤を対比的に描いている。「伊藤は今もって、殺人の経歴を持つ唯一の総理大臣である」という一文が著者の伊藤評価を示している感じ。

鈴木紗江子「北米における日本の古書研究3 ビデオプロジェクトの話(3)」(p.25)は、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の講義動画「物語文学と写本」の制作プロジェクトにおける、特にデジタル画像の活用について紹介。画像自体の探索、許可手続など、その苦労がうかがえる。なお、前回は2021年11月号に掲載。

蓜島亙「『露西亜評論』の時代(54) 一九一七年革命前夜のロシヤ観」(p.30-31)は、本題よりも、2015年に事業停止した東洋書店と、その出版事業を継承したサイゾー、そして東洋書店新社との関係についての話が面白い。実際、東洋書店新社のサイトを見てみると、東洋書店新社は「屋号」であって、その住所には「株式会社サイゾー 東洋書店事業部」とある。これは「出版者」名とは何か、という意味で、図書館泣かせの事例でもあるかと。

小田光雄「古本屋散策(239) みずず書房と『資料 下山事件』」(p.37)では、1949年の下山事件に関する著作を紹介しつつ、下山事件研究会に参加した研究者、文学者に言及。同研究会が後世に検証を託す形で編んだ『資料 下山事件』の意義について語られている。

続いて2022年3月号へ。

森登「銅・石版画万華鏡 174 『銅版細絵図』」(p.7)は、著者が新たに入手した江戸期の小型の銅版絵図を紹介しつつ、同版から刷られた別の絵図との比較を行なっている。こうした関連する異版の比較が様々な知見をもたらしてくれる、という良い実例かと。

川島幸希「復刻版の展示について」(p.8-10)は、某文学館での装丁をテーマにした展示で、肝心な資料について復刻版が使われていたことを批判する内容。記事では文学館名、展示会名も名指しなので、気になる方はご確認を。原資料の魅力を知り尽くした著者だからこその重みがある。

北原尚彦「リレー連載ミステリ懐旧三面鏡その六 《十六歳の掘り出し物》」(p.14-15)は、コナン・ドイル自伝を巡る話。現在は電子書籍版も出てるものの、初版との違いについても言及されている。割とこういう基本的な資料が入手困難になりがち、ということも含めて、興味深し。

出久根達郎「本卦還りの本と卦 179 菊池寛」(p.15)は、菊池寛作品を元にした新作落語の話から、菊池寛の図書館通いの話を絡めつつ、最後に、昭和12、13年ごろに、自宅の通用門外で蔵書を並べてその場で安価に売りつつ、買いに来た大学教授や学生たちとの会話を楽しんでいた、というエピソードが紹介されている。よい話だなあ。

蓜島亙「『露西亜評論』の時代(55) 一九一七年革命前夜のロシヤ観」(p.28-29)は、近年のロシア研究やロシアとの交流についての、著者からの批判と直言、といった趣。近年のロシア研究の質の低下や、ロシアにおける日本宣伝のあり方についての批判もあり。

編集後記である*「談話室」*(p.47)では、かつての夢の技術が実現した現在を喜びつつ、ウクライナ侵攻を受けて「戦争」が現実に身近に現れた現状への「震撼」が語られている。もちろん、実際には紛争やそれによる死は常に世界各地で存在していて、それが目に入っていなかっただけなのだろうとも思うけれど、実感としてはよく分かる。

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2022/01/15

『日本古書通信』2021年12月号(86巻12号)・2022年1月号(87巻1号)

ためこんでしまっていた、『日本古書通信』2021年12月号(86巻12号)と、2022年1月号(87巻1号)の感想をまとめて。

まずは、2021年12月号から。

特に巻頭の、塩村耕「虫だらけの伊東玄朴書簡—コレラと闘う蘭医」(p.2-3)が重要かと。著者が入手した伊東玄朴から大槻俊斎宛の書簡を解読しつつ、その背景を含めて解き明かしていくもので、断片的に現れる情報と知られている史実を組み合わせつつ、時期や状況を推定していく。末尾では、デジタル化の重要性と効果について言及されていて、書簡資料のネット公開を推奨している。また、早稲田大学図書館や東京都立中央図書館の取り組みを評価しつつ「今や、先人のかつて経験することができなかった夢のような研究基盤」が実現しつつあり、「人文学の質を書き換えるほどの事態をもたらす可能性がある」と指摘し、「書簡文化研究の機運」の再来への期待も述べられている。原資料の面白さと、それを読み解くためのツールとしてのデジタル化資料の重要性の両面が語られていて、重要な記事かと。

