2022/04/24

『日本古書通信』2022年4月号

『日本古書通信』2022年4月号(87巻4号)をぱらぱらと読んだ。どうも集中力が続かないので、簡単に。

田坂憲二「吉井勇の自筆歌集(上)吉井勇と臼井書房」(p.2-4)には驚いた。影印本ではなく、作者自選による歌集を作者の自筆で複数部作成し、頒布する、ということが昭和21年ごろに行われていた、とはまったく知らなかった。広告によれば200部刊行予定だったそうで、それを丹念に書いた吉井勇、すごい。なお、収録歌の選定過程を示す資料が、京都府立京都学・歴彩館の吉井勇資料中に残されている、というのも興味深い。

飯澤文夫「続PR誌探索(37)」(p.4-5)は三省堂の書店部門、出版部門それぞれの戦前のPR誌を紹介。戦時下の出版統制で消えた『書斎』など。

新連載、川口敦子「キリシタン資料を訪ねて(1)ポルトガル国立図書館」(p.16-17)は、形こそ新連載だが、実際には、著者の「パスポートと入館証、準備よし!」の続編かと。引き続き、各国それぞれの貴重書の扱いが分かって面白い。毎度のことながら、マイクロ資料や、昨今のデジタル化されたものを見るだけではなく、現地でカード目録を確認し、原物を請求することによる発見がある、というのが興味深いが、図書館屋的には頭が痛い。

三坂剛「福永武彦自筆識語・署名本収集について3」(p.30-31)は、紙の原物ならではのコレクションの魅力を示す切り口では。また、各版と福永武彦電子全集におけるテキストとの関係についても言及があるのがポイントかと。

森登「銅・石版画万華鏡 175 福島中佐単騎横断」(p.35)では江戸から明治の日露関係を概観しつつ、明治25年から26年にかけて、ドイツからシベリアまで、馬で横断して実地調査を行い、帰国した福島安正を描いた版画を紹介。

これも新連載の小林信行「平田禿木をめぐる人々 尾崎紅葉1」(p.38-39)は、淡々と尾崎紅葉の生い立ちから、作家に専念、活躍を広げていく過程をたどりつつ、そこに並走していく平田禿木に言及していく、というスタイルで、近代文学音痴の自分としては、ああ、そういうことだったのか、という感じの話も多くて勉強になった。こういうのを何の気なしに読んでしまって、何となく勉強になってしまうのが、雑誌の良いところでもあるが、自分の知識が貧弱なだけという話もあるか。

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2022/02/13

芝健介『ヒトラー:虚像の独裁者』岩波書店,2021.(岩波新書)

『ヒトラー』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

芝健介『ヒトラー:虚像の独裁者』岩波書店,2021.(岩波新書)を読了。

「ヒトラー」というキーワードが世間でやけに話題になっていたので、積ん読から取り出して読んだ。「ヒトラー」について、どのような言及をするにしても、その前にこれは読んでおいた方がよい、という一冊だと思う。

単なる伝記ではなく、それぞれの時代の社会、政治、国際関係を踏まえつつ、どのようにヒトラーが政治的に台頭し、政権を奪取し、他の政治勢力を圧倒するに至り、そして、最終的に敗北していったのか、最新の研究動向を踏まえた上で、短い記述の中に様々な関連する情報が整理されていて、分かりやすい。これ一冊読んでおくと、大抵の雑なヒトラー関連言説を、ニワカ扱いできそうな気がしてくる(いや、もちろん、そんな簡単な話では実際にはないと思うけど)。

ただ、特に前半、ヒトラーが政権を奪取するまでの過程は、なんとも読むのがつらかった。嘘とでたらめ、そして、現実離れしたロジックで「敵」を名指しすることで、第一次大戦における屈辱的な敗北と経済的苦境に陥ったドイツの人々を引きつけ、期待を集めていく過程は、その類似版、ミニチュア版を今も(いや、今こそか)あちこちで見ることができる気がして、読みながら憂鬱な気分になってしまった。失った「誇り」を取り戻せ、本来あるべきだった「未来」を取り戻せ、そのためには、その「誇り」と「未来」を簒奪する「奴ら」を排除し、「奴ら」から全てを奪え、というプロパガンダが、経済的に困窮し、自分たちを救わなかった政党政治に絶望した人々をどれほど引きつけたのかは、今、この状況下で読むと、ああ、こりゃ人気でるよなー、と想像できる感じでもあったり。

ちなみに、プロパガンダといえば、『我が闘争』から本書に引用されている部分には驚いた。「真実を追い求めることも相手に好都合にはたらくだけの場合が多く、大衆に向けては非現実であれ何であれ、教義・主義一点ばりの主張を通して絶えず自分が有利になるようにしなければならない」というテーゼや、「事実がどうであったか、は問題でなく、本当の経過がそうでなくても問題はない」と本人が書いているとのこと。そう書いてあっても、多くの人が、進んでそれに乗っかっていった、というのがまた気持ちが暗くなる。

さらにつらかったのが、決定的なタイミングで、司法が十分に機能しなかった(ヒトラーに同情的な人物が司法の要所要所にいたということでもあり)ことが、ヒトラーの政治生命を延命させ、政治的躍進を許してしまった、という部分で、本来罪を問われるべき人物が、政治的理由で罪が問われない(あるいは不当に軽い罪にしか問われない)状況が生じた時点で、その国の命運は割と尽きてしまっているんだなあ、ということを突きつけられて、これまた憂鬱な気分になったりしたのだった。