田坂憲二「『短歌風土記山城の巻(一)』漫歩—城南吉井勇紀行」(p.4-6)は、歌人・劇作家の吉井勇が、戦後まもなく、京都府八幡市に住んでいた時代の短歌集『短歌風土記山城の巻(一)』をひも解きつつ、関連の文献も紹介しつつ、京阪電車八幡市周辺のゆかりの地をめぐる一本。当時の文化人たちとの交流も興味深いが、現地の和菓子が何ともおいしそう。

加藤詔士「明治16年度『工部大学校学課並諸規則』」(p.14-15)は、後に帝国大学工学部となる工部大学校の教職員、学課目の編成、諸規則をまとめ、ほぼ毎年刊行されたと見られる『工部大学校学課並諸規則』の英語版を含む現存諸本の概要を整理しつつ、著者が入手した明治16年度版について、他の諸本との異同などの分析が行われている。基本資料の紹介として重要だと思われるが、伝存がこれほど少ないとはちょっと驚き。

福田博「和書蒐集夢幻譚 117 左右にブレる出版人成史書院關根喜太郎」(p.20-21)は、宮澤賢治『春と修羅』を発行し、販路を提供した關根書店の代表、關根喜太郎が、後に立ち上げた出版社、成史書院で昭和14年に刊行した『紙 資源愛読本』を取り上げたもの。実は關根自身が執筆・刊行した奇妙な本で、特に一部が引用されている、紙を種類別に解説した文言中の詩のような部分が何ともいえない味わい。

小田光雄「古本屋散策(237) 山辺健太郎と『現代史資料』」(p.22)は、前号(感想)に続き、『現代史資料』について。今回は『社会主義運動』7冊、『台湾』2冊の編集解説者であった山辺健太郎について、「独学者ならではの図書館と文書館(アーカイブ)の徹底的利用」によるその仕事が紹介されている。特に、国立国会図書館の憲政資料室には開設直後の1950年当初から1968年にかけて、毎日のように通っていたことが紹介されている。「憲政資料室の牢名主」と自称していたとは。図書館・アーカイブズによる蓄積と、そこに蓄積された資料を活用した出版の一事例でもあり。

川口敦子「パスポートと入館証、準備よし!(36)」(p.24-25)は、2016年のマドリードのスペイン国立図書館とも近い公園で開催された、マドリード秋の古書市(Feria de Otoño del Libro Viejo y Antiguo de Madrid)の様子を紹介。こういう記事が読めるのも、古通ならでは。

森登「『浦上玉堂関係叢書』刊行について」(p.28-29)は、浦上家史編纂委員会が刊行した『浦上玉堂関係叢書』全3巻4冊編纂の裏話的一本。特に第3巻に当たる『浦上玉堂父子の藝術』における、琴譜からの全曲録音(CD付き)の話や、様々な呼称を網羅したという人名索引作成の苦労話が興味深い。

巻末の編集後記的コラム「談話室」(p.47)では、天理図書館開館91執念記念「書物の歴史」展や、深井人詩氏追悼文集に言及されている。

続いて2022年1月号について。なんと、一部ページの図版がカラーになり、紙質も変わった。

早速、川島幸希「外装の下 泉鏡花の極美本」(p.2-3)では、著者所蔵の美本の図版を掲載。「現物の色とはかなり違う」とのことだが、保存状態の良さはうかがうことができる。

森登「銅・石版画万華鏡 172 正月の引き札」(p.7)もカラー図版。これは確かにカラーがありがたい。当時皇太子妃だった九条節子(後の大正天皇皇后)が描かれた引札を取り上げている。多色石版と空押しの組み合わせとかあるんだ、という感じ。また、岩切信一郎氏が監修されたという『引札 資料集』(海の見える杜美術館,2021)の紹介もあって、「引札の資料集としては出色の図録」とのこと。

竹居明男「「七福神」と「宝船」に関する文献抄—架蔵の稀覯資料から—」(p.10-11)は、七福神、宝船についての図録や解説書の紹介。これでもおそらくコレクションの一部なのだと思われるが、こんなにあるのか、という感じ。特に宝船コレクターによる図録が複数あり、「明らかに大正と昭和一桁代にピークがあった」宝船ブームがあり、「その中心は京都・大阪・名古屋にあったように思われる」という分析が興味深い。

松竹京子「文筆家としての小早川秋聲」(p.14-15)は、小早川秋聲が美術雑誌に寄稿した大量の文章について、その一端を紹介したもの。「日本画家小早川秋聲の御長女山内和子先生から父秋聲について」話を聞く機会があったことが、秋聲の文章を追い始めた契機とのこと。

茅原健「珈琲店—獏さんの思い出」(p.15)は、沖縄出身の詩人、山之口獏氏の思い出を綴った囲みコラムだが、1950年代の池袋北口の喫茶店についての話でもあり。

小田光雄「古本屋散策(238) 姜徳相と『現代史資料』」(p.22)は引き続き、みすず書房の『現代史資料』について。今回は、1963年の『関東大震災と朝鮮人』と、その月報掲載の山辺健太郎「震災と日本の労働運動—朝鮮人問題と関連して」が取り上げられている。また、同巻の編者である姜徳相の『関東大震災』中央公論社,1975.(中公新書)も参照しつつ、朝鮮人虐殺事件の背景が論じられている。1960年代、70年代の蓄積がいかに現在忘れ去られているか、ということを痛感させられる話でもあり。それにしても、三一書房・三一新書の三一って、三・一運動が由来だったのか……知らなかった(これはちょっと恥ずかしいかも……)。

巻末の「談話室」では、古書業界の店舗から目録販売、そしてネットへという流れから、再び店舗志向の若手古本屋の動向に触れつつ「更にネット外の世界に活路を見いだそうとしているのが現在かもしれない」という示唆があり。また「蔵書を持つことがステイタスでなくなってしまった社会の中の古本屋」がどうなっていくのか、その問いかけも重い。

(2022-01-16 誤字を一ヶ所修正しました。「室」→「質」)

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2021/11/20

『日本古書通信』2021年11月号(86巻11号)

『日本古書通信』2021年11月号(86巻11号)を少し前に読了したので忘れないうちに感想をメモ。

とにかく、川島幸希「日本近代文学館への提言」(p.8-9)が重い。「所蔵資料のデジタル化の遅れ・利用者への高額な各種サービス提供・情報発進力の弱さ」等の課題や、その前提となっている収益構造の問題点を指摘しつつ、改善策を提言している。その一方で「スタッフの一人ひとりが文学へのリスペクトと、近文にアクセスする人への愛情を持つこと」の重要性を強調するなど、単なる運営論に終わらない観点も提示。他の文学館と比較しての議論などもあり、文学館に関心を持つ方は必読ではないか。

また、タイトルからは分かりにくいが、佐々木靖章「キヌタ文庫創設者 永島不二男はモダンボーイだった」(p.10-11)は、東京銀座の文化史の話でもあり。個人的には「ルパシカを身にまとい、両手・両足・腰に鈴をつけて、毎日提示に銀座を往来」という、ストリートパフォーマンスを関東大震災前に行っていた、という話に驚いた。また、銀座のカフェ「クロネコ」による雑誌『クロネコ』『船のクロネコ』の紹介もあり。

鈴木紗江子「北米における日本の古書研究2」(p.16-17)は、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の講義動画「物語文学と写本」の制作プロジェクトで苦心した点を紹介。日本の古典文学研究における概念を英語で紹介するために様々な工夫がなされたことが分かる。最も難しかったという「池田亀鑑が大島本を最前本とした」という一節をどう提示するかのくだりなど、目的に合わせた翻訳のあり方として重要かと。また、「作ることが目的のデジタル化事業から、デジタル化したものを最大限に活用することを目標とする時代になった」という一節は、デジタル化をめぐる状況の変化を端的に著していて、印象的。ちなみに、当該の動画は"Exploring Premodern Japan Series Vol. 4 – Tale Literature (monogatari bungaku) and Manuscripts: The Case of The Tale of Genji"(リンク先は早稲田大のサイトでの紹介)ではないか。