ちなみに、ヒトラーが政権を獲得してから、ナチ党以外の政党が全て解体されるまで、半年しかかかっていない。国民の支持を取り付けつつ、様々な謀略や暴力を駆使して、もともとナチ党の政権獲得を支援した勢力まで含めて、権力の独占に邪魔な勢力全てが着実に狩られていく過程が冷静に記述されている。読んでいると、気分はもう絶望である。

後半、戦争に突入すると、当初ははったりで勝ち続けつつ、独ソ戦以降はとにかく人が死んでいく。いやその前から、ユダヤ人を対象にした暴動・暴力は繰り返し推奨されていたし、占領地域が増えるごとに、ユダヤ人を中心に劣悪な環境下に追いやられる人々がすさまじい勢いで増えていっている。ここにイギリスが支援するシオニズム(イスラエル建国運動)と、中東諸国との対立なども絡んで、複雑怪奇な情勢の中で事態がどんどん悪化していくのもまた、読んでいてつらいのだった。

戦争の仕方もすさまじく、例えば、1942年の記述として

「例えば、独軍はセルビアでパルチザン戦に手を焼いていたが、独軍兵士に死者が一人出れば人質にしたセルビアの住民一〇〇名を殺害、負傷者が一人出れば五〇名を殺害するというやり方で、ユダヤ人、共産主義者、民族主義者の順に、その家族ごと「片付け」ていった。」

という話がさらりと出てきて、がく然とする。とにかく、万単位、いや、10万人単位で人がどんどん死んでいく。そして著者はその過程を淡々と記述していく。

近年の研究に基づきつつ、ヒトラーを中心にしつつ、ヒトラーの意図や指示を「忖度」して、誰が、どの組織が最もヒトラーの意思を体現しているかを競い合う構造が、虐殺へと極端化していく施策や、自国の戦力の正確な状況把握を妨げて敗北の傷を深めていったのかについても論じられており、「忖度」を軸にしたシステムがいかに政府機構の判断能力を破壊していくかも見せつけられる。

そしてそれだけ、内外で人が死んでいっても、ヒトラーの人気は根強く、1943年に批判ビラをまいた学生たち(いわゆる「白バラ」)が裁判後当日処刑された際、密告した大学職員は他の学生たちに歓呼で迎えられたという。本当に救いがない。

また異なる観点での議論になるが、ドイツの歴史教育や、歴史に対する姿勢は、割と日本では高く評価されているが、そんな単純なものではない、ということも、本書の第6章「ヒトラー像の変遷をめぐって――生き続ける「ヒトラー」」を読むとよく分かる。興味深いのは、ドイツにおけるヒトラーやホロコースト認識の転換点には、ドラマや映画が影響を与えている、という指摘で、そもそも「ホロコースト」という用語自体、1979年にドイツで放映された米国製作テレビドラマ『ホロコースト』によって広まった、とは知らなかった。また『シンドラーのリスト』などの映画が話題になったことが、どれだけ虐殺が当時ドイツの人々に知られていたのかについての研究上の関心を呼び起こす、といったこともあったとのこと。歴史学は歴史ドラマなどのフィクションとは関係ない、といういった意見もたまにネット上では見かけるが、そんなに単純な話ではない、ということもよく分かる。

一度普及してしまった嘘とでたらめで塗り固められたプロパガンダは、それが国民の間に広く普及してしまったが故に、ぬぐい去るのが困難であることも、同時に語られている。フィクションが、プロパガンダに染まった視点を相対化する機会にもなりうる可能性も本書では示されているが、それは逆の効果も持ちうる、ということでもあるだろう。

だらだらと書いてきたが、こんなのは本書で示された論点の氷山の一角に過ぎない。この一冊にどれほど論点が詰め込まれているのか、たぶん、自分には読めてない部分も大量にあるだろう。読み手に応じて、色々な見え方ををする本でもあるかと。歴史について考える際のヒントという意味でも、読む価値がある一冊だと思う。

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2022/01/23

ウィリアム・モリス,エメリー・ウォーカー著・はやみずあゆみ訳『書物印刷概論』万象堂, 2021.

ウィリアム・モリス,エメリー・ウォーカー著・はやみずあゆみ訳『書物印刷概論』万象堂, 2021.を読了。といっても短いけど…

万象堂さんは、美術・音楽系の出版社で、最近、電子書籍のみで、ウィリアム・モリスの著作の翻訳を立て続けに出している。その中の一冊。ここでは、ウィリアム・モリス(William Morris)が、その書物印刷・タイポグラフィ面での協力者であり、書物コレクターでもあったエメリー・ウォーカー(Emery Walker)とともに、当時(19世紀後半)の書物の堕落ぶり難じつつ、活版印刷以降の西洋の書物史をたどりながら、美しい書物とはいかなるものかを論じている。

アメリカで出版された書物の低評価っぷりがすごかったり、インキュナブラだからといって何でも評価するわけではなく、結構、評価の高低があったりするのが興味深い。また、モリスたちの評価を絶対視するのは実は微妙で、特に書体に顕著だが、モリスたちの評価がめちゃ低い書体が、現在も結構人気があったりするのもまた面白い。

そうした現代の状況を注で丁寧に補っているのも本書の特徴で、単なる翻訳で終わらない編集ぶりがありがたい。参考として示されているのがネット情報ばかりではあるのだけど、例えば、日本語であれば国立国会図書館の電子展示会「インキュナブラ 西洋印刷術の黎明」だったり、その他、英語の情報源(例えば、A Dictionary of the Art of Printingなど)を色々組み合わせると、こうした解説が書ける環境ができてきている、ということでもあるかと。電子書籍による、古典的テキストの翻訳復刊の事例としても要注目では。

また、内容的にも、こうした書物印刷における議論の蓄積を電子書籍の時代にどう活かしていくのかという観点や、電子書籍ビューアにおける美しい「版面」とは何か、ということを考えるヒントになるかもしれない。読みながら、電子書籍ビューアで、フォントもそうだけど、レンダリングエンジンも(出版社側が指定したり、読者側が選んだりと)選択できるような未来が来ると面白いのに、などと思ったりしていた。

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2022/01/15

『日本古書通信』2021年12月号(86巻12号)・2022年1月号(87巻1号)

ためこんでしまっていた、『日本古書通信』2021年12月号(86巻12号)と、2022年1月号(87巻1号)の感想をまとめて。

まずは、2021年12月号から。

特に巻頭の、塩村耕「虫だらけの伊東玄朴書簡—コレラと闘う蘭医」(p.2-3)が重要かと。著者が入手した伊東玄朴から大槻俊斎宛の書簡を解読しつつ、その背景を含めて解き明かしていくもので、断片的に現れる情報と知られている史実を組み合わせつつ、時期や状況を推定していく。末尾では、デジタル化の重要性と効果について言及されていて、書簡資料のネット公開を推奨している。また、早稲田大学図書館や東京都立中央図書館の取り組みを評価しつつ「今や、先人のかつて経験することができなかった夢のような研究基盤」が実現しつつあり、「人文学の質を書き換えるほどの事態をもたらす可能性がある」と指摘し、「書簡文化研究の機運」の再来への期待も述べられている。原資料の面白さと、それを読み解くためのツールとしてのデジタル化資料の重要性の両面が語られていて、重要な記事かと。

田坂憲二「『短歌風土記山城の巻(一)』漫歩—城南吉井勇紀行」(p.4-6)は、歌人・劇作家の吉井勇が、戦後まもなく、京都府八幡市に住んでいた時代の短歌集『短歌風土記山城の巻(一)』をひも解きつつ、関連の文献も紹介しつつ、京阪電車八幡市周辺のゆかりの地をめぐる一本。当時の文化人たちとの交流も興味深いが、現地の和菓子が何ともおいしそう。

加藤詔士「明治16年度『工部大学校学課並諸規則』」(p.14-15)は、後に帝国大学工学部となる工部大学校の教職員、学課目の編成、諸規則をまとめ、ほぼ毎年刊行されたと見られる『工部大学校学課並諸規則』の英語版を含む現存諸本の概要を整理しつつ、著者が入手した明治16年度版について、他の諸本との異同などの分析が行われている。基本資料の紹介として重要だと思われるが、伝存がこれほど少ないとはちょっと驚き。

福田博「和書蒐集夢幻譚 117 左右にブレる出版人成史書院關根喜太郎」(p.20-21)は、宮澤賢治『春と修羅』を発行し、販路を提供した關根書店の代表、關根喜太郎が、後に立ち上げた出版社、成史書院で昭和14年に刊行した『紙 資源愛読本』を取り上げたもの。実は關根自身が執筆・刊行した奇妙な本で、特に一部が引用されている、紙を種類別に解説した文言中の詩のような部分が何ともいえない味わい。

小田光雄「古本屋散策(237) 山辺健太郎と『現代史資料』」(p.22)は、前号(感想)に続き、『現代史資料』について。今回は『社会主義運動』7冊、『台湾』2冊の編集解説者であった山辺健太郎について、「独学者ならではの図書館と文書館(アーカイブ)の徹底的利用」によるその仕事が紹介されている。特に、国立国会図書館の憲政資料室には開設直後の1950年当初から1968年にかけて、毎日のように通っていたことが紹介されている。「憲政資料室の牢名主」と自称していたとは。図書館・アーカイブズによる蓄積と、そこに蓄積された資料を活用した出版の一事例でもあり。

川口敦子「パスポートと入館証、準備よし!(36)」(p.24-25)は、2016年のマドリードのスペイン国立図書館とも近い公園で開催された、マドリード秋の古書市(Feria de Otoño del Libro Viejo y Antiguo de Madrid)の様子を紹介。こういう記事が読めるのも、古通ならでは。

森登「『浦上玉堂関係叢書』刊行について」(p.28-29)は、浦上家史編纂委員会が刊行した『浦上玉堂関係叢書』全3巻4冊編纂の裏話的一本。特に第3巻に当たる『浦上玉堂父子の藝術』における、琴譜からの全曲録音(CD付き)の話や、様々な呼称を網羅したという人名索引作成の苦労話が興味深い。

巻末の編集後記的コラム「談話室」(p.47)では、天理図書館開館91執念記念「書物の歴史」展や、深井人詩氏追悼文集に言及されている。

続いて2022年1月号について。なんと、一部ページの図版がカラーになり、紙質も変わった。

早速、川島幸希「外装の下 泉鏡花の極美本」(p.2-3)では、著者所蔵の美本の図版を掲載。「現物の色とはかなり違う」とのことだが、保存状態の良さはうかがうことができる。