日本研究といえば、川口敦子「パスポートと入館証、準備よし!(35)」(p.32-33)も興味深い。スペイン国立図書館での2回目の調査でのエピソード。データベースにないものはない、と主張する書誌情報室の担当者と、古い冊子目録に遡って確認して当該資料を発見するベテラン司書、という、類似したエピソードに覚えのある図書館関係者も多いのでは、というお話。遡及入力を過信してはいかんのですよね……

小田光雄「古本屋散策(236) 『現代史資料』別巻『索引』」(p.35)は、『現代史資料』の別巻「索引」について。その重要性と、それが国会図書館に通い詰め、記憶力と紙のカードによって編纂された、高橋正衛という編集者「個人の作品」であることが語られている。コンピュータ時代以前のこうした成果をどう継承するのか、という問題でもあるかと。

その他、「書物の周囲 特殊文献の紹介」(p.40-41)では、香川県立ミュージアムの「自然に挑む 江戸の超(スーパー)グラフィック—高松松平家博物図譜」展の図録が紹介されていて、見たかったなあ……としみじみ。あと、青裳堂書店の日本書誌学大系の広告(p.41)で、大小暦の図録である岩崎均史編『大小図輯』と、永井一彰『版木の諸相』の刊行を知る。すごい価格になっているが、何部刷ってるんだろう…

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2021/10/16

成高雅「多紀元簡『槴中鏡』について」日本医史学雑誌67(3)[2021]

ここのところ、『日本医史学雑誌』をまともに読んでいなかったのだけど、

成高雅「多紀元簡『槴中鏡』について」日本医史学雑誌 67(3)[2021] pp.251-265

がやたらと面白い論文だったので紹介。といっても、内容を完全に理解できるほどの知識はないので、実際の論文はさらに深い、と思っていただければ。

この論文で主題となっている多紀元簡(1755-1810)は、江戸時代の漢方医。元簡の時代には、多紀家の家塾は官立の医学館となっている、というと多少はその立ち位置が伝わるだろうか。清朝考証学の影響を受けた、医学考証学派を代表する人物でもあり。その元簡の最初の著作とも言われる『槴中鏡』は、漢籍における書物収集や書誌学に関する記述を抜き書き編纂したもので、写本でのみ伝わっている。日本古典籍総合目録DBでも複数の伝本が確認できる。

これらの伝本を詳細に確認(ちなみに国立国会図書館所蔵本も当然分析の対象に)、系統関係を整理するとともに、自筆本である無窮会図書館所蔵本との比較などを詳細に行っている。(ただし、無窮会図書館は閲覧停止中のため、複製を用いたとのこと)

写本の伝播経路の分析では、大田南畝、狩谷棭斎、伊沢蘭軒、森約之、徳富蘇峰といった名前が並び、明治期に至るまで『槴中鏡』が関心を持たれていた様子がうかがえる。また、誤写等の分析から、系統関係も明らかにされており、写本の伝播の過程から見える、蔵書家たちの人的ネットワークも興味深い。自筆本である無窮会本は、流布している写本よりも大きく増補されていることも明確になっており、無窮会本の価値の高さも確認されたといえるのでは。

さらに『槴中鏡』で引用された元ネタ漢籍の分析からは、明清の考証学の影響があらためて確認されており、宋版など漢籍版本についての記載や装丁など、元簡に書誌学的な関心があったことも示されている。

というわけで、多紀元簡の学識と、漢籍を元にした書誌学に関する類書ともいえる『槴中鏡』の意義がよく分かる論文。江戸期の書誌学的関心のあり方や、人的ネットワーク、という観点から読んでみるのも面白いと思う。それにしても、こういう論文が紙でしか読めない、というのが、何とももどかしい。

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2021/10/09

慶應義塾大学図書館貴重書展示会「蒐められた古-江戸の日本学-」(2021年10月6日-10月12日)

丸善・丸の内本店4階ギャラリーで開催されている、第33回慶應義塾大学図書館貴重書展示会「蒐められた古-江戸の日本学-」(2021年10月6日-10月12日)を見てきた。展示会タイトルには「あつめられたいにしえ」と読むようフリガナがついている。