森登「銅・石版画万華鏡 172 正月の引き札」(p.7)もカラー図版。これは確かにカラーがありがたい。当時皇太子妃だった九条節子(後の大正天皇皇后)が描かれた引札を取り上げている。多色石版と空押しの組み合わせとかあるんだ、という感じ。また、岩切信一郎氏が監修されたという『引札 資料集』(海の見える杜美術館,2021)の紹介もあって、「引札の資料集としては出色の図録」とのこと。

竹居明男「「七福神」と「宝船」に関する文献抄—架蔵の稀覯資料から—」(p.10-11)は、七福神、宝船についての図録や解説書の紹介。これでもおそらくコレクションの一部なのだと思われるが、こんなにあるのか、という感じ。特に宝船コレクターによる図録が複数あり、「明らかに大正と昭和一桁代にピークがあった」宝船ブームがあり、「その中心は京都・大阪・名古屋にあったように思われる」という分析が興味深い。

松竹京子「文筆家としての小早川秋聲」(p.14-15)は、小早川秋聲が美術雑誌に寄稿した大量の文章について、その一端を紹介したもの。「日本画家小早川秋聲の御長女山内和子先生から父秋聲について」話を聞く機会があったことが、秋聲の文章を追い始めた契機とのこと。

茅原健「珈琲店—獏さんの思い出」(p.15)は、沖縄出身の詩人、山之口獏氏の思い出を綴った囲みコラムだが、1950年代の池袋北口の喫茶店についての話でもあり。

小田光雄「古本屋散策(238) 姜徳相と『現代史資料』」(p.22)は引き続き、みすず書房の『現代史資料』について。今回は、1963年の『関東大震災と朝鮮人』と、その月報掲載の山辺健太郎「震災と日本の労働運動—朝鮮人問題と関連して」が取り上げられている。また、同巻の編者である姜徳相の『関東大震災』中央公論社,1975.(中公新書)も参照しつつ、朝鮮人虐殺事件の背景が論じられている。1960年代、70年代の蓄積がいかに現在忘れ去られているか、ということを痛感させられる話でもあり。それにしても、三一書房・三一新書の三一って、三・一運動が由来だったのか……知らなかった(これはちょっと恥ずかしいかも……)。

巻末の「談話室」では、古書業界の店舗から目録販売、そしてネットへという流れから、再び店舗志向の若手古本屋の動向に触れつつ「更にネット外の世界に活路を見いだそうとしているのが現在かもしれない」という示唆があり。また「蔵書を持つことがステイタスでなくなってしまった社会の中の古本屋」がどうなっていくのか、その問いかけも重い。

(2022-01-16 誤字を一ヶ所修正しました。「室」→「質」)

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2022/01/09

『ZENBI:全国美術館会議機関誌/全美フォーラム』Vol.18(2020年9月)、Vol.19(2021年3月)、Vol.20(2021年9月)

昨年末に行った、東京国立近代美術館のミュージアムショップで、『ZENBI:全国美術館会議機関誌/全美フォーラム』のVol.18(2020年9月)、Vol.19(2021年3月)、Vol.20(2021年9月)を入手。久しぶりに読んだ。

ちなみに、次の通り、全部PDFで公開されているので、無理に買わなくても読めるのだけど、東近美に行くとつい買ってしまうのだった。

3号まとめて読むと、あいちトリエンナーレから新型コロナウイルス、という危機また危機、という展開に、全国美術館会議の一般社団法人化も重なって、色々な意味で貴重な記録になっている。

まずVol.18(2020年9月)から。一般社団法人としての定款が掲載されているのも目を引くが、各地域ブロックごとの報告に、2020年初頭の時点ではあるが、既に新型コロナウイルス感染症が影を落としている。なお、新型コロナ以外にも、橋本優子「ポスト東日本大震災、新型コロナ・ウイルス感染症時代の情報デザイン」(p.12-13)では、川崎市市民ミュージアムの台風19号被害について、報道量が少なく、把握されていた重要な情報が普及しなかった、との指摘もなされていて重要かと。

中井康之「「パンデミック・シティ」と美術館」(p.10-11)は、国立国際美術館の「インポッシブル・アーキテクチャー」展に併せて開催された、磯崎新氏と浅田彰氏の対談の実現経緯と内容のレポートになっている。磯崎新氏の「都市設計の最大のテーマは、ユートピアを作り上げることではなく、パンデミックのような事態をどのようにコントロールするか、という問題でもある」といった発言など、その後の事態を予見するかのような議論が紹介されており、貴重かと。artscapeに掲載された、中井康之「パンデミックと……、建築と……、」(キュレーターズノート)と併せてぜひ。

また、毛利直子「アートによる地域創生いろいろ」(p.24-25)で紹介されている、高松市美術館の2019年度第3期常設展「美術館今昔ものがたり」の話は興味深い。市民による美術館建設運動で誕生した戦後第一号の公立美術館だったとは知らなかった。

紙版では縦書きで反対側から読む「全美フォーラム」サイドでは、山梨俊夫「あいちトリエンナーレ2019の電凸対策に学ぶ」(p.F2-F5)が必読。段階的に強化されていった、電凸対策の要点が簡潔に整理されており、炎上時の危機対策にとって、どの公共機関も参考になるかと。村田眞宏「川崎市市民ミュージアムの被災と救援活動(報告)」(p.F6-F10)も記録として重要。