内容は、ウェブサイトで紹介されているとおり「近世期の国学者橋本経亮(つねすけ)の旧蔵資料「香果遺珍」を中心に、江戸時代の日本に華開いた好古と蒐集の文化に関する資料」を展示するもの。橋本経亮(1759-1805)は、刊行・流布した著作も少なく、国学者としてはあまり知られていないそうだが(ちなみに自分はまったく知らず)、実は結構なキーパーソンだった模様。その残したコレクション「香果遺珍」(こうかいちん)約1200点は、大島雅太郎(まさたろう・1868-1948)の寄贈により慶應義塾大学の所蔵となっている(そこに至るまでの過程もまた今回の展示の柱の一つだったり)。長らく未整理だったそうだが、今年3月に目録が刊行(一戸渉監修・執筆; 慶應義塾大学三田メディアセンター編『橋本経亮旧蔵香果遺珍目録』慶應義塾大学三田メディアセンター, 2021.)されたことを期に、今回の展示でのその一端を紹介、という趣向のようだ。

橋本経亮については、自分自身、まったく予備知識はなかったが、展示解説や図録には、藤貞幹、上田秋成、小宮山楓軒、狩谷棭斎といった人物が次々と登場し、その人的ネットワークの広がりは、自分程度の知識でも若干分かった気がした。また、経亮は、日本初の漢籍目録として知られる『日本国見在書目』の室生寺本(現在、宮内庁書陵部蔵)の最初の報告者でもあるそうで、今回、経亮の雑記である『香果抜粋』によって、その調査日が明らかにされたりしている(図録p.45-46)。

その他漢籍関係では、佚存書である『文館詞林』(唐の皇帝高宗の勅撰漢詩文集)の、経亮が蒐集した当時各所に伝存していた断片の写本が、今回の目玉の一つとして展示で大きく取り上げられていた。これまでに知られていなかった佚文を含むということで、既知の佚文との関係の考証など、若干踏み込んだ検討も解説(図録にも収録)にあったり。

経亮は、東寺や関連寺院での調査も精力的に行っていたようで、東寺百合文書と関連する(現在は百合文書中にない)文書の写本も。また、百合文書が収納されていた文書袋の模造品があって、なるほどこうやって物の形でも記録に留めたのか、というのが興味深い。同様に、『石山寺縁起』の琴柱(ことじ)を納める包みの折り方を再現したり、文字や絵だげではなく、物理で攻めているのが新鮮だった。なお、『石山寺縁起』のリンク先は展示パネルにもなっていた国立国会図書館所蔵の模本。

石山寺縁起模本(国立国会図書館蔵)(5)19コマ

画像右上に立て掛けられている楽器の琴を拡大してよく見ると、何か四角いものが絃の途中に挟まっていて、それを紙を折って再現したものが展示されていた。

石山寺縁起模本(国立国会図書館蔵)拡大画像

細部すぎる…。余談だが、画像については、国立国会図書館デジタルコレクションのIIFマニフェストを使って、人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)のIIIF Curation Viewerでリンクを作成して、サイズだけ調整した。

その他、経亮と交流のあった人物関連の、慶應義塾大学図書館や斯道文庫所蔵の資料も結構展示されていて、それも見どころだったりする。蔵書印もいろいろ堪能できるし。

とにかく、橋本経亮という人は、いろいろ調査して記録して集めて検討して考証して、資料を残してはいるのだけれど、晩年が不遇(隠居して研究に専念しようと無理やり息子に家督を譲ったら、その息子が早世したりとか)だったこともあって、その成果としてまとめるまでに至らなかったネタが大量に詰め込まれている感じ。自分でまとめる、というよりは、他の人の手伝い的な調査もあるようで、相互に情報をやりとりしていた様子も、残された断片的な記述から読み解かれ、紹介されていた。そんな感じで、当時の調査研究プロセスがそのまま残されている、という意味で貴重なのだと思うのだけれど、当人のことを思うと若干いたたまれない気持ちになってしまった。一方で、それは当時の、「好古」や復古といったものが持っていた魅力の強度を示すものなのかもしれないとも。

図録は通販でも買えるようなので(三田メディアセンターの「目録・図録など」のページに、購入申し込み方法の案内あり)、遠方の方は図録だけでもぜひ。そういえば、印譜は図録にしかないような気もするけど、見落としたかな。また、ギャラリートークの動画も後日公開予定とのこと。

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2021/09/25

吉村生・髙山英男『水路上観察入門』KADOKAWA, 2021

吉村生・髙山英男『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』KADOKAWA,2021.を読了。