Vol.19(2021年3月)になると、各地域からのブロック報告はコロナ一色となる。危機に対する様々な取り組みが紹介されているが、個別の報告というよりは、全体として重要な記録となる性質のものかもしれない。その中で、林田龍太「コロナと水害、美術館と展覧会」(p.20-21)では、熊本の水害被害における文化財レスキューについて言及されており、「県内各館が過去に行った悉皆調査と、それに基づいて開会した展覧会及びカタログ」が「一役買った」ことが紹介されているのが目を引く。地道な地域の文化財に関する調査研究に、災害時の「「備え」としての意味」があることが指摘されているのがポイントだろう。

「全美フォーラム」サイドも新型コロナ一色だが、木村絵理子「「横浜トリエンナーレ2020:AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」(p.F11-F15)では、東京オリンピックの影響を考慮した備えが、結果的に円滑な開催準備につながったことが報告されていて、何がどうプラスに働くは予測できないなあ、としみじみ。他の報告もそうだが、危機の中で開催にこぎ着けた展覧会では、アーティストなど関係者との信頼関係が重要、ということが改めて確認されている。

Vol.20(2021年9月)では、新型コロナ後を見越した議論が始まっている印象。井関悠「「美連協」後の展覧会を考える―コロナ禍を乗り越えるために」(p.6-7)は、2020年4月の美術館連絡協議会からの通知を踏まえて、美連協の事務局業務停止の影響を論じている。Web版美術手帖の関連記事「美術館連絡協議会が事務局業務の停止を発表。コロナで活動見直しへ」と併せて読んでおきたい。また、村上敬「コロナ禍をチャンスとした館内人材の多様化を望む」(p.12-13)は、実は「富野由悠季の世界」展の静岡展に関するレポートになっているのでご注意。

「全美フォーラム」サイドでは、大野正勝「川崎市市民ミュージアムの被災直後の状況と対応」(p.F6-F9)が、タイトル通り、被災直後の対応について、コンパクトにまとめられていてあらためて当時の状況を把握するには有用かと。「当館は指定管理者制度による管理運営のため人的及び物的な手配を比較的早く進められた」(p.F9)と付記されているが、ここはもっと詳しく読みたいところではあり。

青木加苗「博物館法は誰のものか」(p.F10-13)は、博物館法改正の動きが本格化する状況において、美術館関係者に、議論への積極的参入を呼びかけている。また、全美における2000年前後に行われた博物館法に関する議論(結果的に「美術館の原則と美術館関係者の行動指針」につながっていったとのこと)を紹介していて、美術館界隈ではそういう議論があったのか、と勉強になった。

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2022/01/01

東京国立近代美術館「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」展(会期:2021年10月26日-2022年2月13日)

年末に、東京国立近代美術館の「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」展(会期:2021年10月26日-2022年2月13日)を見てきたので、今年最初の更新はその感想を。

とにかく情報量がすごかった。中心人物であった柳宗悦を軸にしつつも、民藝運動に関わる様々な人物にも目配りしつつ、多数の収集品や新作(当時の)とともに、展示や出版、あるいは店舗やファッションまで含めた様々なメディアを戦略的に活用した運動としての民藝の姿が多面的に展示として展開されていて、圧巻だった。そしてそうした多面的展開は意図的に構成されたものであることが、図録に整理されている10の主題からも分かる。詳細は図録を入手して確認してほしいが、キーワードを参考に抜き出しておこう。

  1. 発見と収集
  2. 異文化との出会い
  3. 都市と地方
  4. 手仕事と産業、ギルド
  5. 観光・交通
  6. 建築から景観まで
  7. 展示する
  8. ネットワークをつくる
  9. 売る/買う
  10. 「日本」を見せる——ローカル/ナショナル/インターナショナル

こうした主題が、時間の経過(それは時代状況の変化でもあり、民藝運動が取り込んでいく対象の広がりでもある)と絡みつつ、展開されている。おそらく、それぞれの関心の持ちように応じて、最も印象に残る部分は変わってくるのではなかろうか。

個人的に印象に残ったのは、戦中期までの民藝運動が、植民地政策への批判的視座を内包しつつも、帝国としての日本のあり方と密接に関連しているところ。民芸運動の出発点としての、朝鮮工芸・陶磁器と柳宗悦の出会いと、浅川伯教・巧兄弟との関連がきっちり踏まえられていて、お、これは期待できる、と思っていたら、1912年の拓殖博覧会に興奮する富本憲吉とバーナード・リーチという話がぶっ込まれてきた上に、中国、沖縄、アイヌ、台湾にも目配りが来ていて、大満足。さらに、1941年の巨大な「日本民藝地図」(芹沢銈介)では、沖縄は「日本」の固有の姿を保っていると「日本」に加えられているが、朝鮮やアイヌは「日本」の外側にある、という認識が裏返しの形ではあるが示されていて、戦時期民藝運動における「日本」の輪郭がうかがえて、興味深かった。(ある意味で「内地」の日本人のまなざしの典型だったのではないか、という気もするがどうなのだろう。)

また、「官」への批判的視点がしばしば取り上げられる柳宗悦や民藝運動だが、実際には官僚の支持者によって多くの便宜が図られていたり、積雪地方農村経済研究所(施設の一部や資料は、現在、雪の里情報館に引き継がれているとのこと。)との連携など、官とのつながりも結構あったことも紹介されている。また、図録に収録されている論文では、官との対立に関するエピソードとしてやや神話化されている、1929年に資料の寄贈を、東京帝室博物館に断られた話を検証している(花井久穂「民藝の「近代」——ミュージアム・出版・生産から流通まで」p.218-227.特にp.223-224.)。専用の展示室の確保、展示への自分たちの関与、その後の収集資金までセットで話を持ち込んでいて、これはハードルが高いので断られるのもしょうがないのでは、というか、この時点では、国おかかえで活動することも選択肢として考えられていた、というのも興味深い。戦中の対外プロパガンダにも、戦後の国際文化交流にも積極的に関与していく姿勢は、ある意味で一貫しており、単なる「在野」とはいえない多面的な性格も柳宗悦や民藝運動の面白さだろう。

ちなみに、図録の解説付き文献リスト「MOMATアートライブラリーによる「民藝文献案内」」(p.228-244)は今後、研究テーマとして、民藝を考えている方々にとって、出発点となる労作かと。次の13の論点ごとに整理されていて、民藝をテーマにレポートや卒論・修論を書くという人はここからスタートできてお得。学生を指導される先生方も活用されるとよいかも。特に2000年代以降の比較的近年の研究が幅広くカバーされている印象。

  1. 民藝に関する基礎文献
  2. 民藝と民家研究
  3. 民藝/民俗学/民具/郷土玩具
  4. 古陶磁発掘ブームと東アジアの陶磁史
  5. 民藝と観光
  6. 民藝と産業
  7. 民藝と展示
  8. 民藝と挿絵と写真家
  9. 民藝と社会思想
  10. 民藝と帝国日本
  11. 民藝と国際交流:戦前から戦後
  12. 衣食住に広がる民藝
  13. 民藝とデザイン
  14. 戦後の民藝の変容

特設のショップでは、福田里香『民芸お菓子』ディスカバー・ジャパン,2018.を入手。民藝関係者がパッケージやお菓子そのもののデザインにかかわった、各地のロングセラーお菓子(和菓子中心だが、洋菓子もあり)を紹介したもの。戦後の民藝が、いわゆる「民芸品」という言葉に代表されるように土産物として大衆化していった過程を示している一冊ともいえるかも。あと、ショップの入手しやすい価格のアイテムは、ほぼ芹沢銈介一強、みたいな品揃えになっていて、ライセンス戦略も含めて色々あるのだろうとも思うのだけど、これはどういうことなのだろう、と考えさせられた。

そういえば、鳥取を中心に活躍した吉田璋也に関する展示で見られたような、民藝における、生活の中に取り入れる製品群とライフスタイルを組み合わせて提案する手法を、現在最もうまくマーケティングの方法として継承しているのは無印良品かもしれないな、などと後から思ったり。そう思って検索したら、無印良品と日本民芸館による民藝展(「民藝 MINGEI 生活美のかたち展」)が開催されていたことを知る(1月30日まで博多で開催中だけど見に行くのは厳しい…)。見に行っておけば比較できたのにと、ちょっと残念だったかも。

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2021/12/18

稲宮康人『大震災に始まる風景─東北の10年を撮り続けて、思うこと』編集グループSURE, 2021.

稲宮康人『大震災に始まる風景─東北の10年を撮り続けて、思うこと』編集グループSURE, 2021.を読了。

写真家稲宮康人氏の最新の作品である、東日本大震災被災地を撮影するシリーズの中間報告的な一冊。モノクロながら、10年をかけて撮影されてきた作品群の紹介と、インタビューで構成。

大判の4×5(シノゴ)フィルムでの撮影とのことなので、カラーでパネルにプリントされたらもっとスゴイんだろうなあ、と思いつつ、それでも、津波被害を受けた地域が、大規模なかさ上げ工事や防潮堤の建設で、どのように変化してきたのかを、ここに収録された写真を見るだけでなんとなく感じ取ることができる。少なくとも作品的には淡々としていて、一見、単なる工事現場や、まだ建物で埋まっていない住宅地の写真なのだけれど、そこに、震災直後の状況や、徐々に進んでいく工事の状況、そして、帰還困難地域が残る福島とそれ以外の被災地との差異、といった文脈が重なることで、地域社会の置かれている状況が浮かび上がってくる感じ。

インタビューでは次の一節が特に印象に残った。

「福島の、特に旧警戒地域だった場所は、かなり遅くまで暗いままで、そういう場所を撮影してから常磐道にのって一気に東京に戻ると、明かりがありすぎて、困惑してしまう。二つの場所の落差。東京のための電気をつくっていたせいで、電気を使う人がいなくなってしまった土地が、東京からたった三時間の場所にある。この訳のわからなさに打ちのめされることが原動力の一つにあります。」(p.125-126)

こうした「訳のわからなさ」が、津波被害を受けなかった地域の住宅が建ち並ぶ風景や、通りの途中から帰還困難地域になってしまう桜並木に花見に集まる人々、完成したばかりの復興公営住宅など、様々な写真と、淡々と語るインタビューの中から、じんわりと読み手にも差し出されてくる感じがある。もちろん、割とストレートに反感をベースにした写真もあったりするので、話は単純ではないのだけれど。福島県いわき市で公園でくつろぐ人々の写真には「ネットで、福島では未だに外遊びができない云々などというデマがしょっちゅう流れるので、それへの反感もあって撮った」というコメントが付されていたりする(p.174-175)。