板橋区立高島平図書館で開催されている「高島平×水路上観察入門展」(2021/9/12(日)~10/3(日))が面白かったので購入して一気読み。暗渠化された河川の上の空間を歩き、観察する楽しみを、著者お二人の異なる視点、アプローチで紹介している。

暗渠の上がどう変貌したかを楽しむか、暗渠化されてもなお残る河川の痕跡を楽しむか、楽しみ方はそれぞれ微妙に異なるが、都市・住宅地の開発の中で隠され、忘れられ、捨てさられたものが、さまざまな形で吹き出してくる、その様相がなんとも味わい深い。

それにしても、今はウォーターフロントなどと持てはやされたりもするが、高度成長期における都市部の河川は、工場・生活排水が流れ込み、汚濁にまみれ、悪臭を吹き出す悪所であり、住人から暗渠化が望まれるものだった、ということを自分は完全に忘れ去っていた。いかに人は忘れるのか、ということを改めて突きつけられた感じもする。

まあ、そんな堅苦しいことを考えなくても、暗渠とその周辺には、それぞれの地域の普段は忘れられた歴史と、普段は意識化されない生活のありようやその変化が詰まっている。それを写真や解説を通じて、ゆるやかに楽しむ視点を提示してくれる一冊。なお、写真が大量に詰め込まれていてそれがまた楽しいのだけれど、紙では一つ一つの写真が小さいので、老眼には、拡大できる電子版の方がよいのかも。

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2021/09/21

『図書館雑誌』2021年9月号 特集「地域資料のいまとこれから」

『図書館雑誌』2021年9月号(vol.115 no.9)が届いた。特集は「地域資料のいまとこれから」。

とにかく、福島幸宏「地域資料の可能性」(p.568-571)は必見。著者のこれまでの図書館再定義論に関する文献と、関連する他の論者による主要文献に言及した、自身によるレビュー論文とでもいうべき論考で、ここを起点に、注記にある各文献にアクセスすることができる。今後、議論を深めるための起点を提供する一本。地域における社会運動や、ボーンデジタル情報への目配りも。それにしても、この論考が図書館雑誌の特集冒頭を飾る時が来た、ということ自体が事件かもしれない。

特集では、取り組み事例として、青森県立図書館デジタルアーカイブとっとりデジタルコレクションといったデジタルアーカイブや、丹波篠山市の地域資料整理サポーターの活動、埼玉県立小川高等学校を中心とした「おがわ学」における町立図書館の貢献、福岡アジア都市研究所のコレクションの紹介が、当事者である各論者により執筆されている。デジタルアーカイブ以外の事例においても、デジタル化やオンラインへの対応に関する記載がある点も注目だろう。敢えていえば、後は大学と地域との関係についての論考があれば…、というところだろうか。

特集最後の是住久美子「図書館はオープンガバメントに貢献できるか」(p.583-585)は、2018年3月に慶応義塾大学において開催された公開ワークショップ「図書館はオープンガバメントに貢献できるか?」での議論を起点に、地域資料や行政資料のオープンデータ化に図書館が果たすべき役割と、その効果について論じている。特に公共図書館に「市民の参画や行政と市民との協働」という視点を導入しようする点が重要、という気がする。

特集をざっと通読して、地域や地域資料が、なぜ重要なのか、という点についての検討が物足りない感じがして、そこが少し気になった。図書館が大手カフェチェーンと組み合わさることで、その地域とはある種独立した、都会的な空間の提供場所として評価されることが少なくない状況において、なぜ地域が重要なのか、ということについては、改めて問い直しておく必要があるような気がする。また、地域は、さまざまな社会・経済関係の基盤であると同時に、さまざまな社会的・人間関係的制約により個人を縛るものでもある。地域の公共図書館が、結果的に地域に住む人たちを地域のさまざまな制約の中に縛りつけるための仕組みとして機能する可能性について、もう少し敏感になった方がよいのかもしれない。先に触れた是住氏の論考では、地域を開いていくための地域資料の可能性も論じられているのだけれど、それに加えて、地域を変えていくための地域資料の可能性も、考えていく必要があるのかも。難しいとも思いつつ。

何にしても、福島氏の論考によると、蛭田廣一『地域資料サービスの実践』日本図書館協会, 2019.(JLA図書館実践シリーズ41)が出発点になるので読んどけ、ということのようなので、読まねば。

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