その一方で、

「いつもは意識されていないものを撮ることで、無意識の日常が意識され、意味を持つようになる。写真の重要な役割だと思います。そのために、目の前に広がる空間をちょっとひねって作品化する、安定してひねる方法とか体得できたらいいのですけど。」(p.140)

という感じで、表現者としての意思を感じさせる話もそこここに登場していて、ここに収録されている写真が単なる記録ではなく、作品であり、表現であることも、読んでいると意識させられる。一人の写真家の作品と語りを通して、被災地を流れた時間と、東京や一部の都市部とそれ以外の地域との差異を感じさせてくれる一冊かと。客観性や中立性を演じるのではなく、一人の表現者として撮影したものということが明確だからこそ、信頼できるともいえるかも。

高速道路とその建設現場を撮影したシリーズや、海外神社(跡)を撮影したシリーズに関する話も出てくるので、そちらに興味がある方もチェックを。なお、入手は出版社への直接注文が基本なのでご注意。

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2021/12/11

チャルカ『アジ紙』アノニマ・スタジオ, 2009

先日、たまたま府中市美術館のミュージアムショップで購入した、チャルカ『アジ紙』アノニマ・スタジオ, 2009.がとても良い本だった。

チャルカというのは、現在も大阪で営業中の「東欧雑貨・手芸の店」のことだろう。そして「アジ紙」というのは、「味わいのある紙」(アジテーションのアジではない)のこと。例えば、均一な大量生産品とはちょっと違う、不均一でばらつきのある紙や、そうした紙が使われたアイテムたちをまとめて本書ではそう呼んでいる。文房具類は当然のこと、チケットや紙ナプキン、ちょっとした包み紙、レシートなども対象に入ってくる。

まず、本書前半では、チャルカのスタッフが東欧で出会ったアジ紙や、アジ紙を送り出した生産者側の人々が紹介されている。2009年に刊行された本なのだけど、この時点で既に東欧でもアジ紙は次々と失われつつあることが語られていて、それから10年以上たった現在、いったいどうなっているのだろう、と遠い目になってしまう。プラハ郊外で製本工房を営むヤナタ氏は今もご健在なんだろうか。

考えてみると、工業製品としての効率性と品質の追求が極まった結果、人が作っているが故の味わいが失われていく中で、そうした手工業的な味わいが残されていた瞬間が、奇跡的に記録されている一冊、ともいえるかもしれない。職人の手仕事による製品への注目、という点で、「民芸」的な観点とも接点がありそう。

本書後半では、チャルカが当時販売していた、紙製品のオリジナルアイテムの紹介と、その製作を発注している、各業者・町工場の人々の横顔が紹介されている。職人気質の方々によって、独自の製品が可能になっていたことがよく分かる。その中で、紙問屋の方が、かつてあった様々な紙のバリエーションが次々と廃番になっていることを語っていたのが印象に残った。もしかすると、凝った作りで様々な紙を駆使して作られた同人誌は、日本の製紙産業史的にも今後貴重な記録になるかもしれない、などと思ったり。

ちなみに、本書は初版のみ「春日製紙さんの更紙を使用した特別仕様」とのこと(再版されたかどうかは分からないけれど)。様々な紙を駆使した凝った作りで、本書自体、とても「アジ」がある。写真も素晴らしい。こういう本に、新刊としてばったり出会えたりするので、美術館・博物館のミュージアムショップは油断できないんだよなあ……

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2021/11/27

筒井清忠編『大正史講義【文化篇】』筑摩書房,2021.(ちくま新書)

『大正史講義【文化篇】』表紙

(表紙画像はopenBDから。)

筒井清忠編『大正史講義【文化篇】』筑摩書房,2021.(ちくま新書)を読了。だらだら読んでたら、最初の方を忘れてきているけれど、個人的に気になったところをメモ。

牧野邦昭「第2講 経済メディアと経済論壇の発達」では、東洋経済、ダイヤモンド、日経といった、現在の経済論壇の出発点をコンパクトに解説。蔵書家としても知られる小汀利得も登場して、おおっ、となったり(日経の前身『中外商業新報』で活躍)。

今野元「第3講 上杉愼吉と国家主義」は、美濃部達吉、吉野作造とのライバル関係を軸に、上杉愼吉の学説・言論を中心に扱ったもの。単純に軍国主義を支えた学説だ、と否定すればそれで済むというものではない、というのは分かるが、留学先で挫折すると国粋主義に傾倒しがち、という戦後も続くパターンがここにも……という印象もなくはなし。

本書の裏テーマの一つ、「教養」については、筒井清忠「第4講 大正教養主義──その成立と展開」、藤田正勝「第5講 西田幾多郎と京都学派」、大山英樹「第6講 「漱石神話」の形成」が多面的に論じている。小谷野敦「第7講 「男性性」のゆらぎ──近松秋江、久米正雄」での「情けない男」の主題化という論点も含めて、現在まで続く構造が生まれた地点としての大正時代論を堪能できる。

「文化編」としての読みどころは、筒井清忠「第11講 童謡運動──西條八十・野口雨情・北原白秋」、筒井清忠「第12講 新民謡運動──ローカリズムの再生」、石川桂子「第13講 竹久夢二と宵待草」の並びでは。特に第12講での新民謡以前の民謡はむしろ地域による差異が小さく、同じような歌詞、節回しばかりだった、という指摘には驚いた。

田中智子「第14講 高等女学校の発展と「職業婦人」の進出」は、大和和紀『はいからさんが通る』を題材にしているのだけど、『はいからさんが通る』が、現在でも、こうした議論の参照対象になりうる(もちろん、史実とのずれは存在するのだが)、ということが驚き。やはり、大和和紀はすごい。

竹田志保「第16講 「少女」文化の成立」は、1980年代、90年代から盛んになった「少女論」を参照。「これらの「少女」論は、オルタナティブな可能性をもつものとしての「少女」の意義を発見したが、「少女」に抵抗や反秩序の幻想を強め、ロマンチックに周縁化してしまうことへの批判もなされた。」という視点は、むしろ現在忘れられがちかも。

そのほか、宮本大人「第19講 岡本一平と大正期の漫画」では「絵と言葉を組み合わせて多くのことを語ることのできる表現形式」としての漫画の発展、佐藤卓己「第20講 ラジオ時代の国民化メディア──『キング』と円本」では国民的メディアとしてのラジオと出版の成立、斎藤光「第27講 カフェーの展開と女給の成立」では、カフェーの普及と特に女性店員の商品化による形態の分化が語られるなど、多様な主題が次から次へと繰り出される。

各講には、シリーズに共通する「さらに詳しく知るための参考文献」が付されている。先行研究や、資料集や主要な同時代の人物の全集・日記に関する紹介の仕方で、その分野の研究の厚みが何となくうかがえる、という感じもあり。

通読して、思っていた以上に、大正時代から発展・普及して現在まで続いていることが様々にあることに驚いた。そういえば、今年は大正110年か。

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2021/11/20

『日本古書通信』2021年11月号(86巻11号)

『日本古書通信』2021年11月号(86巻11号)を少し前に読了したので忘れないうちに感想をメモ。

とにかく、川島幸希「日本近代文学館への提言」(p.8-9)が重い。「所蔵資料のデジタル化の遅れ・利用者への高額な各種サービス提供・情報発進力の弱さ」等の課題や、その前提となっている収益構造の問題点を指摘しつつ、改善策を提言している。その一方で「スタッフの一人ひとりが文学へのリスペクトと、近文にアクセスする人への愛情を持つこと」の重要性を強調するなど、単なる運営論に終わらない観点も提示。他の文学館と比較しての議論などもあり、文学館に関心を持つ方は必読ではないか。

また、タイトルからは分かりにくいが、佐々木靖章「キヌタ文庫創設者 永島不二男はモダンボーイだった」(p.10-11)は、東京銀座の文化史の話でもあり。個人的には「ルパシカを身にまとい、両手・両足・腰に鈴をつけて、毎日提示に銀座を往来」という、ストリートパフォーマンスを関東大震災前に行っていた、という話に驚いた。また、銀座のカフェ「クロネコ」による雑誌『クロネコ』『船のクロネコ』の紹介もあり。

鈴木紗江子「北米における日本の古書研究2」(p.16-17)は、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の講義動画「物語文学と写本」の制作プロジェクトで苦心した点を紹介。日本の古典文学研究における概念を英語で紹介するために様々な工夫がなされたことが分かる。最も難しかったという「池田亀鑑が大島本を最前本とした」という一節をどう提示するかのくだりなど、目的に合わせた翻訳のあり方として重要かと。また、「作ることが目的のデジタル化事業から、デジタル化したものを最大限に活用することを目標とする時代になった」という一節は、デジタル化をめぐる状況の変化を端的に著していて、印象的。ちなみに、当該の動画は"Exploring Premodern Japan Series Vol. 4 – Tale Literature (monogatari bungaku) and Manuscripts: The Case of The Tale of Genji"(リンク先は早稲田大のサイトでの紹介)ではないか。

日本研究といえば、川口敦子「パスポートと入館証、準備よし!(35)」(p.32-33)も興味深い。スペイン国立図書館での2回目の調査でのエピソード。データベースにないものはない、と主張する書誌情報室の担当者と、古い冊子目録に遡って確認して当該資料を発見するベテラン司書、という、類似したエピソードに覚えのある図書館関係者も多いのでは、というお話。遡及入力を過信してはいかんのですよね……

小田光雄「古本屋散策(236) 『現代史資料』別巻『索引』」(p.35)は、『現代史資料』の別巻「索引」について。その重要性と、それが国会図書館に通い詰め、記憶力と紙のカードによって編纂された、高橋正衛という編集者「個人の作品」であることが語られている。コンピュータ時代以前のこうした成果をどう継承するのか、という問題でもあるかと。

その他、「書物の周囲 特殊文献の紹介」(p.40-41)では、香川県立ミュージアムの「自然に挑む 江戸の超(スーパー)グラフィック—高松松平家博物図譜」展の図録が紹介されていて、見たかったなあ……としみじみ。あと、青裳堂書店の日本書誌学大系の広告(p.41)で、大小暦の図録である岩崎均史編『大小図輯』と、永井一彰『版木の諸相』の刊行を知る。すごい価格になっているが、何部刷ってるんだろう…

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